ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

赤ちゃんを抱き上げて

2010年04月02日 | 子育て広場「となりんち」
私の主宰する子育て広場「となりんち」には、

近頃1歳前の赤ちゃんが多く来てくれるようになりました。

初めてのお子さん、二人目のお子さんと、

状況は違えど、みんな命の塊のような赤ちゃんの来訪に、

周りの子どもたちやママたちが、和ませてもらえます。

赤ちゃんパワーはすごいね!


その赤ちゃんを抱くときに、私はふと思いました。

いつものことだけれど、彼らを抱き上げ、自分の胸に持ち上げるとき、

手の外側に何かふわっとしたものが覆うのは、何だろう?と


私自身をも包み込むような、そのやわらかい感触は、

赤ちゃんと私とをふんわりとした蚕のように包み、

とても優しい気持ちにさせてくれます。

赤ちゃんも、なんだかふーっと一呼吸して、落ち着いています。

不思議な瞬間です。


今日は、「となりんち」最後の来訪である、転勤者二組さんがいらっしゃいました。

涙は見せない!と誓い、私は笑顔で見送ることができました。

泣いたら、止まんないよ、君達には思いがいっぱいあるんだから。


別れの会の前に、みんなでお片付けをしました。

その時です。

目の前に現れたのは、キラキラキラキラと光る、

七色の粒でした。

それは、私の目の前にたくさん広がって、飛んでいます。

目の病気に、黒い線みたいのが見える病がありますが、

その七色バージョンかと思いました。


しばらく、そのキラキラが続いて、

「ねぇ、何か見えるよ」と独り言を言いましたが、

周りの人たちは掃除に一生懸命で、私の声は届きません。


目の前に広がるキラキラは、やがて空気の中に弾けて、なくなりました。

まるで、シャボン玉がぱちん!と割れるみたいに、

小さなシブキを上げたようにも見えました。


なんだったんでしょうか??

だけど、とってもキレイな光景でした。

映画のワンシーンみたいでした。。。

大好きは 大好きと伝えて

2010年04月02日 | これも自分あれも自分
ブログの中は、自己満足の世界

自分の心にあるもの、心に浮かぶもの、疑問、不安、楽しい、嬉しい、

そんな日常をさらけ出す世界


本と違うのは、わざわざ足を運ばずとも、手に取らぬとも、

クリックを押せば読めてしまうという手軽さ


私はここで、ほんとうにさらけ出せている自分がいます

私のストレス発散は、幼き頃より書くこと、書き出すことでした

そこでバランスを取っていた自分がいます。

日記を誰かに読んでもらいたいという、希望は常にある子でした。

だから、交換日記なんて大好きで、

友人たちと回覧形式で、授業中に回すとか、

一日交代で気持ちの交換をしていました。


それが、今はモバイルになり、こうしてブログに変わっていったということだけで、その当時からなんにも変わらない、趣味の域。


子ども達と、交換している日記のようなものがあります。

トイレにあるカレンダー

カレンダーにある空白欄に、その日の思いや感じたことを書くのです。

昨年秋までは、長女とのやりとりでした。が、

途中から、次女が書くようになりました。

字を書くことができるようになってきたからでしょうか。


それまでも参加していましたが、文字ではなくて、

象形文字!?というぐにゃぐにゃしたミミズみたいなものでした。

でも今は違います。

今の時期オンリーの、大変貴重な鏡文字が入ったりしながら、

トイレに行ったついでに書いてくれます。


その中で、一番多いのは、

「まま、だーいすき」

こんなメッセージ、とっても嬉しいね。

そして、こう返します。

「ママも、だいすきだよ」


トイレでふふっと笑顔になる子どもの顔が、浮かぶでしょ?


心にある素直な気持ちを 言葉にすると

とっても心が和むね

私、みんなにしてるかな? 

素直な気持ち 伝えてるかな?

文字にすると伝えられるけれど、言葉に乗せるのは難しいね

かいじゅうが 枝にぶら下がって どうして折れないの?

2010年04月02日 | 観劇・読書・感想記
かいじゅうたちのいるところ
モーリス・センダック
冨山房

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昨夜、久しぶりに絵本の読み聞かせをしました。
お布団に横になって、開いたのは、
「かいじゅうたちの いるところ」

モーリス・センダックの絵本が大好きな私たち。
絵の美しさ、繊細さ、物語の想像できぬ展開に、いつもワクワクさせてくれます。
何度も読んでいるのに、いつも同じところでワクワクどきどきします。
絵本のいいところは、その絵の完成度の高さでしょうか。

この絵本は、とても有名なので紹介しなくてもいいようなものですが、
映画化もされて、良さが再認識されていますよね。

7年くらい前に、東京のお台場に「かいじゅうたちの いるところ」をテーマにした迷路がありました。

大きなかいじゅうたちが、頭上から、黄色い目をギロギロさせてみていました。

その当時、まだ3歳か4歳くらいだった長女が、途中まで入って
「こわい、こわい」と言って出てきてしまったアトラクションでした。

昨夜久しぶりに読んでいたら、次女が言いました。

「かいじゅうがさ、木の枝にぶらさがっているのに、なんで折れないの?」

最も素朴な疑問でしたが、素朴すぎて、私はまったく気がつきませんでした。

初めて読んでから何十年も経っているのに・・・。


子ども達と三人で、議論を交わしました。

長女は「軽いんじゃないの? 鳥みたいに、骨がすかすかなんだよきっと。」

とても生物学的な意見。

「ママはどう思う?」

「軽いのかもねぇ。」


 正解は、教えない。

なんだかとても、ほかほかした気分で、ベッドを後にしましたとさ。



心の言葉を伝えること

2010年04月02日 | 子ども
子どもと一緒に過ごす時間を、いつでも楽しめたらいいのに・・・

そう思うことがあります。

ところが、毎日過ぎていく中で、自分の心の状態や体の調子によって、

そして一緒に生活している人の状態によっても、

自分の気持ちは変わっています。毎日、毎時間、毎秒ね。


思わず、イライラしている気持ちを率直にそのまま伝えることもあります。

そんな時は、口から吐き出しながらも、頭のどこかには

「またこんな言い方して・・・」と戒める誰かがいます。

そして、同時に「しょうがないじゃない、私だって人間なんだもん。」と

言い訳する誰かもいます。


母親だって、一人間であります。
いつも完璧に、微笑をたたえていられるわけがありません。当然のことです。

子育て本を読むと、

母は大らかに、愛情をもって見守る とか

大きな愛で包み込むように とか

書いてあります。

理屈も、理由も、そうした方がいいということも、恐らく多くの母親は思っています。

私も、穏やかな春の日には、穏やかに接することができる自分がいます。

そして、何かの拍子に爆発!する自分もいます。


その爆発!するのは、悪いこと?
ううん、悪いこととは思いません。

感情を出すことは、とてもよいことだと思います。

出し方を工夫すれば、いいのだと思うからです。


私は、子どもに爆発!した後には、時間は経っていても、

その日の内に、自分の非を謝ります。

「さっきは、あんなこと言ってごめんね。傷ついたでしょ。」

すると、気持ちが落ち着いた子どもは、静かに頷いて、

そのときに我慢していた感情を出してくれます。

涙だったり、怒りだったり、恨みだったり。

私は、ただそれを受け止め、やさしく抱きしめて、

もう一度「本当にごめんなさい。」と謝るのです。


心の中をのぞいてみると、怒りに任せながら接していても、

どこかで申し訳ないという気持ちが隠れています。

イライラしながら接していても、自分の未熟さをそこでじっと見つめる自分がいます。

子どもに叱ったり、言い諭す時は、

自分の心の中にある、素直な気持ちを伝えると、

きちんとまっすぐに、その子の心に届きます。

その時だけの感情でくるまれた言葉は、あまりにも氷のように硬いので、

心の中に届く前に、割れてしまうか、解けてしまうのではないでしょうか。


子どもに対してだけではないですね。

これは、人と人との間を往復する線路上に、必要な荷台です。

「心の言葉」という名前の荷台。

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