ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

八戸の港から 岩手県種市まで

2011年04月10日 | これも自分あれも自分
時間ができたので、震災後初めて八戸港のほうへ車を走らせました。

テレビや、友人の写真で見る津波の後の惨状。

もう約1ヶ月が経とうとしている日曜日だから、

かなり撤去作業、片づけが済んでいるだろうと思いながら、

この目で見ておきたいという気持ちで足を向けました。


いつも通る橋の欄干が折れ曲がっているのを左に見たと思ったら、

その右側の川岸には、横たわり船底が丸出しの船が漂っていました。


トンネルをくぐり、港に着くと、そこに見える光景は、

40年間生きてきた中でも初めて見る、

それはそれは大きな漁船の船底でした。


道路の半分近くを寸断するように横たわるその姿は、

大仏の涅槃像かと思われるほどに、どっしりとして、

頑なに動かぬ自然の驚異を、その背中で物語っていました。


そして、横たわる船は、他に3槽。

容易には動かせぬほどの大きさの船だけが、いまだ残されているのだと思いました。

漁船の大きさを知るには、あまりにも悲惨な形でした。


蕪島のほうへ向かいます。

憩いの場でもあり、海水浴場にもなる海の休憩所の、

悲惨な光景。。。

綺麗に整備された蕪島のトイレは、傾いて地盤に埋もれていました。

ウミネコの生息地として有名な蕪島。

ウミネコは、変わらずに鳴きながら、飛び回っていました。


白浜の海岸線。

砂浜は美しい曲線を描き、そこだけを見ると何もなかったように

波が打ち寄せ、また引いていきました。

けれど、ふと山側に目をやると、食堂だったお店の1階部分は、

柱だけが残り、中はめちゃくちゃになっているのが見えました。

階段の青色が、妙に浮き彫りのように見えました。


数年前に初めて伺った洋望荘という自然食を出してくれる宿は、

ほぼ壊滅状態でした。

片づけをしている方々に、なんと声をかけていいのかわからず、

そのままそっと去りました。


気がつくと、海岸沿いに、岩手県の種市の手前まで走っていました。

約1時間ほど、ひたすらに走っていました。

涙が止まりませんでした。

私の心は、被災された場所へ飛び、

一緒に瓦礫の撤去作業をしていました。

その瓦礫の下から出てくる、被害者の体を起こしました。

顔も体も、口の中まで泥だらけのその体の泥を、

手でぬぐってあげました。

そんな光景が、頭の中に浮かんできては、

泣いていました。


今日は、ひたすら、その被災地の現実と向き合う日なのかもしれませんでした。

明るく行こう!と思いながら、でも

このひたすらに浸り、そのときの悲しい思いに蓋をせずに、

出しきることも必要なプロセスなんだと思いました。


上を向いたり、下を向いたり、

後ろを振り返ったりしながら、

人間は前に進みます。


それでいいんです。

私も、一緒に前に進みます。

みんなも、一緒に前進します。


1ヶ月という時間は、長いようであっという間でした。

仮設住宅の一刻も早い建設を望みます。

未来の街並みのイメージを、みんなで描きましょう。

希望を持ちましょう。


それに向かって、生きていきましょう。

祈っています。










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