ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

一瞬の意識不明

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
ここ一週間。それ以上かも?

一瞬、意識がなくなるんです。

普通に会話している中、

相手の顔がすっと目の前から消えて、

自分の意識も、消えてしまいます。


すぐに戻ってくるのですが、

めまい、とも違い、

いったい、なんなんだろう?と思っています。


耳の調子も、よくないかも。


週末が、近いから。。。かな。

反省

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
今朝、テレビを見ていたら、

とある番組内のコーナーで出てきた言葉が、

「反省」


はい、そのとおり。

今日も、私の人生の反省をします。

ゆっくり、自分の時間をとります。

そう、思った朝でした。


そして、いろいろと用を足して、

八食センターからソラさんへ向かう途中、

ウインカーも上げずに出てきた車と、

あわやぶつかりそうになり、

急停車。


相手は、老夫婦。


もう、びっくりしたのと、泣きたいのとで、

ごちゃまぜになりながら、ソラさんへ到着しました。


そしたら、偶然に

あゆみさんに会いたかった!という女性と会い、

また偶然に

手相のY氏が来て、

彼の憑いているものを祓い(?)、

代わりに、私も見てもらい・・・。

人生のアドバイスをいただきました。


ありがたい、一日です。


車での事故になりそうなことも、

ふわふわしている自分への戒め。

大きな事故に繋がらなかったのは、ほんとうに、

気をつけなさいというサイン。

ありがたい、サイン。


反省を繰り返すと、

どんどん、自分の人間としての小ささに気がつき、

腹黒さに気がつき、

申し訳ないという気持ちが出てきたり、

人のせいにしている自分に気がついたりして、

過酷な作業。


でも、それをすることで、何かがクリアになっている、

そんな気はします。

もっと、まじめに、やりまーーーす。

光の部分と 心の闇

2011年10月27日 | これも自分あれも自分
朝、来ましたね♪

スッキリしています!

私の多少の悩みなど、宇宙の大きさに比べたら、

ほんの塵。

ふ~~って一息で、なくなっちゃうようなものです♪

気にしない、気にしない。

問題に捕らわれると、まぁるい心が萎縮して、

自分を苦しめてしまうことになりかねないよ。

だから、朝が来たら、忘れるのだ!


さて、いつもの夢ですが。

今回も、ちゃんと出てきて、ご説明。

そのあと、波動塾の八戸の仲間たちが出てきて、

勉強会をしています。

本から出てきてしまった炎を、Kさんと私とで鎮めたりしています。

Kさん、右手、熱くないかな??

最後は、右手で蓋をしたから、火傷していないか心配です。


さて、今回の夢で、とても驚くシーンがありました。

つい先日、これまでの功労を表彰された、とある男性がおりました。

その男性は、どなたかはわかりませんが、

多くの仲間がいて、多くの慈善をなし、

多くの称賛をもらっているような、

それでいて、謙虚な感じの、体育会系の男性でした。

そのお祝いの会場に、私も出席していました。

面識はないのですが、何かしらの関係で、表彰式に出られたようです。

その、人格者である男性の笑顔と、

謙虚な物腰とを拝見して、こんな素晴らしい方もいらっしゃるんだなぁ、と

尊敬していました。


その3日後くらいでしょうか。

私は波動塾の仲間と勉強会をしていましたが、

その建物の中から、ふと窓を開けました。

すると、目の前には線路があり、

その線路の上で、先日表彰されていた人格者に見えた男性が、

刃物を持って、顔が狂乱して、

「死なせてくれ!」と叫んでいたのです。


周りには、仲間たちである男性たちがいて、

なんとか鎮めようとしています。

男性は、刃物を突きつけながら、

おれは、もう死にたいんだ!と叫んでいるのです。


私と目が合うと、

「あああ・・・」と言いながら、私に手を伸ばし、

私は一瞬手を取りました。

そして、男性は、そのまままた、

周りの人たちに大声で叫び、自殺を訴えました。


私は、その光景を見て、

栄光の裏にある、心の闇を見ました。

どんなに、輝かしく見えても、

どんなに、人徳者で、誰からも好かれているように見える人でも、

一人ぼっちじゃなくて、仲間が多くいたとしても、

人間の中にある、その人にしか分からない闇が

共存しているということに、気づかされました。


あまりに、リアルな夢でした。

男性の、すがるような、ふと静かないつもの顔になった瞬間と、

豹変する様子とが、目の前で繰り広げられる様は、

誰もが同じなんだということを、

確認させられた気がしました。


私たちは、毎日、普通に生活し、普通に悩み、普通に思い、

普通に子育てして、生活しています。

でも、どこかで誰かが、

そして、いつだって自分が、

狂乱しそうな時があるのだということです。


とてつもなく悩んでしまったときは、

人に話したり、人に会ったりすることができません。

人は、ほんとうに辛く、苦しくなったときには、

自分ひとりで立つしかないのです。


そうして、ひとりで立ったとき、

その足元が、ふにゃふにゃした地面か、

がっちりとしすぎた地面か、

適度な堅さと軟らかさとを兼ね備えた地面かによって、

立ち上がり方が、違うのかもしれません。


それは、やはり仲間だったり、

それは、やはり家族だったり、

それは、やはり自分自身の心の成長だったり

するのかもしれません。


狂乱した男性は、結局は、

多くの仲間たちに守られ、

心を静めることができました。


泣き崩れながら、自分のした愚かな行動を詫びて、

自分のふがいなさを反省したことでしょう。

それでも、待ってくれる仲間がいて、

だからこそ、より仲間たちとの距離が近づく彼がいて、

栄光の陰にある孤独を感じないような関係に、

発展していったことと思います。


考えさせられる夢でした。





広告