新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収まりません。
国内の感染者数はクルーズ船を含め、17日午後6時30分時点で1547名、前日比33名の増加となっています。
有効なワクチンが見いだせていない現在では不要不急の外出を控え、手洗い、うがい、マスクの着用など、自己防衛に万全を尽くすしか方法がありません。
そして、毎日体温を測り、37.5度以上になった時や風邪気味の時には感染を疑い、早めに検査を受けるなどして、感染にはくれぐれも注意していただきたいと思います。
さて、体温を測ると言えば体温計ですが、いつ頃、誰によって発明されたのでしょうか?
今日は体温計について調べました。
「体温計の発明」
調べてみて驚きました。
体温計は1609年にイタリアの医師によって考案されたのですが、1609年と言えば、日本では関ヶ原の戦が終わって、江戸に幕府が開かれた江戸時代初期の頃です。
この4年後には大坂冬の陣が起こり、徳川と豊臣が覇権をかけて争っているその時代に、イタリアでは人類の健康には欠かせない健康器具・体温計が発明されていたのです。
考案したのはイタリアの医師サントリオです。
彼は、ガリレオによる気体の熱膨張を応用した温度計に触発を受けて1609年に作ったのですが、これが世界初の体温計だということです。
その仕組みは、蛇行するガラス管の一方を球型に加工し、もう一方を水入りの容器に入れるという単純な構造のものでした。
ガラス球を口に含むことで内部の空気が膨張し管内の水位を押し下げる度合いを目盛りで読み、それで体温を測りました。
それまでは手のひらの感覚だけで体温をみていましたが、サントリオは数量的に把握しようとしたのでした。
しかし、このときはまだ正確には測定できず、その臨床的意義もあいまいなものだったようです。
・これがサントリオが発明した体温計です。(ネットより)
「サントリオとは」
サントリオはイタリアの医学者です。
彼は食べた食物が体の中でどうなるかをつきとめようとして自分自身をハカリにかけて様々な実験を試みました。
その方法は、大きなハカリに乗って体重を計り、つぎに食事をとって計り、また自分の糞尿などの排泄物の重さも計りました。
その結果、排泄物の重さが摂取したものの重さより少ないことを知り、また、時間がたつにつれて体重が減ってくることにも気づきました。
彼はこの重さの変化を「食物が汗のようなものに変わったため」と考え、「8ポンドの食物を摂取すれば通常、目に見えない発汗量は5ポンド」と説きました。
一説によれば、彼はこの実験を30年間も続けたと言われています。
この執拗な計量の実験は科学的近代医学の礎となったということです。
・サントリオのハカリです(ネットより)
「初めての水銀体温計」
初めて水銀体温計が考案されたのは1866年です。
1860年当時の体温を測る温度計は長いものだったので、これを用いて体温を測ると20分もの時間がかかったようです。
このため、1866年にイギリスのトーマス・クリフォード・アルバットが軸を短くして、より使い易い形にした、いわゆる最近までよく使われていたガラス製の小型平型の懐中体温計を作りました。
更に、同じ年の1866年にはドイツのC.エレールによって水銀体温計が考案されたのだそうです。
これらの研究・発明を契機に医療業界において体温の測定と体温計が普及することになったと考えられています。
「日本では」
一方、日本では、体温計は明治以降にドイツやイギリスから輸入され、明治時代半ばには国産化に成功しましたが、あまり品質は良くありませんでした。
更に、第一次世界大戦の影響で海外から体温計の輸入ができなくなってしまったことから、「近代医学の父」と呼ばれた医学界の重鎮「北里柴三郎」が発起人となり、1921年に体温計の会社(現テルモ)を設立し、温度計の開発が始まりました。
大正末期には一般家庭にも普及し始めたそうです。
その後、1984年にテルモから発売された「テルモ式電子体温計」は1分程度で体温を計測することができることから医療の現場や一般家庭にも普及し、現在に至っているということです。