四国の旅行シリーズも15回目となりました。今日は美馬市の「寺町(その1)」を紹介します。
美馬市には、「安楽寺」、「林照寺」、「西教寺」、「願勝寺」、「常念寺」等、遙か昔から、人々が安全で平穏な生活を、御仏に祈って来た悠久の時間が流れる「寺町」があります。
今日はその中から「安楽寺」と」「願勝寺」をご紹介します。
「安楽寺」
安楽寺」は、江戸時代には四国における浄土真宗の最古、最有力の寺であったそうです。豪壮な山門が朱塗りであることから、[赤門寺]の名で近郷近在の人々に親しまれ、寺のシンボルとなっています。
この朱塗りの重層門は、徳島県下で「五大門」の一つに数えられているそうです。
(参考)
重層門とは、二層・三層の重層構造の門をいい、徳島県の「五大門」とは次の門を言っています。
・徳島市の「丈六寺」〈曹洞宗〉の三門
・土成町の「熊谷寺」〈真言宗 四国霊場8番〉仁王門
・山川町の「高越寺」〈真言宗〉の山門
・池田町の「箸蔵寺」〈真言宗〉の大門
・美馬町の「安楽寺」〈浄土真宗〉の山門
・国登録有形文化財に指定されている丹塗りの二重門で、江戸時代中期に建築された朱塗りの山門です。鮮やかな朱色が目を引きます。
安楽寺は浄土真宗・本願寺派のお寺で、千葉山・妙音院「安楽寺」といいます。
このお寺は、鎌倉時代には天台宗の真如寺(平安時代頃建立)でしたが、鎌倉中期の1259年(正元元年)に関東の豪族であった千葉彦太郎常重が入寺し、浄土真宗の安楽寺に改められました。
更に、阿波の守護職、小笠原氏・細川氏・三好氏の各国主と姻戚関係を結び、庇護をうけて寺勢を拡張し、阿波・讃岐・淡路の各地に寺院を創立して四国における最古、最有力の真宗寺院として栄えたそうです。
現在の本堂は昭和13年に再建され、隣接している本格的な能舞台では毎年秋に能が演じられているそうです。
・本堂です。
・鐘楼です。
「願照寺」
「願照寺」は真言宗・御室派のお寺で、宝壷山・真城院「願勝寺」といいます。
お寺の由来については次のように伝えられています。
奈良時代に忌部五十麿(いんべいそまろ)が祖父の菩提を弔うために、阿波上郡に方壺山維摩寺(ゆいまじ)を建立しました。
平安時代、藤原信西(しんぜい)の娘 阿波内侍(あわのないじ)が崇徳天皇に仕えて、大変可愛がられていましたが、 第77代後白河天皇(崇徳天皇の弟)の御代に保元の乱(1156年)が起こり、崇徳上皇側が破れ、
崇徳上皇は讃岐(香川県)に流されて1164年の8月、讃岐の地に46歳で崩御された。
阿波の内侍はこれを聞いて悲嘆にくれ、仏門に入り比丘尼(びくに)となり、館を改め寺とし、上皇のご冥福を祈りました。その寺が京都の願勝寺であったそうです。
内侍尼は了海上人(りょうかいしょうにん)に託して、京の願勝寺を母の生国である阿波に移し、維摩寺改め願勝寺としました。 これが現在の願勝寺の始まりと言われています。
(参考)
比丘尼(びくに)とは、出家して具足戒を受けた女子のことで、いわゆる尼僧のことです。
・願勝寺の山門です。
・願勝寺の本堂です。この裏には有名な「枯山水の庭園」が見られます。

・願勝寺の鐘楼です。
