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鄭善果
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父誠は周大將軍開封縣公として戦死した。
善果は九歲で襲開封縣公となった。
隋開皇初
進封武德郡公。
14才で沂州刺史。
魯郡太守で有能清廉だった。
大業十二年頃
大理卿
突厥が煬帝を雁門に囲んだ時、解囲の功績で右光祿大夫。
江都に従い宇文化及の弑逆後、民部尚書
武徳二年
聊城に従い竇建徳に捕まり責められ冷遇された。
逃亡して相州に入り淮安王神通に帰した。
高祖は厚遇して太子左庶子検校内史侍郎更封滎陽郡公。
皇太子に誠実に仕えた。
二年冬
未幾,太子左庶子兼檢校大理卿兼民部尚書。
三年
坐事免。
四年五月
山東が平定され、持節為招撫大使。
人事登用に失策があり除名。
武德末
禮部尚書
刑部尚書
貞觀元年
岐州刺史 →坐事免
三年
江州刺史
卒 61才