非常時とはいえ即位[肅宗]したのだから・・・いいか
玄宗は自分の失態により無実の皇太子達を殺したことをうすうす感じています。それが四月です。そしてすぐ後十二月に寵愛する武惠妃が死に、なんのために・・・という思いで一杯でした。その後迷った末、開元26年宦官高力士の勧めで年長の忠王璵を皇太子としました。宰相李林甫は不満でいろいろと策動しますが。小心な璵を力士達が擁護し守り抜きます。しかも武惠妃の後に寵愛された楊貴妃には子が生まれません。そのため安禄山の乱が起きる天寶14年まで位を保つことができました。乱により玄宗は山西から劍南に遁走しましたが、皇太子は朔方へ別れて防戦を命じられました。ろくに取り巻きも与えられなかった璵は、北へ奔り朔方節度使の幕僚達に擁立されて即位します。もともと真面目で小心なだけですから宦官[李輔國]や女[張妃]と、好機とみて活動する中級官僚の裴冕・杜鴻漸等の傀儡として揺れ動くわけです。
玄宗は自分の失態により無実の皇太子達を殺したことをうすうす感じています。それが四月です。そしてすぐ後十二月に寵愛する武惠妃が死に、なんのために・・・という思いで一杯でした。その後迷った末、開元26年宦官高力士の勧めで年長の忠王璵を皇太子としました。宰相李林甫は不満でいろいろと策動しますが。小心な璵を力士達が擁護し守り抜きます。しかも武惠妃の後に寵愛された楊貴妃には子が生まれません。そのため安禄山の乱が起きる天寶14年まで位を保つことができました。乱により玄宗は山西から劍南に遁走しましたが、皇太子は朔方へ別れて防戦を命じられました。ろくに取り巻きも与えられなかった璵は、北へ奔り朔方節度使の幕僚達に擁立されて即位します。もともと真面目で小心なだけですから宦官[李輔國]や女[張妃]と、好機とみて活動する中級官僚の裴冕・杜鴻漸等の傀儡として揺れ動くわけです。