唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐朝の皇太子? その7

2018-02-23 16:50:51 | Weblog
今はやりの皇嗣なんです。皇太子は未経験ですが。

相王旦は武后の末子で、嗣聖元年二月兄の中宗が廃位された後に皇太子を経ずに
即位した。単なる傀儡で実権は武后が持っていた。
天授元年九月武后が即位し「大周帝国」皇帝となり、皇嗣に格下げされた。
その後武氏一族の圧迫を受けながら、ただ謹慎して生存していた。
長壽二年には二人の妃を殺害され、子達も郡王に格下げ。
自分も酷吏來俊臣に謀叛で告発されたが、家臣安金蔵が切腹して抗議したこと
により免れることができた。
聖暦元年九月兄が呼び戻されて皇太子となるが皇嗣はそのままで併立すること
になった。
二年正月相王に戻る。
神龍元年正月中宗が復位すると安國相王に昇格。
しかしまた告発されることもあり、ただ畏縮しているだけだった。
景雲元年六月中宗が毒殺され、韋后が溫王重茂を擁立。
旦の子隆基[後の玄宗]が娘[太平公主]らと蜂起して韋后等を誅した。
この時も皇太子を経ず即位して皇帝[睿宗]となった。
睿宗はすっかり政争に飽きていたので、隆基と太平公主がもめ始めると
二年ほどであっさり退位して隆基に皇帝の座を譲った。


コメント
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