東宮[皇太子]の官属で最も重視されていたのが太子庶子
武徳末から高宗・則天時までは要官として、宰相にも多く兼任された。
安史の乱以降は軽視され、待機や隠居官となった。
初期は東宮の宰相格で、太子が即位すると続々と昇進して宰相や高官
となる昇進コースであり、宰相にとっては東宮への足がかりとなって
いた。官格位としては「正四品」である。左右についても尚書左右丞
と同じように職掌が分割されているのだが、極めていいかげんな記録
しか残っていない。
武徳末から高宗・則天時までは要官として、宰相にも多く兼任された。
安史の乱以降は軽視され、待機や隠居官となった。
初期は東宮の宰相格で、太子が即位すると続々と昇進して宰相や高官
となる昇進コースであり、宰相にとっては東宮への足がかりとなって
いた。官格位としては「正四品」である。左右についても尚書左右丞
と同じように職掌が分割されているのだが、極めていいかげんな記録
しか残っていない。