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郭孝恪
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一族は無頼で、隋末の反乱に部落民数百を率いて李密の党に参加した。
徐勣[李勣]麾下で黎陽を守るが、密が敗北し唐へ亡命した。
武德元年十一月
勣は自らも孝恪を派遣し唐へ帰属、長史孝恪も封陽翟郡公.宋州刺史となった。
二年十一月
竇建徳は黎陽を陥し、李勣は降ったが孝恪も従った。
三年正月
李勣は唐に復帰し孝恪も従った。
十月
世充榮州刺史魏陸を誘降した。
四年三月
竇建德が王世充支援に来襲した時、世民[秦王]に献策し功績をあげた。
貞觀初
貝州刺史
趙州刺史
貞觀三年以降
江州刺史
涇州刺史 すべて能政
太府少卿
左驍衛將軍
十六年
涼州都督
十六年九月~二十三年
金紫光祿大夫行安西都護西州刺史。
高昌国の後をうまく統治し唐地とした。
西突厥乙毘咄陸可汗を撃破する。
十八年八月~十月
安西道行軍總管として率步騎三千で焉耆を撃ち、王龍突騎支を捕らえた。
二十一年十二月~二十二年一月
阿史那社爾、契苾何力らと、昆丘道副大總管として龜茲を撃ち、都城を陥したが、反乱が起き子待詔とともに戦死した。
將軍曹繼叔が征圧した。
豪奢を好み陣中でも床帳を完備していた。
太宗は一旦その失態を怒り奪官したが、その死を哀れんで復した。
高宗即位
追贈安西都護、陽翟郡公
郭孝恪
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一族は無頼で、隋末の反乱に部落民数百を率いて李密の党に参加した。
徐勣[李勣]麾下で黎陽を守るが、密が敗北し唐へ亡命した。
武德元年十一月
勣は自らも孝恪を派遣し唐へ帰属、長史孝恪も封陽翟郡公.宋州刺史となった。
二年十一月
竇建徳は黎陽を陥し、李勣は降ったが孝恪も従った。
三年正月
李勣は唐に復帰し孝恪も従った。
十月
世充榮州刺史魏陸を誘降した。
四年三月
竇建德が王世充支援に来襲した時、世民[秦王]に献策し功績をあげた。
貞觀初
貝州刺史
趙州刺史
貞觀三年以降
江州刺史
涇州刺史 すべて能政
太府少卿
左驍衛將軍
十六年
涼州都督
十六年九月~二十三年
金紫光祿大夫行安西都護西州刺史。
高昌国の後をうまく統治し唐地とした。
西突厥乙毘咄陸可汗を撃破する。
十八年八月~十月
安西道行軍總管として率步騎三千で焉耆を撃ち、王龍突騎支を捕らえた。
二十一年十二月~二十二年一月
阿史那社爾、契苾何力らと、昆丘道副大總管として龜茲を撃ち、都城を陥したが、反乱が起き子待詔とともに戦死した。
將軍曹繼叔が征圧した。
豪奢を好み陣中でも床帳を完備していた。
太宗は一旦その失態を怒り奪官したが、その死を哀れんで復した。
高宗即位
追贈安西都護、陽翟郡公