らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

縄文時代の耳飾り

2022-05-16 | 雑学

昨日のNHKのど自慢は函館市が開催地でした。
放送の冒頭で開催地を紹介するのですが、昨日は函館の縄文遺跡を紹介していました。
この遺跡は2021年7月27日に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されているものです。

縄文遺跡群は豊かな精神文化を持っていた縄文人の生活を今に伝える存在として、世界から注目が集まっており、各地の縄文遺跡の出土品の中には土器だけでなく多種多様な装身具が発見されています。
その中の一つにピアス(当時は耳飾)がありますので、今日は縄文時代の耳飾りを調べてみました。

縄文の耳飾り」
縄文前期には「けつ状型耳飾り」が現れ、後期になると土をこねて「耳栓型」や「滑車型」にして焼き上げた耳飾りが作られていました。
透かし模様などの入った芸術的な作品も多く見られるという事です。
ただ、これらは日常生活の中で誰もが気軽に身につけていたとは考えにくく、現在のようにおしゃれをするためだけのものではなく、呪物の機能を持っていたことや、男女の区別を強調するための用具だったのだろうと考えられているそうです。
縄文時代の耳飾は現代のピアスと同じように 耳たぶに穴をあけて使用していたそうです。

・滑車形(かっしゃがた)耳 飾り
 滑車のような丸い形をした耳飾です。多くは土製ですが、骨・鹿角(ろっかく=鹿の角)・木製もあります。
 直径約1㎝~10㎝と様々なサイズがあり、特に小さいものは耳栓(じせん)ともいいます。

・滑車型耳飾りです(ネットより)


・玦状耳飾り(けつじょうみみかざり)
 平たく丸い石に一ケ所だけ切れ目が入った耳飾です。
 縄文時代の前期(今から 6500 年前)から作られるようになり、北陸・北信地方が一大生産地となって全国に広がりました。
 縄文時代後期(今から4000 年前)以降は作られなくなったようです。

「けつ状耳飾」の「けつ」とは、中国の河姆渡文化(かぼとぶんか)や紅山文化(こうざんぶんか)などでみられる玉器(ぎょっき)のことです。
けつ状耳飾はこの玉器の「けつ」の形に似ていることから「けつ状耳飾」と名付けられました。

・「けつ状耳飾」です(ネットより)


驚きました。
6000年以上前の縄文時代の女性はピアスをつけてオシャレをしていたようです。
現在では、オシャレと言えばパリやニューヨークなどの欧米スタイルですが、若しかすると、世界最古のオシャレは縄文人だったかも知れませんね。