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入間航空祭~「クルーとパイロット」

2012-11-25 | 自衛隊

続いてふたたび入間航空祭です。
写真は、帰投のため滑走路を移動しているT-400のノーズ部分だけ。
この機体番号から、どうやら

美保基地の第3輸送航空隊、第41教育隊のT-400

ではないかと検討を付けました。
教育隊所属なのは、これが初等練習機だからでしょう。
この時間から美保、つまり鳥取まで帰るのか?と一瞬思ったのですが、
調べてみればこのT-400、東京大阪間を35分で行ってしまうそうで・・・。
小一時間後には美保基地に到着しているというわけですね。



C/C K.KAWANABE。
気が付けばどの機にもこのようなネームが。
今まで気づきもしなかったこういうところに目が行くようになったというのも、
航空祭での大きな収穫の一つです。
これというのもズーム力に優れたカメラで撮った画像のおかげ。
そしてなによりご指導くださった皆さまのおかげでございます。

冒頭写真のコクピットの人影、パイロットかエンジニアかはわかりませんが、
白い手袋をつけた手を振っています。
この航空祭のような場合でなくても、帰投の時、搭乗員はこのように手を振るのかしら。
地上は帽触れで送るわけだから、きっとするんだろうなあ。

この日、初めて航空基地で軍用機を大量にこの目で見たのですが、
実際に見て本当によかった、と思えたのがこういう風景なんですよ。
航空機を駆っているのが間違いなく人であると感じる瞬間です。




OH-1の帰投寸前まで、こうやって横に立っていた陸自の隊員。
わかりませんが、点検作業の一環でしょうか。
そして、機体の向こう側にも同じ位置にもう一人立っているのが足だけ見えています。



こちらはフライング・エッグがいよいよタキシング・・・・と言っても
このヘリはいきなりこの位置からふわっと飛び上がって去って行ったわけですが、
そのとき、隊員の膝には、なぜかこのようなものが目撃されました。

どうみても・・・これは・・・・・・ビニール袋にはいったお菓子?

この機がこれから三重まで帰るとして(明野のヘリかどうかは確認してませんが)、
こういうとき機内でお菓子を食べるのは、アリ?
「基地につくまでが航空祭」ということなら飲食不可だと思いますが・・・。
それとも、単なるお土産?

それ、お菓子ちゃう、飛行マニュアルや!というような確信に満ちた情報をお持ちの方、
おられましたらコメントお待ちしております。



これも帰投直前の陸自ヘリのコクピット。
コードのようなものになぜ洗濯バサミが挟んであるのか、気になる・・・・。
メモ挟みかな。




バードストライクで演技中止になったブルーインパルスですが、地上でずっとクルーが周りを囲み、
なかなか興味深い光景が展開しており、ある意貴重なものが見られたと思います。
その、問題の二番機アップ。
なぜか機体に2とか3とか書いてありますね。
車のボンネットに相当するのがここかな。

機体の下にはかがみこんで下から機体を点検するクルー。
花束を持っている人は、ラストフライトのパイロットのためにこれを持ってきた人のようです。
そしてほかの機を降りて、事故機を見に来たパイロットの姿もありますね。
ちなみに二番機の里見三佐(らしき人物)は、この画像より右側におられます。




こんなところも開くのね・・・。
時間が長引けば整備する人も大変辛そうな箇所ではあります。
おそらくシスティナ礼拝堂の天井画を描いたミケランジェロ並みの苦労でしょう。

先ほど開いていたハッチがこの写真では閉まっていますが、
閉めてしまえば遠目ではどこにあるのかもわかりません。
こういうハッチは絶対に手では開けられないんでしょうね。
飛行中に何かのはずみで開いてしまわないように。






おおお、日の丸の下にもハッチがある!
さすがに極限までアップにしても、ここに何があるのかまではわかりません。

ところで、わたしの写真の撮っていたのと反対側にバードがストライクしたわけですが、
いろいろこの日の事故について画像検索していると、
鳥はエアインテークに吸い込まれたのではなく、ノーズの左側20センチのところに激突したらしい、
ということがわかりました。
駐機している二番機の左側から撮られた画像がいくつか見つかりましたが、
なんと継ぎ目がはがれ、少しではありますが凹みがあり、さらに血と思しき赤い汚れが見られました。

ということはバードを跳ね飛ばしてしまった、という事故だったわけですね。
はねたそのご遺体はいったいどこへ・・・・・・・。

気の毒なこの鳥さんは、スズメとかではなく、結構大型だったのでしょうか。
鳥が当たったくらいで機体があんなに傷つくというのも驚きですが、
それによって、電気系統に少しとはいえ異常があったというのは・・・・・。
知れば知るほど不思議な事故ではあります。

わたしの隣にいた方が二番機の遅れを指摘していた、ということを書きましたが、
もしかしたら、ぶつかったのはそのときだったのでしょうか?




ともあれ、この事故がなければ見られなかったこれらの光景ですが、
ブルーインパルスのチームとは、「ドルフィンクルー」と呼ばれる整備員も含めてのことであり、
花形であるパイロットの華麗な演技も、クルーなくしてはあり得ないということを
目の当たりに確認することができ、実は幸運だったともいえます。

自衛隊機に限ったことではありませんが、飛行機というものは生身の人間を乗せて飛び、
ときとしてその調整や整備のミスが命に直結する事故となります。

噂の範疇を出ませんが、自衛隊で起こった過去の墜落死亡事故の中に、

「パイロットが非常に傲慢で、整備員につらく当たるので、
その仕返しに墜落するような細工をされた」

というものがあるのだそうです。
もちろん都市伝説のたぐいで愚にもつかない与太話だと信じたいのですが、
飛行というものがいかに飛ぶ人間と飛ばせる人間の共同作業であるか、
そしてその両者の間にはいかに緊密な信頼関係が構築されているべきかを物語る話です。

旧軍のパイロット、たとえば母艦搭乗員の日高盛康少佐などは、
回顧録でなんども
「わたしがこうして戦後まで生きているのもひとえに整備員のおかげ」
と語っていました。
戦闘や事故などで同僚や部下失われていく中、それでも生き残ったのは
運以外の何物でもないというしかないあの戦争を経てさえ、
感謝すべきは整備員だった、というこの元搭乗員の言葉には重みがあります。

T-33練習機の事故について書いたとき、こんな話を目にしました。

二人のパイロットが、すでに脱出できる最低高度をはるかに下回る事故機から、
それでも射出装置を使って離脱したのはなぜだったのか。

もちろん、そのまま乗っていれば、確実に機とともに地面に激突するのですから、
万に一つでも生存の可能性のあるベイルアウトを選ぶのは人間としての本能でもあったでしょう。
しかし、ある自衛官はこのように言ったそうです。

このような事故が起こったとき、誰よりも自責の念に身を苛まれ、
激しく苦悩するのは、その機を整備した整備員である。
ただでさえ彼らは事故機の点検整備に落ち度があったのかもしれないと後悔し、
原因がわかるまで、懊悩するのである。
もしベイルアウトしないまま地面に激突したとしたら、
射出装置があるいは故障していたのか、とそこに新たな整備員の憂慮を生むであろう。
だからこそ、彼らはためらうことなくベイルアウトしたのだ。

そんな命のぎりぎりの場において、
パイロットがクルーにかける心配まで斟酌するものだろうか?
これはわたしたち一般人の考えです。

しかし、前述の言葉が自衛官の口から語られたことにもう一度思いをやれば、
当事者同士にしかわからない、共振ともいうべき一体感が
どうやらパイロットとクルーの間にはあるのかもしれないという気がしてくるのです。