唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐朝の皇太子 その6

2018-02-22 21:41:51 | Weblog
意志薄弱の恐妻家

唐の三愚帝[中宗.敬宗.僖宗]の筆頭である英王哲は武后の子であるが、兄たちとは違い意志薄弱であった。永隆元年賢が廃され、代わって皇太子となった。弘道元年12月高宗が崩御すると即位したが、愛妻韋氏の父をいきなり宰相に登用しようとした。実権を渡すつもりなどなかった武后はこれを廃位し、盧陵王に落とし房州・均州に配流した。配流中はただ殺されることを怖れて、韋氏にすがりついて怯える毎日であった。武氏一族に政権を継承する企ては何度も起こったが、武后は結局自分の子である中宗・睿宗に嗣がせることにし、重臣達の勧めもあって聖暦元年盧陵王を呼び戻し、再度皇太子とした。
長安5年[神龍元年]武后が老衰し病に倒れると、張柬之など重臣達は皇太子を押し立てて即位させ「唐」を復活させた。
しかし中宗はすでに韋氏のいいなりであり、韋氏は武一族の武三思を愛人としていた。
唐再興の重臣達を裏切り、ただ安穏を求めるだけの中宗は、武三思や妻韋氏・娘安楽公主の傀儡として漂うだけであった。やがてうすうす真相を感づいたが、妻や娘に毒殺された。
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