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程名振
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隋大業末
竇建德に仕えて普樂令で能政と評価されていた。
武德四年
建徳を離れて唐に帰属し永寧令となった。
河北を経略し鄴縣を侵した。
建徳平定後永寧令に復した。
五年正月
劉黑闥が洺州を陥すと刺史陳君賓とともに逃れたが、母や妻は捕まった。
三月
世民[太宗]に従い黑闥の冀、貝、滄、瀛等州を荒らして糧道を断ったため、黑闥は怒りその母妻を殺した。
七年
黑闥平定後、營州都督府長史封東平/東郡公
貞觀十八年
洺州刺史
十一月
太宗の高句麗征討時に進言し、右驍衛將軍平壤道行軍總管。
十九年
少数の兵で沙卑城を攻め、獨山陣を破り名将とうたわれた。
永徽六年
營州都督兼東夷都護。
高麗を貴端水で破り、新城を焚した。
顯慶四年
晉州刺史
顯慶五年
蒲州刺史
顯慶五年十二月
鏤方道總管討高麗
右驍衛大将軍上柱国
龍朔二年
卒,贈右衛大將軍,諡曰烈。
程名振
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隋大業末
竇建德に仕えて普樂令で能政と評価されていた。
武德四年
建徳を離れて唐に帰属し永寧令となった。
河北を経略し鄴縣を侵した。
建徳平定後永寧令に復した。
五年正月
劉黑闥が洺州を陥すと刺史陳君賓とともに逃れたが、母や妻は捕まった。
三月
世民[太宗]に従い黑闥の冀、貝、滄、瀛等州を荒らして糧道を断ったため、黑闥は怒りその母妻を殺した。
七年
黑闥平定後、營州都督府長史封東平/東郡公
貞觀十八年
洺州刺史
十一月
太宗の高句麗征討時に進言し、右驍衛將軍平壤道行軍總管。
十九年
少数の兵で沙卑城を攻め、獨山陣を破り名将とうたわれた。
永徽六年
營州都督兼東夷都護。
高麗を貴端水で破り、新城を焚した。
顯慶四年
晉州刺史
顯慶五年
蒲州刺史
顯慶五年十二月
鏤方道總管討高麗
右驍衛大将軍上柱国
龍朔二年
卒,贈右衛大將軍,諡曰烈。