ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

断らない力

2010年10月06日 | これも自分あれも自分
「断る力」という本があった。

私は、断れない性格ゆえ、

ボランティアの仕事が膨大に増え、とても忙しくさせてしまう。

それは、自己犠牲のサイクルになっていると、

恩師に聞いた。

犠牲のサイクルは、これをしないと自分を認めてもらえない・・・と

自分自身を堂々めぐりさせる、相当な曲者だ。


犠牲は、犠牲を生む

それは、真の仕事ではないという。


そっか。。。そうかもしれない。。。


私は考える。

でも、断らないできたからこそ、今があるのだし。。。

なんて、ほらまた、犠牲のサイクルに入り込む。。。

これは、「自分はこれがあったから、認められている」という

自己暗示にもなって、それが心地よくなって、

やめられないサイクルなのだ。


私は、知っている。

その犠牲のサイクルのことを。

知っているけれど、なお「断らない」をしていこうと思っている。

「断る」ことは簡単だけど、

私はできるだけ、人の断ることをしていきたい・・・。

なぜか、そんなことさえ思う。


そうして、自分自身を酷使し、家庭を犠牲にし、

子どもたちに犠牲のサイクルを見せていくことになるのに、

あえて、進みたいと思ってしまう。


それは、まだ私が、恩師に教わった「犠牲のサイクル」が、

腑に落ちていないから。。。なのだと、

今、気がついた。


「断らない力」があってもいいと思う。

自分のできる範囲を、できることを、していきたいと思う。

そうして、自分の幅を広げられたら、私は幸せなのだ。

内なる目覚め

2010年10月06日 | これも自分あれも自分
ためになる本を読んだり

参考になる助言をいただいたり

様々なワークショップに参加したり

講演会を聴きに行ったり

カウンセリングを受けたり


自分の内側に問いかける作業は

今までも そしてこれからも続くだろう


私は 自分の内側に深く問いただしたことがあるだろうか

実は 上辺だけをさらっと すくっただけだったのではないだろうか

自分を探求すること

それはとても大切なこと

そして その先

自分の腑に落ちること

自分の行動にできること

そうして初めて 自分の内側を目覚めさせることになるのだ


探求は、とかく外部に依存しやすいが

それが腑に落ちた時、

初めて自分のものとなるということだ


私は、まだまだ探求の中にある

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