今日は、サーヤの通う幼稚園の、「七五三」お祝いがありました。希望者のみの参加ではありますが、1クラス半分以上の参加率。いつもとはまた違う綺麗な格好をした母親と、父親も参加する家もあり、家族一緒に教会に入ります。そして、教会では歌を一緒に歌ったり、神父でもある園長先生のお話を聞いたりします。
私は、サーヤが入園してからいろいろある行事の中で、この「七五三」が実は一番好きなのです。子どもの頑張る姿が見える運動会や、発表会も、それはそれは感動するのだけれど、この祝いの式典は、なんだか人の生まれた本来の意味を教えられるようで、子どもの命と自分の命も認められているようで、とても安らぎ、心が清められる感じがするのです。
クラスごとに呼ばれると、みんな家族一緒に前に出て行き、神父である園長先生がこうべを垂れたサーヤに手をかざし、「あなたの命が神様によって祝福されています。これからも健やかならんことを祈ります。」と言ってくださいます。そして、その場に一緒にいるエリーにも。
自分の命が、誰かに認められていることの安心感。
自分の子どもが、祈られていることの平和。
「あなたは生まれてきてよかったんだよ。」
「あなたは生きていていいんだよ。」
「生まれてきてくれて、ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。」
そんなふうに言われている気がして、自分が一番感動してしまうのです。
自分の親にさえ望まれずに生まれてきた人が、この世には何万人もいるだろうけど、どこかに一人でも、「あなたがいてくれて良かった。」と思ってくれる人がいてくれたら、その人はどんなに心強いでしょう。平安でいられるでしょう。
私は、我が子を産んで、思いました。
「生きててよかった!」って。
「この子達に出会うための人生だった!」って。
今、悩んでいる若者がいたら、言ってあげたい。
もう少し辛抱して待ってみて。きっと、運命の出会いがあるから!
生まれてきてよかった!って思える瞬間が、きっとあるから!
私は、サーヤが入園してからいろいろある行事の中で、この「七五三」が実は一番好きなのです。子どもの頑張る姿が見える運動会や、発表会も、それはそれは感動するのだけれど、この祝いの式典は、なんだか人の生まれた本来の意味を教えられるようで、子どもの命と自分の命も認められているようで、とても安らぎ、心が清められる感じがするのです。
クラスごとに呼ばれると、みんな家族一緒に前に出て行き、神父である園長先生がこうべを垂れたサーヤに手をかざし、「あなたの命が神様によって祝福されています。これからも健やかならんことを祈ります。」と言ってくださいます。そして、その場に一緒にいるエリーにも。
自分の命が、誰かに認められていることの安心感。
自分の子どもが、祈られていることの平和。
「あなたは生まれてきてよかったんだよ。」
「あなたは生きていていいんだよ。」
「生まれてきてくれて、ありがとう。生きていてくれて、ありがとう。」
そんなふうに言われている気がして、自分が一番感動してしまうのです。
自分の親にさえ望まれずに生まれてきた人が、この世には何万人もいるだろうけど、どこかに一人でも、「あなたがいてくれて良かった。」と思ってくれる人がいてくれたら、その人はどんなに心強いでしょう。平安でいられるでしょう。
私は、我が子を産んで、思いました。
「生きててよかった!」って。
「この子達に出会うための人生だった!」って。
今、悩んでいる若者がいたら、言ってあげたい。
もう少し辛抱して待ってみて。きっと、運命の出会いがあるから!
生まれてきてよかった!って思える瞬間が、きっとあるから!