先日のこと。
朝から雨が降っていた。昨日から夫は家に帰っていなかったし、エリーの目覚めが遅かったのも手伝って、サーヤを園バスには乗せずに、直接園に送ることにした。ぱぱっと簡単な朝食を作り、サーヤに食べてもらっている間に、私は出かける用意をする。
今日は、サーヤの年少時代からの友人たちと、久しぶりの昼食会がある。エリーの離乳食やお茶などの準備、おむつの数の確認などを済ませると、エリーの起きたような呼び声がした。
「ママー、エリーが起きたよー!」
サーヤが教えてくれる。
洗面所には、置きっぱなしの洗濯物。台所には、洗いかけの食器が無造作に重ねられている。私は、階段のエリーの昇降避けのフェンスをまたぎ、2階で叫ぶ我が子を抱きに駆け上がった。
「おはよう、エリー。」
とびきりの優しい声と笑顔で、エリーを包むように抱きかかえる。エリーは安心したように、私の胸に頭をもたれた。なんともいえないあたたかさと幸せを感じながら、サーヤにも同じような優しさで接することができたらいいのに・・・、とふと頭をよぎった。が間もなく、時間があまりないことに気持ちは吸い取られ、サーヤへの想いもしゃぼん玉のようにどこかへ消え去ってしまった。
雨はしとしと降り続いている。こんな日の車の乗降は、小さな子どもがいると面倒で嫌な気持ちがするものだ。それだけでもナーバスなのに、園への到着時間もぎりぎりだし、済ませたい用事があるにもかかわらず、その用事のある店の開店時間までにはまだ1時間以上もある。今日は、朝から何もかも中途半端だった。
サーヤを送り届けた後、時間を潰すため、勤務先である「てとてと」へ寄ってみた。勤務外の珍しい客人に、みんなはあたたかく迎えてくれる。その何気なさとさりげなさと素っ気なさとの自然体な融合が、私には心地いい。
小1時間遊んだ後、用事のある店へと向かった。「てとてと」とは遠く反対側の商店街にある、とある店へと急いだ。足場の悪い道を早足で歩き、着いたところは化粧品の店。数日前からファンデーションがなく、パクトの隅に残る残骸を丁寧にこそげて使っていたが、ほとほと限界だったのだ。どうせ新しく買うのならば、35歳を過ぎた私の肌をよりよく隠しつつ、保湿のあるタイプのを探したいと思っていた。しかし、そのお店には、店員さんがほとんどいなく、いたとしてもすべての人が接客中で、ベビーカー連れの私には、誰も声をかけないし、見向きもされなかった。店の中を2周し、ファンデーションを物色するも、どれがいいのか検討もつかない。店員さん、お願いしたいんですが・・・、という一言さえかけずらい雰囲気を後に、私はしょんぼり店を出た。
「せっかく朝早くから出かけたのに。時間もないのに、わざわざここまで歩いたのに・・・。」
どうしても欲しかった私は、帰路にあるもう1軒にも立ち寄ることにした。ここまで来たのだもの、という意地だった。他のお店で買っちゃうんだから!という、先ほどの店への腹いせもあった。
「すみません、ファンデーションを探しているんですけど・・・」
狭い店内へベビーカーごと入り、迫る商品棚を眺めた。
「どういったものがお好みですか?」
若いが、化粧品店に勤める女性にしては地味目の店員が聞いてくれた。ほっと一安心。自分の要望を説明し、今日はもう時間がなく、ゆっくり試す時間がないことを告げた。そして、一か八かではあったが、サンプルがあればそれを使用して決めたいとも、申し出てみた。すると、その地味目の、どう見ても事務員さん風の彼女は、サンプルだけ持って帰ろうっちゅう魂胆の主婦ね!?と言わんばかりに、いやその思いをひた隠しにしつつ「ぜったいにあげちゃらん!」という闘志むき出しに、弾丸のようにしゃべり始めた。どうしても久しぶりの(かどうかは知らないが)客を逃がしたくなかったようだ。エリーをあやそうとして近づいた厚化粧のおばさん店員は、エリーを余計に泣かし、泣き叫ぶ子どもを見て後ずさりする私の手首を、弾丸トークで離さない若者店員。
いやぁ、はたから見たら見ものでしたぜ、だんなぁ。今日はほんとに、ついてない。
ようやくの思いで振り切って、駆け足で待ち合わせのレストランへと急ぐ。と、その途中、友人に出会った。いつも電動車椅子に乗ってご機嫌の彼は、体が少し不自由なおじさんだ。でも今日はなんだか、いつもと様子が違う。
「おはよう!どうしたの?」
すると、彼は悲しそうな声と顔で、
「おはよう・・・。バスから降りたら、あのおばさんが、お前なんかもうバスに乗るな!って言ったぁぁ!」
と訴えてくるではないか。よく聞くと、知っている人だそうだ。私は思わずこう答えた。
「じゃぁさ、今度会ったら、つねっちゃえ!」
でも、彼は首を横に振り、そんなことはしないと言うのだ。なんて、優しく、できた人間なんだと、感心してしまった。これからどこに行くのかを尋ねると、「まちのえき」に行くのに、電動車椅子の迎えを待っているのだそうだ。と言っている矢先に、遠くに電動車椅子がやってくるのが見えたらしい。私は目が悪いので、「見えないよ、どこ?」と聞くと、嬉しそうに「ほらぁ、あそこぉー!」と教えてくれる。こんなやりとりをしていたら、朝からの邪気が祓われる感じがして心地がいい。
「じゃぁーねー!」
彼はそう言うと、振り向きもせずに迎えの方に歩いていった。
「振り向きもしないよ。」と、少し呆れて苦笑しながら歩を進めた時だった。
「やさしいお母さんに、はい、これあげる。」
振り向くと、彼とやりとりをしていた場所で広げている露店商の八百屋さんだった。200円の値段を付けられたぶどうを一房、差し出しながらにこやかに微笑みかける。
「いえ、いいです、すみません。」
「いや、いいから。」
「いえ、ほんとに、彼は友達ですから。」
「いや、ほんとに、持ってって。」
強引さに押し切られ、手に持たされた。なんだかむなしさで、ぶどうを持ったその手がずしんと重く感じられた。複雑な気持ちだった。彼が健常者ならば、この手にぶどうはなかったはず。そう思うと、情けなくなった。
約束のレストランへ向かう車の中で、ぐるぐるぐるぐる考えた。情けなくなる自分もおかしいんじゃないか?とか、露店商の気持ちも考えてみると、彼は何か気持ちが動いたからカタチにしたかったんだ、と同情してみるとか。消化しきれないものがあるにせよ、事実は事実として受け止めよう。でも、今度同じことがあったら、絶対に受け取らない自分になろう、と思った。
そんなことがあった後の昼食会は、憂いを隠そうと、いつもよりテンションの高い私がいた。
朝から雨が降っていた。昨日から夫は家に帰っていなかったし、エリーの目覚めが遅かったのも手伝って、サーヤを園バスには乗せずに、直接園に送ることにした。ぱぱっと簡単な朝食を作り、サーヤに食べてもらっている間に、私は出かける用意をする。
今日は、サーヤの年少時代からの友人たちと、久しぶりの昼食会がある。エリーの離乳食やお茶などの準備、おむつの数の確認などを済ませると、エリーの起きたような呼び声がした。
「ママー、エリーが起きたよー!」
サーヤが教えてくれる。
洗面所には、置きっぱなしの洗濯物。台所には、洗いかけの食器が無造作に重ねられている。私は、階段のエリーの昇降避けのフェンスをまたぎ、2階で叫ぶ我が子を抱きに駆け上がった。
「おはよう、エリー。」
とびきりの優しい声と笑顔で、エリーを包むように抱きかかえる。エリーは安心したように、私の胸に頭をもたれた。なんともいえないあたたかさと幸せを感じながら、サーヤにも同じような優しさで接することができたらいいのに・・・、とふと頭をよぎった。が間もなく、時間があまりないことに気持ちは吸い取られ、サーヤへの想いもしゃぼん玉のようにどこかへ消え去ってしまった。
雨はしとしと降り続いている。こんな日の車の乗降は、小さな子どもがいると面倒で嫌な気持ちがするものだ。それだけでもナーバスなのに、園への到着時間もぎりぎりだし、済ませたい用事があるにもかかわらず、その用事のある店の開店時間までにはまだ1時間以上もある。今日は、朝から何もかも中途半端だった。
サーヤを送り届けた後、時間を潰すため、勤務先である「てとてと」へ寄ってみた。勤務外の珍しい客人に、みんなはあたたかく迎えてくれる。その何気なさとさりげなさと素っ気なさとの自然体な融合が、私には心地いい。
小1時間遊んだ後、用事のある店へと向かった。「てとてと」とは遠く反対側の商店街にある、とある店へと急いだ。足場の悪い道を早足で歩き、着いたところは化粧品の店。数日前からファンデーションがなく、パクトの隅に残る残骸を丁寧にこそげて使っていたが、ほとほと限界だったのだ。どうせ新しく買うのならば、35歳を過ぎた私の肌をよりよく隠しつつ、保湿のあるタイプのを探したいと思っていた。しかし、そのお店には、店員さんがほとんどいなく、いたとしてもすべての人が接客中で、ベビーカー連れの私には、誰も声をかけないし、見向きもされなかった。店の中を2周し、ファンデーションを物色するも、どれがいいのか検討もつかない。店員さん、お願いしたいんですが・・・、という一言さえかけずらい雰囲気を後に、私はしょんぼり店を出た。
「せっかく朝早くから出かけたのに。時間もないのに、わざわざここまで歩いたのに・・・。」
どうしても欲しかった私は、帰路にあるもう1軒にも立ち寄ることにした。ここまで来たのだもの、という意地だった。他のお店で買っちゃうんだから!という、先ほどの店への腹いせもあった。
「すみません、ファンデーションを探しているんですけど・・・」
狭い店内へベビーカーごと入り、迫る商品棚を眺めた。
「どういったものがお好みですか?」
若いが、化粧品店に勤める女性にしては地味目の店員が聞いてくれた。ほっと一安心。自分の要望を説明し、今日はもう時間がなく、ゆっくり試す時間がないことを告げた。そして、一か八かではあったが、サンプルがあればそれを使用して決めたいとも、申し出てみた。すると、その地味目の、どう見ても事務員さん風の彼女は、サンプルだけ持って帰ろうっちゅう魂胆の主婦ね!?と言わんばかりに、いやその思いをひた隠しにしつつ「ぜったいにあげちゃらん!」という闘志むき出しに、弾丸のようにしゃべり始めた。どうしても久しぶりの(かどうかは知らないが)客を逃がしたくなかったようだ。エリーをあやそうとして近づいた厚化粧のおばさん店員は、エリーを余計に泣かし、泣き叫ぶ子どもを見て後ずさりする私の手首を、弾丸トークで離さない若者店員。
いやぁ、はたから見たら見ものでしたぜ、だんなぁ。今日はほんとに、ついてない。
ようやくの思いで振り切って、駆け足で待ち合わせのレストランへと急ぐ。と、その途中、友人に出会った。いつも電動車椅子に乗ってご機嫌の彼は、体が少し不自由なおじさんだ。でも今日はなんだか、いつもと様子が違う。
「おはよう!どうしたの?」
すると、彼は悲しそうな声と顔で、
「おはよう・・・。バスから降りたら、あのおばさんが、お前なんかもうバスに乗るな!って言ったぁぁ!」
と訴えてくるではないか。よく聞くと、知っている人だそうだ。私は思わずこう答えた。
「じゃぁさ、今度会ったら、つねっちゃえ!」
でも、彼は首を横に振り、そんなことはしないと言うのだ。なんて、優しく、できた人間なんだと、感心してしまった。これからどこに行くのかを尋ねると、「まちのえき」に行くのに、電動車椅子の迎えを待っているのだそうだ。と言っている矢先に、遠くに電動車椅子がやってくるのが見えたらしい。私は目が悪いので、「見えないよ、どこ?」と聞くと、嬉しそうに「ほらぁ、あそこぉー!」と教えてくれる。こんなやりとりをしていたら、朝からの邪気が祓われる感じがして心地がいい。
「じゃぁーねー!」
彼はそう言うと、振り向きもせずに迎えの方に歩いていった。
「振り向きもしないよ。」と、少し呆れて苦笑しながら歩を進めた時だった。
「やさしいお母さんに、はい、これあげる。」
振り向くと、彼とやりとりをしていた場所で広げている露店商の八百屋さんだった。200円の値段を付けられたぶどうを一房、差し出しながらにこやかに微笑みかける。
「いえ、いいです、すみません。」
「いや、いいから。」
「いえ、ほんとに、彼は友達ですから。」
「いや、ほんとに、持ってって。」
強引さに押し切られ、手に持たされた。なんだかむなしさで、ぶどうを持ったその手がずしんと重く感じられた。複雑な気持ちだった。彼が健常者ならば、この手にぶどうはなかったはず。そう思うと、情けなくなった。
約束のレストランへ向かう車の中で、ぐるぐるぐるぐる考えた。情けなくなる自分もおかしいんじゃないか?とか、露店商の気持ちも考えてみると、彼は何か気持ちが動いたからカタチにしたかったんだ、と同情してみるとか。消化しきれないものがあるにせよ、事実は事実として受け止めよう。でも、今度同じことがあったら、絶対に受け取らない自分になろう、と思った。
そんなことがあった後の昼食会は、憂いを隠そうと、いつもよりテンションの高い私がいた。