らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

旬(じゅん)と旬(しゅん)

2016-07-21 | 雑学

7月も早くも下旬になりました。
18日に梅雨が明けた大阪は、連日真夏の太陽が照りつけて暑い日が続いています。
熱中症には十分注意していただきたいと思います。

ところで、日頃何気なく使用している「上旬」「中旬」「下旬」の「旬」ですが、今日はこの「旬」について調べました。
旬(じゅん)は、ご存知のように時間の単位の1つで、10日間のことをいいますが、何故10日間が旬なのでしょうか?

「旬」という単位は中国の夏朝(紀元前2070年~紀元前1600年)には既に存在していたそうで、甲骨文に「旬間」の文字が見えるそうです。
旬の起源は、古代に十干で日を表していたことによるものと考えられており、十干(じっかん)とは、甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)の10の要素の順列が「旬(じゅん)」の起源であるとされています。
これを転用して、10年間(十年紀)のことを旬年(じゅんねん)とも言い、また、10か月のことは旬月(じゅんげつ)という表現もあります。

一方「旬(しゅん)」と読むと意味が違ってきます。
旬(しゅん)は、魚介や果物などがよくとれて味のもっともよい時機、転じて物事を行うに適した時期の事を言いますが、その謂れは次のようです。

「旬」は前記のように10日を意味する言葉で「じゅん」が本来の読み方ですが、漢音では「しゅん」と読むのが慣わしでした。
古くは毎旬の初め(1日、11日、21日)と月の後半の始め(16日)に、天皇が臣下から政務を聞き、宴を催す儀式を「旬(しゅん)」と称したようです。
平安中期以降、この儀式は4月1日と10月1日だけになり、4月を「孟夏(もうか)の旬(しゅん)」、10月を「孟冬(もうとう)の旬(しゅん)」と称し、二つを合わせて「二孟(にもう)の旬(しゅん)」と言いました。
そして「孟夏の旬」には「扇」、「孟冬の旬」には鮎の幼魚である「氷魚(ひお)」を賜ったことから、魚介類や野菜、果物などがよくとれて味の最も美味しい時期を「旬(しゅん)」と言い表すようになったそうです。

今、桃が「旬」の時期となっています。
我が家の桃も収穫の時期となり、先日、兄弟や親戚に送り届けたところです。


慇懃無礼

2016-07-20 | 雑学

現役時代、社員の親睦旅行や職場全員での飲み会などの場合、「今夜は無礼講(ぶれいこう)です」という宴席が時々ありました。
無礼講とは、参加者の地位や身分に関係なく行う宴会のことですが、これが曲者で、うっかり言葉通り無礼な振る舞いをすると、後々響いてくるのが私の職場でした。

それは兎も角、無礼講の反対語に「慇懃講(いんぎんこう)」という言葉があることをご存知でしょうか?
今日はこの「慇懃(いんぎん)」という言葉と「慇懃無礼」という言葉について調べました。

「慇懃無礼」、難しい漢字ですが、これは「いんぎんぶれい」と読みます。
多分、お聞きになったことがあると思います。
では、この言葉はどのような意味なのでしょうか?

「慇懃」とは礼儀正しく丁寧であると言う意味であり、「無礼」は礼儀をわきまえないこと。失礼なことを言います。
この相対する二つの言葉を組み合わせてできた「慇懃無礼」とは、礼儀正しそうに見えるけれども態度が大きくて相手を軽んじている様子を意味する言葉です。

ところが、この「慇懃」については「慇懃無礼」を省略した意味で「慇懃」を誤用する人がいるということです。
「慇懃」は「無礼」の反対語で、礼儀正しく丁寧であると言う意味であり、それ自体で一つの意味を持つ言葉です。
「慇懃無礼」を省略した言葉ではありません。
もし、使用される場合は間違えないように、十分気をつけたいですね。


スマホ目

2016-07-19 | 情報

先日のニュースで、今年3月末時点でのスマホの世帯保有率が67.4%に達したと報じていました。
年齢別では20代が100%、30代は95.6%、40代89.8%、50代86.2%、60代64.1%、70代以上41.0%だそうです。
私の年代、70代以上では4割の世帯で保有しているようですが、この人達はまだ現役で仕事をしている世帯なのでしょうか。
我が家では必要性を感じないので保有していないのですが、それにしても随分普及したものです。

現在、高齢者の人を対象としているであろう、NHKのEテレ(毎週月曜日の午後9時30分から放送)“趣味どきっ! はじめてのスマホ”という番組があります。
内容は、スマホが全くの初心者にも使えて、活用できるように分かりやすく説明しているものです。
この番組を観ていると、確かに、高齢者でも比較的容易にスマホの利用ができそうな気がします。
まだスマホをお持ちでない高齢者の方、ご検討されては如何でしょうか?

ところで、スマホに夢中になり過ぎると “スマホ目”になる危険性があると指摘されています。
以前のTVで「みんなの大問題」と題して、スマートフォンを使って起きる目のかすみやぼやけ、いわゆる“スマホ目”を特集しました。 

その番組に出演していた専門医は、いわゆる“スマホ目”は、目の中にある小さな筋肉(毛様体筋)の緊張によっておきる「調節緊張症」という症状であると説明し、「スマートフォンを使っているときの目の状態というのは、これまで人類が経験したことがない過酷な状態」と説明していました。
 
もしかして私も“スマホ目”かもと、気になる方は、1分でできる簡単“スマホ目”チェック法を試してみてください。
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そして、チェックしてみたら「自分も“スマホ目”かも!」という方には“スマホ目”をすっきり解消できる次の方法をお試しください。
(1)目から離して持つ(25センチ~40センチ、個人差あり)
(2)明るすぎても暗過ぎてもよくない。眉間にしわができたり目を細めたりしない、ちょうどいい明るさに調整する
(3)スマホ使用中、10分に1~2秒、天井を見上げる。ピントを遠くに合わせることで毛様体筋をストレッチできる。ついでに首のストレッチもできます!
(4)蒸しタオル(およそ40度)で10分温める。目のまわりの血行がよくなり、筋肉がほぐれる。 

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さらに、別の先生は“スマホ目”予防につながる「指スライド遠近トレーニング」を勧めていました。
(1)親指を立て、腕を曲げた状態で親指を3秒見つめる。
(2)手を伸ばした先の指を3秒見つめる。
(3)遠くの目標を3秒見つめる
  (1)~(3)を20回、3分間繰り返す
 
このトレーニングで、毛様体筋をストレッチしながら、目の周りにある筋肉もほぐすことができるということです。
目を健康に保つためにはそれらの筋肉をほぐしながら刺激し、動かすことが大切だそうです。

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スマホを長時間連続使用する方は是非一度お試しください。

無法松の一生

2016-07-18 | ナツメロ

福岡県の北九州市小倉北区では7月の第3金曜から日曜日までの三日間「小倉祇園太鼓」が行われます。
今年も15日(金)~17日(日)まで行われ、昨日が最終日でした。
小倉祇園祭りは、博多の博多祇園山笠、京都の祇園祭と共に「全国三大祇園」に数えられる、約1400年の歴史を誇る伝統のお祭です。

このお祭は、関ヶ原の戦いの功により、40万石の大名に任ぜられた細川忠興公が、慶長7(1602)年に大規模な小倉城の築城を始め、無病息災を祈るとともに、城下町繁栄策のひとつとして、元和三年(1617年)に祇園神社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭を小倉の地に取り入れたのが始まりと云われています。

この祭りのハイライトは太鼓の競演会だそうです。
この競演会では、揃い浴衣に身を包んだ大人組、少年組100チーム以上が参加して、伝統の太鼓の打法を競い合います。

最終日の夜に、“太鼓広場”で披露されるのは映画「無法松の一生」で知られる「あばれ打ち」や「みだれ打ち」で、感動と打ち手の熱気とともに祇園太鼓の音が町中に響きわたる勇壮なお祭りとなっています。

今日はその映画「無法松の一生」の主題歌を村田英雄の歌でお聴きいただきたいと思います。
なお、映画「無法松の一生」は1958年(昭和33年)ヴェネチア国際映画祭・サン・マルコ金獅子賞受賞作品です。

〽小倉生まれで 玄海育ち
  口も荒いが 気も荒い 
  無法一代 泪を捨てて
  度胸千両で 生きる身の
  男一代 無法松



(参考)
昭和33年(1958年)4月に公開された映画「無法松の一生」のあらすじ
人力車を曳く「車曳き」の富島松五郎(三船敏郎)は、彼の地元九州の小倉(北九州)では有名な暴れん坊で、近所の人々から「無法松」と呼ばれていました。
 ある日、怪我をした子供を助けたことから、その家の父親、吉岡陸軍大尉(芥川比呂志)に気に入られ、家族みんなと親しく付き合うようになります。
ところが、ある日、急病で吉岡大尉はこの世を去り、彼は残された妻、良子(高峰秀子)と息子の敏雄の父親代わりをすることになります。
そしていつしか彼は寡婦となった良子に密かに思いを寄せるようになっていました。
しかし、学校にも行ったこともなく字も読めない自分と良家の女性ではあまりに身分が違いすぎることを知っていた彼は、あくまで使用人の立場から出ず、家の仕事を手伝うことで家に出入りする生活を続けていきます。

時代は明治から大正へと移り変わり、敏雄は熊本の大学に入り、良子は一人暮らしをするようになります。
しかし、相変わらず彼は使用人として彼女の家に出入りするだけで、自分の思いを言い出すこともできず、彼女に似た女性が描かれたポスターを前に一人酒を飲む日々が続きました。

夏休みになり、敏雄は教授を連れて里帰りして来ました。先生に本物の祭り祇園太鼓を見せたいという敏雄のため、松五郎は自ら櫓に登り、バチを取りました。
離れ行く敏雄への愛着、良子夫人への思慕、複雑な想いをこめて打つ彼の太鼓の音は、聞く人々の心を打つ見事な祇園太鼓を演じてみせました。

数日後、松五郎は飄然(ひょうぜん:ふらりとやってくる)と吉岡家を訪れました。物言わぬ松五郎の目には涙があふれていました。
自分の想いに蓋をする事が出来なくなった時、『おれの心はきたない』の一言に、今迄閊えていた想いが体中から来る震えと共に吐き出されます。
それ以来、松五郎は夫人の前から姿を消してしまいました。

やがて松五郎は敏雄を連れて通った小学校の校庭に倒れていました。
そこには吉岡家からもらった祝儀の品々が手もつけられずにあり、敏雄と夫人宛の貯金通帳もありました。
良子夫人は冷い亡きがらに取りすがって泣きくずれるのでした。


沖縄のジャンヌダルク

2016-07-17 | 時事

パリの同時多発テロから8カ月、フランス南部のニースでまたテロが発生しました。
革命記念日を祝う花火を見に集まった大勢の観光客が次々なぎ倒され、84人が死亡、202人が負傷すると言う大惨事となり、世界屈指の保養地は沈痛に包まれました。
フランスはなぜ、テロリストに狙われるのでしょうか?

フランスと言えば嘗てジャンヌダルク(1412年~1431年)と言う国民的英雄がいました。
彼女はフランス東部の小村ドムレミーの農民の娘ですが、百年戦争後期、フランスの解放を神に託されたと信じ、シャルル七世から授かった軍隊を率いてオルレアン城の包囲を解くなどフランスの危機を救った女性です。
のち、イギリス軍の捕虜となり、宗教裁判で異端の宣告を受けてルーアンで火刑となりましたが、1920年聖女に加えられました。
オルレアンの少女とも言われています。
テロの大惨事が続いているフランスに、21世紀のジャンヌダルクが出て、テロからの危機を救って欲しいものです。

ジャンヌダルクと言えば日本にもいました。
3年前の2013年に放送された大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、綾瀬はるかが演じた山本八重(後、新島八重)は、戊辰戦争の鶴ヶ城籠城戦で自らスペンサー銃を持って戦いました。
彼女は後に「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれました。

そして現在では、沖縄に「ジャンヌダルク」が現れています。
彼女の名は我那覇真子さんです。
沖縄県知事をはじめとする親中派のマスコミや過激運動員に危機感を持った彼女は沖縄の現状を懸命に訴え続けています。
その彼女の事を地元では「沖縄のジャンヌダルク」と呼んでいます。

今日は彼女の活動を動画でご紹介したいと思います。

・メディアが報じない 国連で翁長知事と戦った我那覇真子さんのスピーチ内容 沖縄防衛


・【我那覇真子 沖縄のジャンヌダルク】8.22 中国の侵略阻止!平和安全法制賛成!銀座国民大行進 ② 2015.8.22


中国による沖縄の危機をマスコミが報じないため、私たち本土の人間には、中国から支援を受けていると言われている翁長知事の主張が大きくクローズアップされて伝わってきます。
しかし、沖縄で生まれ、沖縄で育った沖縄のジャンヌダルク・我那覇真子の主張を聴いていると、彼女の主張の方が日本国の沖縄県の現状としては、まともで正当だと判断できます。

沖縄のジャンヌダルク・我那覇真子さん頑張れ!


駆けつけ三杯

2016-07-16 | 雑学

夏はビールが美味しいですね。
サラリーマンの方は、仕事帰りにグループで飲むビールは堪らないでしょうね。
でもグループで飲む場合、時間通りに全員集合すればいいのですが、仕事の都合上時間に遅れる場合があります。
男性の皆さんはご経験があるかと思いますが、その場合に、遅れてきた人に対し、その罰として、立て続けに三杯のお酒を飲ませることがあります。
これを「駆けつけ三杯」と言います。
でも、なぜ、三杯なのでしょうか?
今日はその謂れについて調べてみました。

「駆けつけ三杯」は元々は武士の行う酒宴の作法の一つに「式三献」という儀式がありりますが、そこからきたといわれています。
「式三献」とは、日本の正式な饗宴で行われた儀礼的な酒宴の作法です。
肴(さかな)の膳を出して酒を3度すすめることを一献と数え、初献・二献・三献と膳を替えて3回繰り返します。
この作法は平安時代から見られ、次第に様式がととのえられて、室町時代に「式三献」の語が用いられるようになったそうです。
現在、神前式や仏前式の婚礼で行う三三九度はこれをひき継いだものとされています。

「駆けつけ3杯」はこの式三献の二献と三献を省略したもので、3杯というのは一献目の3杯のことを意味しているといわれています。
この日本の伝統的な酒宴の作法がいつの間にか遅刻の罰として使われ始めたようです。

驚きました。
「駆けつけ三杯」は単なる戯事(ざれごと)かと思っていましたが、伝統的な酒席の作法を引き継いでいるようです。


蚊取り線香

2016-07-15 | 家庭菜園

畑に行くと蚊に悩まされます。
麦わら帽子に防蚊用の網をつけて作業をしていますが、それでも蚊は少しの隙間から網の中に入ってきます。
止むなく蚊取り線香を腰につけますが、風のある日は線香の煙が流されてあまり効果がありません。
それでも趣味の菜園なので、蚊を追い払いながら作業する毎日です。
と言うことで、今日は防蚊グッズの蚊取り線香について調べました。

さて、蚊には昔から悩まされていたようです。
奈良時代の万葉集に、
   「あしひきの 山田守(も)る翁(おぢ)が 置く蚊火(かひ)の 下焦(したこが)れのみ 吾(あ)が恋ひ居(を)らむ」 作者未詳 万葉集 巻11-2649
と言う和歌があります。
   意訳:あしひきの山田を守る老人が置く蚊火のように、心のなかで焦がれているだけの私の恋です。

「蚊火」は松や杉などの葉で煙をモクモクとくゆらせて蚊を追い払う蚊遣(や)り火の事で、国内最古の防蚊対策の記述とされており、歌に詠まれているように、当時も蚊に悩まされていたようです。

蚊は、昔は殺された鬼の死体が蚊になり、人を刺すと言い伝えられて、恐れられていたそうです。
また、江戸時代に庶民に広まった正月の羽根つきには、羽根を蚊の天敵のトンボに見立てて蚊に刺されないよう願う意味もあったということです。

蚊対策としては、後に”蚊帳”(かや)が使われるようになります。
更に、明治19年に、除虫菊がアメリカから伝わると、明治23年(1890年)になって蚊取り線香が開発されるのですが、これは、「金鳥」の商標で知られる大日本除虫菊の創業者が仏壇に供える線香から着想を得て、殺虫効果がある除虫菊を練り込んだ蚊取り線香が開発されたそうです。

当時は20㎝の棒状で40分ほどで燃え尽きましたが、後に約75センチの渦巻き状が誕生し、棒状より太くした事もあって約7時間持続するようになり、一晩の就寝に間に合うようになったことからヒットし、昭和初期に本格普及したということです。

蚊取り線香は誕生以来120年以上経ってすっかりお馴染みになっていますが、我が家でも畑で蚊取り線香が欠かせないことからこれからも愛用し続けることになりそうです。


籠に乗る人担ぐ人

2016-07-14 | 時事

東京都知事選挙が今日告示され、31日の投票に向かって本格的に動き出します。
それに先立ち、昨日、有力立候補予定者4名による共同記者会見のテレビ中継がありました。
共同記者会見に臨んだ4名の立候補予定者は、元日弁連会長の宇都宮健児氏、元防衛大臣の小池百合子氏、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏 、元総務大臣の増田寛也氏の方々です。
会見を聞いていると、知事に相応しい人、そうでない人、政治に疎く評論家的な発言しかできずこれで知事が務まるのかな?と思う人など四人四様でした。

諺に、「籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋(わらじ)を作る人」があります。
意味は、世の中には職業や地位の違いなどがあり、境遇によって生き方は様々であるということです。また、様々な境遇の人々の色々なつながりによって世の中は成り立っていると言うことです。
英語でも同様の表現があって「Some people are born with a silver spoon,and some without.」(銀のスプーンを持って生まれる人ばかりではない)と、同じような意味で使われています。
この諺は、「箱根山、駕籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」というのが全文なのだそうです。

故田中角栄氏はよく、さまざまな仕事を「箱根山、籠(かご)に乗る人、担ぐ人、そのまた草履を作る人」と、このように例えて言っていたそうです。
籠を担ぐ人も、草履を作る人も必要なのがこの世界であり、認められるべきなのだということです。
どのような立場の人間にも目配りが利き、あらゆる仕事が社会に必要なのだと訴えていたのだそうです。
また、田中角栄氏の愛弟子で後に首相になった故・竹下登氏は「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」というのが口癖だったそうです。

昨日の4人の共同記者会見を聞いていて、「あなたはそんなに籠に乗りたいのですか?」「担ぐ方が似合っているように感じますが・・・。」と言う人もいました。
人にはその人の適性に沿ったそれぞれの役目があります。敢えて都知事に立候補せずとも、今の立場で仕事をされた方が世間からも都民からも支持されますよと言う人もおられます。
(なお昨夜のニュースでは、記者会見をした4人のうち宇都宮氏は立候補を辞退すると表明されたそうです。)

二代続けて政治と金で任期途中で辞職した東京都知事です。
今度の都知事選挙では、東京都の有権者の方は、立候補者が「駕籠に乗る人」か、それとも「担ぐ人」か、或いは「そのまた草鞋(わらじ)を作る人」か、をよく見極めて投票していただきたいものです。


上を向いて歩こう

2016-07-13 | ナツメロ

昨日の新聞やテレビでは、放送作家として活躍し、数々のヒット曲を作詩した永六輔さんがお亡くなりになったと報じていました。
氏は、昭和34年(1959年)に日本レコード大賞を受賞した「黒い花びら」を始め、「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」、「こんにちは赤ちゃん」、「おさななじみ」など、当時“六・八コンビ”と言われた作曲家の中村八大さんとのコンビで、昭和30年代に多くの国民的ヒット曲を送り出しました。
その中でも「上を向いて歩こう」は、外国では“すき焼きソング”として世界で歌われた大ヒット曲となりました。

今日は永六輔さんを偲んで、「上を向いて歩こう」を坂本九さんの歌でお聴きいただきたいと思います。

上を向いて歩こう・・・歌:坂本九

 

 

 

 

 

 


アライグマ生け捕り

2016-07-12 | 地元紹介

家庭菜園におけるアライグマの被害については、このブログでも度々アップしているところですが、今日はその憎っくきアライグマを捕獲した嬉しいニュースをご紹介します。

アライグマは熊取町内に相当数生息しているようであり、町役場の担当者によれば、今年4月以降で既に16~17匹捕獲したとのことです。
私の畑にも毎年出没し、ブドウやスイカ、マクワウリ等の農産物に被害を受けているところです。
昨年はブドウの殆どを食べられてしまい、悔しい思いをした事から、今年は早々に役場から捕獲器を借り受けて設置していました。
最初のうちは何度仕掛けても、餌だけ食べられてしまい、蓋が閉まりません。
「何故なのだ!」
そこで捕獲器の構造を調べてみることにしました。

この捕獲器は餌を食べる時に蓋が閉まる仕掛けになっているのですが、餌を吊るすワイヤーと蓋を止めているワイヤのジョイント部分がゆるく、餌を食べた時のワイヤーの揺れが蓋のワイヤーにうまく連動しない事が分かりました。
そこでジョイント部分を紐で固く締め、餌を吊るすワイヤーの揺れが、直接蓋のワイヤーに連動するように固く縛りつけました。
それから1カ月弱、その効果が漸く表れて、今回の捕獲となったものです。

・捕獲器の中でじっとしているアライグマです。


捕獲したのは7月10日の朝です。
畑に行ってみると捕獲器の中にアライグマが入っているではありませんか。
思わず「にたっ!」とほくそ笑み、「やったぞ!」と心の中で叫びました。

町役場の担当者に連絡すれば引き取りに来てくれるのですが、その日は日曜日だったので、翌日の9時過ぎに電話を入れて引き取りに来てもらいました。
冒頭に書いたように、今年に入って役場が把握しているだけで既に16~17匹捕獲しており、地元の農家の方が個人で捕獲したのを含めると20数匹は捕獲しているのではないかと話していました。

このアライグマ、可哀そうですが、この後、安楽死の道を歩むことになるそうです。

・可哀そうだが、農作物に被害をもたらした罰は、死をもって償ってもらうほかありません。