畑のスイートピーは満開のピークを過ぎましたが、まだまだ、きれいに咲いているのでご紹介します。
スイートピーはマメ科レンリソウ属の一年草の植物で、和名ではジャコウエンドウ(麝香エンドウ)やカオリエンドウ(香りエンドウ)、ジャコウレンリソウ(麝香連理草)など呼ばれていいます。
原産地はイタリア・シチリ島で1695年にイタリアの僧フランシス・クバーニーによって紹介されました。
当初は色も淡紫色だけでしたが、その後、イギリスを中心に改良が進み、今では、覆輪や絞りの品種まで現われ、園芸品種も千種類以上あるそうです。
日本には改良種が江戸時代末期に渡来しました。
・畑のスイートピーです。
「草丈」
スイートピーの草丈は2m以上にもなり、細い巻きひげを絡ませて伸びていきます。
我が家のスイートピーは、発芽した直後は地面を這うように伸びていましたが、茎が上向くように、紐で周りをゆるく結んで誘引しました。
その後は支柱に絡まって上に伸びていき、現在は画像に見られるように、1.4m~1.5mほどの草丈に育っています。
・茎からはこのように巻きひげが出てきます。
「名前の由来」
名前の由来は英名の「sweetpea(甘い香りのエンドウ)」からで、甘い芳香を放つところから命名されました。
スイートピーとは「香りのよい豆」の意味であり、その名の通り、エンドウに似た花には芳香があります。
しかし、有毒植物であり、豆と莢にアミノプロピオニトリルという成分が多く含まれているそうです。
多食すれば頚椎麻痺を引き起こし、歩行などに影響が出ることがあるといわれているので注意が必要です。
「花」
スイートピーは香りが豊かで、花弁の優しい質感が春にぴったりの花です。
花径は約5㎝、花色は赤、ピンク、紅薄紫、青、白、などと豊富にあります。
また、花言葉の「門出」「旅立ち」は、スイートピーの花弁がフリルのようで、蝶々が旅立つ姿に似ていることから付けられました。
・横から見ると蝶が羽を広げているように見え、とても可愛い花です。
「赤いスイートピー」
スイートピーが広く知られたのは、松田聖子が歌った『赤いスイートピー』がきっかけと言われています。
しかし、赤い色のスイートピーは、松田聖子が歌った1982年頃には存在していませんでした。
その後、この歌がきっかけとなって、品種改良がおこなわれ、赤色のスイートピーが誕生したと言われています。
我が家では、以前は赤色も咲いていましたが、いつの間にかなくなってしまいました。
下の画像は以前撮影した「赤色のスイートピー」です。
ヒット曲になっただけあって「赤いスイートピー」は綺麗ですね。
・これが2~3年前に咲いていた「赤いスイトピー」です。
イチジクの木を畑に植えていますが、植えっ放しにしておいたところ、主枝に虫が入って枯れてしまいました。
しかし根元から伸びた枝が数本残っていたので、昨年はその枝に数個のイチジクが実りました。
冬の剪定では、今回初めて長く伸びた枝を切り、小さく育てることにしました。
剪定方法についてYouTubeを観ていた時、剪定した枝を挿し木にする動画や、挿し木を掘り上げて出根している穂木を見せている動画を目にしました。
これなら、小生にもできるのではないかと思い、イチジクの挿し木に挑戦することにしました。
下の画像が剪定した枝を挿し木したものです。
・3月10日に挿し木した5本の穂木です。
YouTubeでは、穂木はある程度太い枝を使い、芽を2個~3個残して20㎝ほどの長さにカットするように説明していました。
私も同じように作った穂木を6号鉢を使用して、赤玉土と鹿沼土の混合土に5本挿しました。
3月10日に挿し木にしたのですが、その時は未だ気温が低かったことから、鉢に買い物袋を被せて保温することにしました。
保温は出芽するまでの約1か月行いました。
・挿し木の後、保温用の買い物袋を被せた鉢です。
その後の経過は次の通りです。
3月中は発芽は見られませんでしたが、4月になって緑の芽が膨らみ始めました。
しかし、まだ保温用の袋をとるのは早いと思い、新梢が見え始めるまで保温することにしました。
・4月1日の挿し木の状態です。
それから2週間経った4月14日には各芽から4~5枚の葉っぱ出てきました。
この時点では出根しているかどうか分からないので、4月いっぱいは更なる生長を見守ることにしました。
・4月14日になると全ての挿し木に新梢が現れました。
5月の大型連休時には下の画像のように新梢が伸びてきたことから、出根しているかどうか掘り上げることにしました。
・5月6日に鉢植えに植え替えることにしました。
挿し木を掘り上げて見ると、5本のうち3本はたくさんの根が出ていましたが、2本は出根しておらず処分しました。
そして、出根している穂木を鉢に植え替えることにしました。
出根していた3本を、8号鉢、7号鉢、6号鉢に植え替えました。
この後、順調に育ってくれれば、来年には収穫ができるのではないかと思っています。
・植え替えたイチジクの苗木です。右から8号鉢、7号鉢、6号鉢です。
庭に植えると大木になりやすいイチジクも、鉢植えにすればコンパクトに仕立てることができ、その上、病気が発生しにくく、摘果や袋かけなどの作業が不要で、比較的、手間がかからずに栽培が楽しめるようです。
来年の収穫を楽しみに育てていきたいと思います。
春のポピュラーな花として、日本中のどこの道端や荒れ地、土手や畦などに、かわいい黄色の花を咲かせるタンポポは、大型連休のこの時期には、多くが短い花の生涯を終えています。
しかし、今でも出遅れた僅かな茎が花を咲かせて、精一杯自分の存在をアピールしているように見える健気な姿が散見されます。
タンポポって本当に可愛い花ですね。
ところで、タンポポと言えば子供のころから馴染みの深い野草ですが、この名前の由来はどこからなのでしょうか?
調べてみました。
「タンポポ」
タンポポ(蒲公英)はキク科タンポポ属の多年草で、世界には数百、日本には数十種類が自生しています。
地面を這うように茎や葉っぱを生やし、春に黄色い花を咲かせます。
この黄色い花が枯れると、綿毛のような種ができ、綿毛は風に乗って飛んでいって子孫を残します。
「名前の由来」
名前の由来は、諸説あります。
・その一つは、種の冠毛(かんもう)が丸く集まっている様子が、綿を丸めて布などで包んだ「たんぽ」に似ていることから、「たんぽ穂」と名づけられたとする説。
・他には、田んぼのあぜ道などによく生えていることから、昔は「田菜」と呼ばれていて、その「たな」が「たん」に変化し、綿毛がほほけるという特徴を表す「ほほ」と結びついて「たんぽぽ」になったという説。
・更に、タンポポの茎の両端を細かく裂くと、反り返って鼓のような形になることから「鼓草(つつみぐさ)」と呼ばれていて、鼓を叩いたときの「タンタン、ポンポン」という音がタンポポの名前の由来になったという説もあります。
いずれにしても、タンポポは昔から日本人の暮らしに溶け込んでいる親しみのある野草です。
「花言葉の由来」
タンポポの花言葉には「幸せ」「愛の信託」「真心の愛」「信託」「別離」などがありますが、多くはヨーロッパで昔から親しまれてきた、「タンポポの綿毛を一息で吹き切ることができれば恋心が叶う」という恋占いに由来しているそうです。
その中の一つ、「離別」の花言葉には次のような話が残っています。
・南風に吹かれて離別したタンポポ(右の茎)です。
・花言葉「離別」の由来
「タンポポと南風」
昔、怠け者の南風は、いつもよのうにのんびりと木陰に寝そべり、穏やかな風を吹かせていました。
ある日、南風は美しい黄色い髪をした少女に一目惚れし、彼女のいる場所から離れることなく、毎日うっとりと眺めて過ごすようになりました。
南風は気づいていませんでしたが、少女はタンポポの花でした。
やがて月日が経つと、黄色いタンポポが綿毛になるように、黄色い髪の少女は白髪の老婆になってしまいました。
その姿をみて悲しくなった南風がため息をつくと、綿毛が全て飛ばされてしまい、南風は二度と少女に会うことができなくなってしまったというお話です。
アメリカに古くから伝わる、少し切ないこの物語が「別離」という花言葉の由来となったという事です。
皆さんは運動をしていますか?
私が住まいしている大阪南部の熊取ではウォーキングをしている人を多く見かけます。
でも、歩いている人は同じ顔ぶれの人たちばかりのようです。
多分、その人たちにとってはウォーキングが日課の一つになっているのでしょう。
ところで、以前、ウォーキングにおいては、「少し歩幅を広くして歩くと認知症予防になる」と言う記事を読んだことがあります。
そこで今日は、歩幅と認知機能の関係について調べてみました。
「歩幅と認知機能」
ネット上には、ウォーキングにおいて歩幅を広くして歩くと認知症予防に役立つという研究報告が、国立環境研究所の谷口主任研究員の研究にありました。
それによると、歩幅が狭い人は広い人に比べ認知機能低下のリスクが3倍以上であり、また、歩幅が狭い状態のまま年齢を重ねると、認知症発症のリスクが2倍以上になることが明らかになっているそうです。
なお、認知機能に関連するのは歩幅であり、歩く速さ(歩調)は関連がないという事です。
谷口氏はその理由について、「歩幅の調整は、脳の中で多くの部位が関係しています。そのため、歩幅が狭くなっている場合は、脳のどこかで異変が起こっている可能性が考えられます」と指摘しています。
・歩幅65cmの目安(横断歩道の白線)
「歩幅の目安」
では、どのくらいの歩幅で歩けばいいのでしょうか?
歩幅の目安は男女とも65cmだという事です。
それを確認するには、横断歩道の白線を参考にするとよいということです。
即ち、横断歩道の白線の幅が約45cm、足のサイズを約24cmと想定した場合、一方の足の爪先を白線の手前に合わせ、もう一方の足で白線を踏まないように越えれば65cmがクリアできます。
しかし、歩幅の狭い人がいきなり65cmを広げようとしても案外難しいものです。
谷口氏は「いきなり歩幅を大きく広げようとせず、時間をかけて広げていくことをお勧めします」と書かれていました。
「軽度認知障害に有用」
認知症の多くを占めるアルツハイマー型認知症は約20年かけて進行し、軽度認知障害(MCI)の状態を経て発症するそうです。
そして、軽度認知障害と診断された人のうち認知症を発症した人は約2割で、約5割は発症せず、約3割は回復したとの報告がありますが、軽度認知障害の状態であれば、意識して歩幅を広げることで認知機能を取り戻せる可能性があるということです。
アルツハイマー型認知症は、いまだに有用な治療法が開発されていません。
そのような中、たった5cm歩幅を広げるだけで認知症の発症を抑制する可能性があって、且つ、元気に長生きできるのです。
ゴールデンウィーク後半の日本列島の天気は、一部の地域を除き好天に恵まれるようです。
認知症予防のためにも65cm幅のウォーキングを始めてみては如何でしょうか?
私は毎日、早朝に5㎞の健康ジョギングをしているのですが、3月中頃、不覚にも僅かな凹凸につまずいて転倒しました。
その時の怪我で前歯2本が縦に割れました。
このため、硬いものを前歯で嚙むことができなくなりました。
今まで歯は丈夫だったため、どんなに硬いものでもかみ砕いていたのですが、今回の怪我により、初めて歯の大事さを痛感しているところです。
それでもまだ前歯以外は丈夫なので食事にはそれほど不自由さはありませんが、人によっては総入れ歯の人もいます。
この人たちの不自由さは如何ばかりかと想像するようになりました。
ところで、歳をとると入れ歯に頼る人が多くなりますが、世界で最初の入れ歯はどこで生まれたのでしょうか?
調べてみました。
「世界最初の入れ歯」
長い間、入れ歯の発明者はフランス人のピエール・フォーシャールという人だと言われてきました。
「近代歯科医学の父」と言われた彼は、1737年に総入れ歯を作り出したという記録が残っているそうですが、実は、それより200年も前に作られた上顎の総入れ歯が日本で発見されているのだそうです。
この総入れ歯は、和歌山市の願成寺の創始者である尼僧の仏姫(ほとけひめ)が使っていたものとされています。
仏姫は天文7年(1538年)に没していることから、すでに室町末期には木の入れ歯が作られていたことになるということです。
「日本最古の義歯」
日本最古の木床義歯は前記したように、戦国時代の天文7年(1538年)4月20日に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺、仏姫(がんじょうじ:ほとけひめ:本名、中岡テイ)のものといわれています。
この入れ歯は、根付や仏像の材料として使われていた黄楊(つげ)の木から作られたもので、歯と歯肉の部分が一体となっており、奥歯がすり減っていることから、実際に使われていたと推測できるということです。
驚きました。
義歯の創始者といわれるピエール・フォーシャールが初めて総義歯を作った年より 200 年以上も前に、日本には近代総義歯の原型があったのですね。
世界最古の入れ歯のルーツは日本でした。