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張士貴/忽峍
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父國は県主簿.参軍。
強力で騎射に優れていた。
大業末に盗賊となり、各地を荒らし、「忽峍賊」と号した。
義寧二年/武德元年四月
李淵[高祖]が招くと弘農賊より帰附して右光祿大夫。
通州刺史
馬軍総管として薛仁杲征討に従い封新野縣公。
二年
世民[太宗]麾下で劉武周と戦った。
三年~四年
王世充・竇建徳征討に従い、虢州刺史。秦王府将軍。
四年十二月
右武衛/武侯将軍として劉黒闥に相州で敗れ奔る。
九年六月
玄武門の変[太子建成殺害]に参加した。
進封虢國公、右屯衛大將軍。
貞觀七年五月
雅州道行軍總管として反した獠を討った。
太宗はその勇敢さを讃えた。
八月
侵攻してきた東酉洞獠を龔州道行軍總管として討った。
八年正月
東酉洞獠を平定した。
十五年
慶州道行軍総管として、李勣等と薛延陀を防いだ。
十五年~十六年
検校夏州都督
十一月
蘭州都督
十七年~十八年
幽州都督
十八年十一月
張亮・馬周麾下で高句麗を征討した。
二十二年九月
茂州都督として反した眉邛雅三州獠[高句麗遠征のための造船使役に苦しんだ]を討った。
輔國大将軍左領軍大將軍。
顯慶初
卒,72才.贈荊州都督,陪葬昭陵。