皇后陛下:美智子さまは今日、75歳のお誕生日を迎えられました。
産経ニュース報道によれば、皇后さまは、1年ほど前に世界的な金融危機が生じ、日本でも多くの人が職を失うなどの影響が出たことを「この1年、最も案じられたことでした」と感想を述べられています。
更に、オバマ大統領が核兵器廃絶を訴えた「プラハ演説」にも言及されて、「被爆国である日本は、このことに対し、国際社会により広く、より深く理解を求めていくことが必要ではないかと考えています」との思いを示されています。
宮内庁によると、皇后さまのお立場でこの1年になさった公務は400件に上ったようです。このうち、地方への公務なご訪問は7府県9回で、7月には2年ぶりの外国ご訪問(カナダ、ハワイ)も果たされました。
・皇后陛下お誕生日に際してのご近影(お写真)です。(宮内庁HPより)
「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の吾妻における入水の物語
さて、皇后陛下:美智子さまは、国際児童図書評議会名誉総裁に就かれ、その特徴あるご活動として、児童への図書普及への取り組みをされています。
1998年には、インドで開催された国際児童図書評議会における、ビデオによる基調講演の「子供時代の読書の思い出」では、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃
「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の、吾妻における入水の物語などを引用して、ご成婚以来のその胸中を語り、世界中に大反響を呼んだことがありました。
その講演内容は『橋をかける』という題名で、各国に出版されたそうです。
引用された「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の吾妻における入水の物語の概要とは次のような内容です。
『弟橘比売(おとたちばなひめ)」は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后で、尊の東征に同行します。
走水(はしりみず)の海(現在の浦賀水道)に至った時、尊の軽はずみな言動が海神の怒りを招き、海は荒れ狂い、先に進むことが不可能となりました。
海神の怒りを解くため、弟橘比売は「私は夫である皇子の身に代わって海に入水します。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じて浪の上に菅畳、皮畳、絁畳を
各八重敷いてその上に座って入水しました。
すると、波が穏やかになり船を進めることが可能となりました。
彼女が持っていた櫛は7日後、海岸に流れ着きました。
現在の東京湾沿岸には、こゆるぎという地名や袖ヶ浦、袖ヶ浜などという地名が多くありますが、これは弟橘比売の帯や袖が流れ着いたという伝説に基づいて
名付けられたといわれています。
弟橘比売を忘れることができない尊は、碓日嶺(うすひのみね)(現在の碓井峠)において「吾妻はや(我が妻よ)」と嘆いたそうです。
日本の東部を「あずま)」と呼ぶのは、この故事にちなむといわれています』(ウィキペディアより)