唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐朝の皇太子 その2

2018-02-11 10:44:49 | Weblog
②文治皇帝を気取った太宗に廃された遊牧民系太子の例から

常山王承乾は、泰[魏王]、治[高宗]とともに、太宗の正妻長孫皇后の子であり、14人の兄弟の長子である。
太宗が即位した、武徳9年10月中山郡王より皇太子となった。
父太宗に似て有能で武勇にあこがれ活動的であった。
しかし遊牧民としての遺伝が強く東宮での平穏な生活に退屈し、学問を好む一面もある太宗に迎合する魏王泰に反感を持ち、荒れた生活をすることも多かった。
取り巻きの家臣団も形成され、長い太宗の治政に飽き飽きしていたのは確かだが、乱を起こす意志や力はなかったもようだ。
太宗の不満に乗じた外戚長孫無忌は、重臣団とともにこれを廃位し、同時に有能すぎる魏王泰も排除して、人畜無害な晉王治[高宗]を擁立した。
太宗としては年長で隋王朝の系統楊氏の子呉王恪も考慮したようだが、外戚としての地位を失う無忌はこれをゆるさなかった。
無害なはずの高宗が武后の傀儡となって長孫家が没落したのはお笑いである。
承乾は庶人とされ、貞觀19年に卒した。恒山王を贈られ、子孫は皇族からはずれて臣下となった。
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