----------------------------------------
夏侯端
-----------------------------------------
梁左僕射詳の孫。
隋大理司直となり李淵[高祖]と親交があった。
大業中
李淵が河東の討賊をしたときには、端が副であった。
そして煬帝の乱政を批判し淵に決起を勧めた。
反乱が起こったとき端は河東郡にいて,淵との関係を疑われて捕らえられ長安の獄に囚された。
淵が長安を陥すと、秘書監に任ぜられた。
武德二年四月
大將軍を加えられ持節河南道招慰使として關東の地を招諭に派遣された。
十月
黎陽から澶水黄河を渡り海に至まで二十余州を招撫送款させた。
しかし亳州刺史丁叔則や汴州刺史王要漢が王世充についたため、中間を遮断された。
端は衆心を得ており所從が二千人もいたが、孤立したため逃走し大半を失った。
やっと杞州李公逸にたどりついたが、世充勢力に包囲され、世充は淮南郡公吏部尚書として招いた。
しかし端は降らず、間道を抜け艱難辛苦して数人だけが帰り着いた。
高祖はただ秘書監に復しただけであった。
武德末~貞觀元年
梓州刺史
俸給は私有せずみな孤児寡婦に施していた。
貞觀元年
卒した
夏侯端
-----------------------------------------
梁左僕射詳の孫。
隋大理司直となり李淵[高祖]と親交があった。
大業中
李淵が河東の討賊をしたときには、端が副であった。
そして煬帝の乱政を批判し淵に決起を勧めた。
反乱が起こったとき端は河東郡にいて,淵との関係を疑われて捕らえられ長安の獄に囚された。
淵が長安を陥すと、秘書監に任ぜられた。
武德二年四月
大將軍を加えられ持節河南道招慰使として關東の地を招諭に派遣された。
十月
黎陽から澶水黄河を渡り海に至まで二十余州を招撫送款させた。
しかし亳州刺史丁叔則や汴州刺史王要漢が王世充についたため、中間を遮断された。
端は衆心を得ており所從が二千人もいたが、孤立したため逃走し大半を失った。
やっと杞州李公逸にたどりついたが、世充勢力に包囲され、世充は淮南郡公吏部尚書として招いた。
しかし端は降らず、間道を抜け艱難辛苦して数人だけが帰り着いた。
高祖はただ秘書監に復しただけであった。
武德末~貞觀元年
梓州刺史
俸給は私有せずみな孤児寡婦に施していた。
貞觀元年
卒した