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李襲志 字重光
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父は隋台州刺史安康郡公敬猷。
襲志は隋始安郡丞[桂州]となった。
大業末
群盗が各地で蜂起し、襲志は私財を散じて兵三千人を召募し、郡城を守った。
蕭銑、林士弘、曹武徹等が相継いで攻撃してきたが、隋臣として耐えていた。
しかし煬帝が弑逆されると、郡人は襲志に自立を勧めた。
襲志は「私はあくまで隋臣でいる、自立はしない」と宣言した。
しかし固守すること二年で蕭銑に屈服した。銑は襲志を工部尚書檢校桂州總管とした。
武德初
唐高祖は襲志の子玄嗣を派遣し帰服を勧めた。そこで襲志は密かに嶺南首領永平郡守李光度とともに唐に附いた。
武德四年十/十一月~五年
蕭銑が平定され、江南道大使趙郡王孝恭は来降した襲志を桂州總管とした。
武德五年
入朝し、柱國封始安郡公江州都督となった。
輔公祏の反乱を水軍總管として討った。
武德七年~貞觀中
桂州都督に転じた。
襲志は前後28年間桂州を統治し、嶺外を安撫した。
後入朝を請い、右光祿大夫行汾州刺史致仕となった。
?年卒した
李襲志 字重光
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父は隋台州刺史安康郡公敬猷。
襲志は隋始安郡丞[桂州]となった。
大業末
群盗が各地で蜂起し、襲志は私財を散じて兵三千人を召募し、郡城を守った。
蕭銑、林士弘、曹武徹等が相継いで攻撃してきたが、隋臣として耐えていた。
しかし煬帝が弑逆されると、郡人は襲志に自立を勧めた。
襲志は「私はあくまで隋臣でいる、自立はしない」と宣言した。
しかし固守すること二年で蕭銑に屈服した。銑は襲志を工部尚書檢校桂州總管とした。
武德初
唐高祖は襲志の子玄嗣を派遣し帰服を勧めた。そこで襲志は密かに嶺南首領永平郡守李光度とともに唐に附いた。
武德四年十/十一月~五年
蕭銑が平定され、江南道大使趙郡王孝恭は来降した襲志を桂州總管とした。
武德五年
入朝し、柱國封始安郡公江州都督となった。
輔公祏の反乱を水軍總管として討った。
武德七年~貞觀中
桂州都督に転じた。
襲志は前後28年間桂州を統治し、嶺外を安撫した。
後入朝を請い、右光祿大夫行汾州刺史致仕となった。
?年卒した