ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

ふりだし

2006年02月12日 | これも自分あれも自分
昔、よくやったすごろく。
今みたいに、テレビゲームや小型のゲーム機やたまごっちなんかがなかった時代。
人生ゲームなんかも、よくやったなぁ。兄弟で。
中学生になっても、やっていた記憶があるよ。

ファミコン、ウチにもあったけど、一日1時間という約束を守らなかったことを怒り、父が壊してしまいました。私たちの目の前で。
あ~あ・・、やっちゃった・・。これでもう夜中こっそり起きてゲームをしたりできないな・・・、と思ったものでした。あの時は、残念な気持ちでいっぱいだったけど、今考えたら、他のことに時間を割くことが出来て、良かったのかもしれません。
「他の子たちが、みんな持っているから・・、輪に入れないから・・。」と言ったことがあったような気がします。でも、そんな時父や母は、「そんなことで離れるような友達は、友達じゃなかったんだ。」と言ったような記憶もあります。
現に、ファミコンが無くなったからといって、友達が無くなるようなことはありませんでした。逆に、「あゆみちゃんとこ、ファミコンないんだよね。じゃ、うちにおいで!」と言われて、一緒に楽しんだ覚えがあります。きっと、弟たちも同様だったと思います。
自分を変えてまで、自分を抑えてまで作る友達は、ほんとの友達じゃない、ってこと、親から教わった気がします。

お正月には、必ずといっていいほどしていた「すごろく」。進んでいくと、必ず数箇所にある「ふりだしにもどる」・・・。これ、嫌よねぇ。げんなりします。
人生にも、こんな「ふりだしにもどる」ことがあります。その「ふりだし」は、人それぞれです。私には私の、あなたにはあなたの、何かのきっかけで後ろ髪を引っ張られるように戻ってしまう「ふりだし」。
「原点」というべき自分の基本形の時もあるし、「しこり」のような人生の苦味の時もあるだろうし、「悟り」ともいうべき自分自身が変わった時もあるだろう。

人生何年も生きていると、何度と無く「ふりだしにもど」ります。
何度も何度も戻って、自分の原点に帰る。
そして、悟るのです。
この時があったからこそ、今の自分になったのだ、と。
今の自分、結構すきです。

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