らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

四国旅行(その9)琴平町・金毘羅さん(2)

2010-12-08 | 旅行
四国の旅行シリーズ9回目の今日も、昨日に続き「金毘羅宮」をご紹介します。

「本宮」
金毘羅宮には「大物主神」と「崇徳天皇」がお祭りされています。

(参考)
「大物主神(おおものぬしのかみ)」
大物主神は、瀬戸内海の海水が深く湾入し、潮が常に山麓を洗う湾奥に横たわる良き碇泊所であったこの琴平山に行宮(あんぐう:仮宮)を営まれ、中国、四国、九州の統治をされ、その行宮跡に大神を奉斎されたと伝えられています。
大物主神は、国造りの神様として、五穀豊穣や産業、文化などの繁栄と、国や人々の平安を約束してくれる神様と言われています。

「崇徳天皇(すとくてんのう:1119~1164))」
崇徳天皇(在位1123~1141)は、鳥羽天皇の第一皇子として誕生され、後に第75代天皇として即位されましたが、即位から18年後(1156年)に起きた保元(ほうげん)の乱に敗れて讃岐の地に配流(はいる)された悲劇の天皇として、歴史の中で語り継がれてきました。
都から讃岐の地に移られて後、金刀比羅宮を深く敬われ、9年の歳月の間には幾度となく金刀比羅宮へ参拝されたそうです。
配流(はいる)されてから9年後の長寛2年(1164)に、上皇は病に倒れ、ついに帰京の夢を果たすことなく讃岐の地で崩御(ほうぎょ)されました。御年46歳でした。
崇徳上皇とのこのような深い縁から、金刀比羅宮では上皇が崩御された翌年の永万元年(1165)に上皇の神霊をひそかにお宮にお迎えしたそうです。

・「大物主命」と「崇徳天皇」をお祭りしている金毘羅宮の本宮です。


「神楽殿」
神楽殿は祭典の伶人楽や雅楽を奏する所で、この建物は入母屋造・檜皮葺となっています。


「絵馬殿」
絵馬殿には、各地から祈願報賽のために奉納された無数の絵馬が掲げられています。もともとは、生きた駿馬を神に奉納したのが始まりだそうですが、、後に、絵に描いた馬、つまり「絵馬」を奉げるようになったといわれています。
さらに、馬ばかりではなく、武者絵や美人画の絵馬も現れるようになりました。ほかにも、金刀比羅宮は航海安全祈願の信仰を集めていることから、特に船の絵馬が多くみられます。
絵馬殿の中に展示されているヨットは、昭和37年に日本人で初めてヨットで太平洋を横断した堀江謙一さんが奉納した”アルミ缶リサイクルソーラーボート”が展示されており、南米エクアドルから東京まで航海をしたと説明されています。

・絵馬やボートが展示されている絵馬殿です。


「神馬(しんめ)」
「神馬(しんめ)」は、神様がお乗りになるための馬で、神社に奉納する馬のことを言います。
生馬を奉納することができない時には「神馬(しんめ)」を鋳造したり、木や土で馬型を造り献納します。更に、額に馬の絵を描いて献納することもありますが、これが後に絵馬へと変遷したそうです。
金毘羅宮ではこの「御厩」で「神馬(しんめ)」を飼養しています。

・「御厩」に育養されている神馬の「月琴号」です。馬年齢は5歳、人間年齢推定30歳と言われています。


「桜馬場西詰銅鳥居(黄色の横幕:しあわせさん こんぴらさん)」
大門から150メートル程続く石畳の道は、桜馬場と呼ばれています。平坦な桜馬場を進み、青銅の鳥居をくぐって石段を数十段のぼると、正面に特に大きな鳥居が現れます。
これが「桜馬場西詰銅鳥居」です。
元は高燈籠の東側にあったものを、大正元年(1912)に力士の12代目朝日山四郎右衛門が現在の場所に移設して修復したそうです


・「桜馬場西詰銅鳥居」です。