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虞世南 字伯施
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隋內史侍郎世基の弟。父荔は陳太子中庶子で共に有名だった。
叔父陳中書侍郎寄の養子となった。
性格は沈靜で寡欲であり勉学に励み博学を謳われた。
丁父後建安王法曹參軍となった。
至德初
西陽王友。
陳滅
世基とともに隋に仕えて有名であった。
煬帝に気に入られ、大業初,秘書郎から起居舎人となった。
世基は寵臣となり富貴を極めていたが、世南は同居してはいるが勤儉で質素で昇進しなかった。
宇文化及が煬帝を弒逆した時、世基は殺されたが、世南には害は及ばなかった。
化及に従い聊城に至り、竇建德に捕らえられて黃門侍郎になった。
竇建德が亡ぶと、世民[太宗]は秦府參軍とし、記室弘文館學士に転じ房玄齡と共に文翰を分掌した。
世民が皇太子となると太子中舎人となり、即位後は員外散騎侍郎.著作郎兼弘文館學士となった。
世南はすでに老齢で致仕を求めたが許されず、太子右庶子に任ぜられるが拝辞し、秘書少監。
貞觀七年
秘書監,封永興縣子。
八年
進封永興縣公。
太宗は世南の博識を重んじ、談論し經史を学んだ。
世南は温容に見えたが、学問には厳正で、帝政得失や規諷を論じた。
高祖が崩じ、山陵制度を論議した。
十二年
又致仕を求め許されて銀青光祿大夫弘文館學士。
尋
卒 81才 陪葬昭陵,贈禮部尚書,謚曰文懿。