ミュージカル俳優という仕事を生業とする私にとって
歌や言葉は人生に欠かせない大きな支えでもあり、
悲しみに居る時にはその悲しみへの引き金ともなります。
けれど、歌は、言葉は、「善い」と思います。
善い歌や言葉には祈りや希望があるからです。
いつか心に届くものです。
水前寺清子さんが歌ってました。善い歌です。
水前寺清子 三百六十五歩のマーチ
三百六十五歩のマーチ
星野哲郎 作詞
米山正夫 作曲
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせの 扉はせまい
だからしゃがんで 通るのね
百日百歩 千日千歩
ままになる日も ならぬ日も
人生は ワン・ツー・パンチ
あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は ワン・ツー・パンチ
歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から
はじまることを 信じよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
今、この日本には難しい状況に居る方がたくさんいますね。
被災された人、その家族、そして、災害とは別に訪れる死別の悲しみ。
「グリーフワーク」というのをご存知ですか?
私は10年前の以前のパートナーとの死別をきっかけに、
そして再び昨年の相方さんとの突然の死別を経験して、
このグリーフワークというものの最中にいます。
「グリーフワーク」は、別名「モーニングワーク」とも言います。
グリーフ(grief)は「深い悲しみ・悲嘆・悲痛」
グリーフワークは「喪の仕事」「喪の作業」「悲嘆のプロセス」などとなります。
グリーフケアはそのグリーフワークをする人を支える人のするサポートことです。
今、このグリーフワークとグリーフケアを多くの人が知ることによって
たくさんの方が支えられることにもなると思うので、
これまで学んだことなどからご紹介したいと思います。
グリーフワークは特別なものではありません。
大切な人との離別(死別だけでなく)や、
心の支えとなっていたもの(例えば、仕事など)を失った時に、
自然と始まる、立ち直るための心の動きのようなものです。
基本的に、無意識のうちに誰もが経験し、乗り越えてゆく過程です。
しかし、突然の事故や自死など、思ってもいなかったショックな出来事が起こった場合、
グリーフワークが完了するまでに長い時間がかかり、
時に専門家(精神科医など)の助けが必要となってくる場合があります。
病死で、長いこと床に伏していた場合は、「もしかしたら死別するかもしれない」と、
あらかじめ心の準備しておくこともできます。
ですが、大切な人の突然の死に直面すると、心の準備がないために、
現実を受け入れられないまま、長い年月を過ごすことも考えられます。
グリーフワークには、一応手順がありますが、
それらは順番に起こるわけではありません。
そして、順番どおりに進むものではありません。
いくつもの手順が同時に起こったり、手順の番号を飛ばしたり、
また戻ったりということもよくあることです。
そして、完了までにかかる時間も人によって
数ヶ月から数十年とかなりの幅があります。
自死遺族の場合、10年経ってまだショックから立ち直れずにいることもまれではないのです。
ショックが大きすぎて、体調を崩して病気にかかったり、
また、抑うつ状態が長引いて、精神科に通うようになることも多くあります。
グリーフワークについて、これから書いてゆくことは、
深い悲しみを抱えている、いろいろな方にも共通することです。
以下に、いくつかのグリーフワークの過程を書きますが、
重要なのは、これは「誰にでも起こる、正常な反応」だということです。
「まだ立ち直れない私は、どこかおかしいのではないか?」「そろそろ元気になるべきだ」
といった不安や疑問は、持たなくてもいいのです。
この過程は、あくまで目安として書かれたものであり、
人それぞれ、状況も違えば性格も違うように、
過程が順序よく起こると決まったものではありませんし、
完了までの時間に大きな幅が出てくるのは、さきほど述べたとおりです。
もしかしたら、数十年経っても完了したという実感がわかず、
苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれないのです。
ここであまりに辛いのに耐えきれず、
精神科医に助けを求めるというのも、ごく普通の正当なことです。
風邪をひけば内科医へ行く、恋の悩みは友人に相談する。
自分自身で乗り越えなければとは、思わなくていいのです。
相手は立場が違っているためにあなたの気持ちをすべて理解できるとは限りません。
でも、あなたに対して真剣に向き合い理解しようとしてくれたなら、
それだけでも、大きな助けとなるかもしれません。
そして泣きたいと思った時には、そのままに自然に泣いて下さい。
涙が出ない時には、無理に泣こうとしないでいいのです。
あなたの中にあるお気持ち、どれもが本当で異常なことではありません。
「こんなことを考えてはいけないのでは?」とは思わなくて大丈夫です。
人それぞれ、グリーフワークは進んでゆきます。
進めようと特に思わなくても、進んでゆきます。
ですから、あなたはご自分を認めてあげて下さい。
そして、辛い時には、いつでも誰かに助けを求めて下さい。
《ショックの段階》
感覚の麻痺、涙が出ない、感情が湧かない、足が地につかない。
何も考えられず、混乱状態の中、何にも集中できない。
日常生活の簡単なこと(食べる・眠るなど)さえもできない状態。
《怒りの段階》
悲しみ、罪責感、怒り、責任転嫁。
深い悲しみとともに、故人・周囲の人を責める気持ち、
そう思ってしまう自分を責める気持ちが同時にある。
故人との思い出にふけり、現実を認められない。
幻想空想と現実の区別がつかない状態。
《抑うつの段階》
絶望感、深い抑うつ、空虚感、無表情、希死念慮。
周囲のあらゆるものへの関心を失い、自分は価値のない人間だと思ってしまう。
適応能力に欠け、外出せず、引きこもりのような状態。
《立ち直りの段階》
徐々にエネルギーが出て、新しい希望が見えてくる。
周囲との関わりを大切にしようと思えるようになる。
故人の死の現実を認められるようになる状態。
哲学者アルフォンス・デーケンは「悲しみのプロセス」として以下の12段階を挙げています。
デ-ケンは、この辛い12の段階を誰かが代わって行うことはできない、
自分の中で時間をかけて消化するより仕方がないと力説しています。
1.精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白になる。
心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き(防衛機制)である。
「お葬式など、あまり覚えていませんし、夢中の出来事のようです。
泣くこともでしず、回りからしっかりしているとか、泣かないことを非難されたりします。」
2.否認
感情が受け入れられないだけでなく、理性も相手の死という事実が認められない。
帰ってくるような気がしたり、声を聞いたりする。
「あの人が死ぬわけがない」
3.パニック
パニックを未然に防ぐことが、悲嘆教育の大切な目標の一つ
4.怒りと不当惑
不当な苦しみを負わされたという激しい怒りが沸き起こり、
何で私だけがこういう目にあわないといけないのだろうかという不当感が発生することもある。
とりわけ突然死の時に強い。無理に感情を押し殺さず上手に発散させる。
5.敵意と恨み
残された人は、周囲の人々や亡くなった人に対して、
敵意や恨みという形でやり場のない感情をぶつける。
医療者や亡くなった人自身が対象になりやすい。
6.罪意識
罪意識は自責感であり、多くの遺族をひどく苦しめる。
7.空想形成、幻想
出張していると思い込もうとしたりする。
8.孤独感と抑うつ
葬儀などの慌ただしさが一段落すると、まぎらわしようのない
独りぼっちの寂しさがひしひしと迫ってきます。
9.精神的混乱と無関心
日々の目標を失った空虚から、全くやる気をなくす。
人と話すことも、出かけることもとてもおっくうになる。
10.あきらめ→受容
受容とは事実を真実として積極的に受け入れていこうとする行為のことである。
愛する人はもうこの世にはいないという辛い事実を自ら受け入れることができるようになる。
11.新しい希望
忘れていた微笑みがもどり、新しい自分へと成長していく。
12.立ち直りの段階~新しいアイデンティティーの誕生
《病的悲嘆》
死別者の10~15%が病的悲嘆に陥る。
悲嘆の仕事(grief work)が正常に行われないことであり、
悲嘆のプロセスが遅れたり抑制されたり、長引いたり、あるいは欠如したりする。
悲嘆の中期がいつまでも続き、遷延性の心痛、心理的・社会的機能の低下を招き、
人生を前向きに歩めなくなる。結果として人間的成長が阻害される。
病的悲嘆の症候
悲嘆が長期化するか非常に強度
半年の間にみるべき悲嘆(感情)の回復がなければ、病的悲嘆を疑う。
胸や足やおなかが痛むといった様々な身体症状が長期にわたって出現する。
数カ月あるいは数年たって、なんらかのきっかけで、
喪失を突然思いだし、激しい悲嘆症状が出現することもある。
悲嘆がプロセスの一つの段階に長くとどまる
自分の悲嘆感情、あるいは周囲から見てその人の嘆き苦しみが半年間ずっと同じであれば病的悲嘆を疑う。
死者に対して愛憎両面の感情を抱いていたり依存的な関係にあったために、
悲嘆が固着的で過度の罪責感や怒りや自己非難によって複雑になることもある。
悲嘆が鬱病やその他の精神疾患に進行する
うつ状態や閉じこもりがいつまでも続き、心の痛みや心理的社会的機能の低下が長引く。
人生を前向きに歩めなくなる状態になる。その結果として人間的な成長、あるいは自立が阻害される。
死別体験者が喪失に適応するのが困難だと感じている
その人自身が非常に辛い気持ち、その喪失に適応するのが困難だ
と感じているときは病的悲嘆に陥っている可能性がある。
感情の麻痺
全く嘆かず、何事もなかったような行動をとるのは病的悲嘆の一種である。
心は苦しんでいるのに周囲に向かっては何事もなかったような行動をとるのは非常によくない。
それは自分の本来の情緒を押し殺してしまう可能性がある。
危険因子
突然の予期しない死
突然の死は遺族の心に深い傷を残す。もし何々であればとどうしても思ってしまう。
子供を失ったとき
家族や友人の不用意な勇気づけ
家族や友人、あるいは医療者が不用意な勇気づけを行った場合、かえって病的なプロセスに陥ることがある。
いずれも、言葉や順序は多少違うものの、おおよそ概要は同じだと思います。
そして、これらに共通しているのは、
死別のプロセスは苦しみなしには経過しないし完了もしない。
死別は、それぞれの人にとって独自なものである。
個人の反応は社会文化的要因やパーソナリティー、死者との関係の強さなどにより異なる。
「故人の死を受け入れられるのは、かなり後になってから」
ということではないでしょうか?
多くの人が、「本当はまだ生きているのでは?」という、
小さな希望を持ちながら、現実を受け入れられずに、
長く苦しい時を味わっていると言えるかと思います。
これもまた、グリーフワークの最中にはごく自然な反応なのです。
このグリーフワークの最中に居る人の傍に居る方の為に
グリーフケアの参考になる部分も掲載しておきます。
1.死別神話というもの
死別体験にも神話がある。亡くなった後の遺族の態度はこうであるという神話があり、
その神話が早期発見早期治療の神話と同じように、遺族を苦しめている。
2.悲嘆の期間
死別後1年も経って嘆いていると周囲は「いつまで嘆いているんだ」としばしば叱咤するが、
悲嘆は半年から1年で完了することが多いというだけで、2年悲しんでも3年悲しんでも、
その期間はその人にとって必要のある悲しみの期間である。
3.喪失について考えないほうが苦しみは少ない
「失ったこと、家族を失ったことについて考えない方が悲しみが少ない。もう忘れなさい」
とはよく言われる科白である。
しかし、無理に喪失体験を忘れて新しい世界に入ろうとすると、
逆に悲嘆のプロセスを正常に歩めなくなって、病的悲嘆に陥ることが多い。
喪失についてゆっくり考えなければ後でもっとひどい状態になる。
4.喪失について触れないほうが、死別体験者にはいっそう助けになる
もちろんこう言ったこともあるが、むしろふれてもらって、
慰めてもらった方が助けになる人が多い。
5.怒りや罪責感を感じるのは異常である
死んだ人を恨んだり、お医者さんを恨んだり、
あるいは自分を恨んだり責めたりするのは異常だという神話である。
しかし、そういった怒りや罪跡感は悲嘆のプロセスとしては
通らなくてはならない関所のようなものである。
であるから一時その感情に浸ったとしてもそれは決して異常ではない。
6.泣いたり悲嘆について話す人は、感情を出さずに
喪失を口にしない人よりも、ずっと苦しい時を過ごしている
これは正反対である。
喪失のことを話したり、感情の表出、泣いたり叫んだりすることができる方が
悲嘆プロセスを促進して早く辛い状況から立ち直ることができる。
多くの人は自分の感情をあらわにする場所を持っていない。
子供や親戚はそれに適していないことが多い。
感情を表出できる適当な場所として自助グル-プは適切である。
泣いた後はたいてい気分がすっきりする。
気分の爽快感は悲嘆プロセスの促進を意味する。
7.悲嘆は家族をお互いに親密にする
悲嘆は家族構成員に多様な反応を作りだすので、
一時的に精神的緊張や混乱、相互の回避などをおこすことが多い。
8.子供たちは幼すぎて死を理解できないので、
死の概念について話し合うのは、子供が大きくなるまで待つのが最良である
子供には死を教えない方がいい。
特に小さい子供には教えない方がいいということが一般的である。
これは非常に危険である。
どういうことが起きるかというと、子供にとっては
親のどちらかが突然になくなるわけである。
その説明を誰からもしてもらわない場合、
その子供の精神の成長に障害が起きることがよくある。
非行に走ることもある。
子供はその年齢相応に死について概念化しているので、
子供が理解できる言葉で、あなたのお父さん、
あるいはお母さんは死んだのよと伝える必要がある。
また、状態が悪くなった段階で、もうすぐあなたのお父さん、
あるいはお母さんはこの世を去るかもしれないと
いうことを教えてあげた方が、子供が死を受け入れやすい。
9.子供の留意点
子供は喪失後、非常に早く新しい関係を形成する傾向がある。
その結果として子供は、死別を体験している親達と歩調が合わなくなる。
死別を体験している子供たちは全て、将来、情緒問題を持つ危険性がある
10.サポートのためのガイドライン
死の知らせを見あわせてはいけない
子供が理解できる単純な言葉を用いて、真実を教える。
もし親が末期状態であれば子供には、
「この状態は誰も手の下しようがないこと、できるだけ命を長引かせる手は全て打った」
ということを、教える。
11.薬物やアルコールは悲嘆の痛みを緩和する
薬物やアルコ-ルは悲嘆の痛みを緩和するという神話がある。
辛いときはお酒を飲んだり安定剤を飲んだらいいというのであるが、あまりお奨めできない。
安定剤はそれによって情緒を安定させるわけであるから、
逆にたどらなくてはならない悲嘆のプロセスを遅らせてしまう可能性がある。
症状が強いときだけ一時的に睡眠薬等を使うのは適切かも知れない。
次にアルコ-ルである。アルコールを飲めば飲むほど自責の念が強くなり、かえって辛くなる。
またアルコ-ル過飲は、家族や親族の非難や拒絶につながりやすく家族関係まで悪くなってしまう。
最終的にはアルコ-ル依存症になるという危険な面があるので、
アルコ-ルで紛らわすというのはお奨めできない方法である。
12.悲嘆しすぎると、健全な精神を喪失する
これは全く違う。人による。
つまり大声で泣きたい人は大声で泣けばいいし、一週間泣きたい人は一週間泣けば良い。
その人固有の悲嘆の仕方というのがあるので、
悲嘆のしすぎ、泣きすぎといったことは決してない。
怒りは悲嘆の正常な情緒反応ではなく、その表出を奨励すべきではない
つまり怒ってはいけない、医療者や遺族に対して怒りを向けてはいけない、
しょうがないじゃないの今更というのがあるけれども、
実は怒りたいときは怒ったらいいのである。
問題は怒りを向けられたときにどれだけ冷静に対処できるかということである。
遺族が怒りの表現をしたときに、これは怒っているのではく
悲嘆しているんだと懐深く受け止め、冷静に対応する必要がある。
「また、置き去りにされた」という怒りの感情はよくある全く正常の情緒的反応である。
なぜならば死は、過去の葛藤の解決を不可能にするからである。
13.悲嘆のプロセスは短いほうが良い
理性のコントロールによる悲嘆プロセスの短縮化は、
数カ月~数年後に悲嘆そのものが身体症状の形で再発することがある。
悲嘆のプロセスはその人固有の期間があり、決して短いほうがいいとは言えない。
特に1ヶ月以内で元気になってしまうという人は、病的悲嘆に陥る危険性が高い。
14.自助グループ
死別体験者が抱える問題について、もっともよく理解し
助けとなるのは、別の死別体験者である(パークス イギリス)
私たちは互いを支えあうことができたらいい。
ひまわりの会のような自助グル-プは悲嘆の神話を乗り越え、
悲嘆している人を支えるのに役に立つ。
人々は分かち合い、与えあう中で、自分たちが困難な状況の中で
けっして孤立しているのではないと感じることができる。
自助グループの中ではどんな発言をしても、奇人変人扱いを受けることなく、
誠実に話を聞いてもらえる場を提供することができる。
自助グループは、死別後の大きな変化や悲嘆プロセスへの適応や
生活の再構成などの困難な問題への対処の助けとなる。
自助グル-プの中でサポ-ト役として活動することは
助けを求める人に大変役に立ち、又サポ-トする事自体が
支援を受けることと同じくらいその人の立ち直りに効果がある。
個人は、参加したいときにやって来て、やめたくなったらいつでもやめられる。
自助グループを維持するにはある程度の人手や、
コストがかかり、サポ-トを受ける人からの協力が必要である。
デ-ケンがよく紹介するドイツのことわざに、
「二人で分かち合う喜びは倍の喜び、担う苦しみは半分の苦しみ」というのがある。
人はずっとひとりぼっちでは生きていけない存在である。
15.否認に憤懣しない
否認は感情を覆い隠すものである。心の準備ができれば否認は消失する。
患者や家族によってはひたすら治癒を願い、死の可能性を否認する場合もある。
このような願いをすっかり取り去るようなことをしてはいけない。
何度も同じことを繰り返し話すのを面倒に思ってはいけない。
16.強い感情表現を許す
怒りの表現に対して心の準備をしておく。
悲嘆症状は正常なプロセスと説明して安心させる
号泣、呻き、悔やみの声も自然な悲嘆反応であり、
こころゆくまで泣かせてあげるべきである。
「そう思うのはとても自然なことなのです」
「あなたの感情は異常ではありません」
と悲嘆感情を肯定してあげる。
17.傾聴
亡くなった人が表現していた意志は何であったか?
を基に決めるのが、最善の行動になる。
あなたは乗り切れるでしょうと言わない
むしろ、悲嘆の人の苦痛を認める。
「あなたの気持ちは良くわかります」とは言わない。
「さぞ、つらいでしょうね」などの共感が良い
18.ボディータッチ
肩に手を置く、握手するなどの言外のコミュニケーションは家族遺族に安心感を与える。
19.死別の事実を率直に認める
関心と心遣い 、例えば「○○さんが亡くなって残念です」と率直に言う。
20.言葉
「回復しようと急いではいけません」
「祭日や記念日には、つらい気持ちがよみがえってくるかも知れません」
重要な決定は少なくとも半年、できれば1年延期するようアドバイスする。
引っ越し、家の売却、転職、再婚など
21.みんなのできること
死別した人は心に思っていることを話せるだけで、不安感が軽くなる。
聞いてあげること。

究極、人それぞれだから「これ」という答えはないのですね。
ネガティヴな言葉も人を傷つけるけど、
人によっては前向きな言葉がそうであることもあるのです。
グリーフワーカーもケアもそれぞれの歩みでしかすすめないです。
人の心は繊細。些細なことで不安になりバランスを崩します。
だからこそ、それぞれが相手に対する愛を胸に、
人間らしく居ればいいのではないかと思うのです。
それが大事なんじゃないかなーと。
いつかみんながまた幸せを見つけることが出来る心になれますように。
歌や言葉は人生に欠かせない大きな支えでもあり、
悲しみに居る時にはその悲しみへの引き金ともなります。
けれど、歌は、言葉は、「善い」と思います。
善い歌や言葉には祈りや希望があるからです。
いつか心に届くものです。
水前寺清子さんが歌ってました。善い歌です。
水前寺清子 三百六十五歩のマーチ
三百六十五歩のマーチ
星野哲郎 作詞
米山正夫 作曲
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせの 扉はせまい
だからしゃがんで 通るのね
百日百歩 千日千歩
ままになる日も ならぬ日も
人生は ワン・ツー・パンチ
あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は ワン・ツー・パンチ
歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から
はじまることを 信じよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー
今、この日本には難しい状況に居る方がたくさんいますね。
被災された人、その家族、そして、災害とは別に訪れる死別の悲しみ。
「グリーフワーク」というのをご存知ですか?
私は10年前の以前のパートナーとの死別をきっかけに、
そして再び昨年の相方さんとの突然の死別を経験して、
このグリーフワークというものの最中にいます。
「グリーフワーク」は、別名「モーニングワーク」とも言います。
グリーフ(grief)は「深い悲しみ・悲嘆・悲痛」
グリーフワークは「喪の仕事」「喪の作業」「悲嘆のプロセス」などとなります。
グリーフケアはそのグリーフワークをする人を支える人のするサポートことです。
今、このグリーフワークとグリーフケアを多くの人が知ることによって
たくさんの方が支えられることにもなると思うので、
これまで学んだことなどからご紹介したいと思います。
グリーフワークは特別なものではありません。
大切な人との離別(死別だけでなく)や、
心の支えとなっていたもの(例えば、仕事など)を失った時に、
自然と始まる、立ち直るための心の動きのようなものです。
基本的に、無意識のうちに誰もが経験し、乗り越えてゆく過程です。
しかし、突然の事故や自死など、思ってもいなかったショックな出来事が起こった場合、
グリーフワークが完了するまでに長い時間がかかり、
時に専門家(精神科医など)の助けが必要となってくる場合があります。
病死で、長いこと床に伏していた場合は、「もしかしたら死別するかもしれない」と、
あらかじめ心の準備しておくこともできます。
ですが、大切な人の突然の死に直面すると、心の準備がないために、
現実を受け入れられないまま、長い年月を過ごすことも考えられます。
グリーフワークには、一応手順がありますが、
それらは順番に起こるわけではありません。
そして、順番どおりに進むものではありません。
いくつもの手順が同時に起こったり、手順の番号を飛ばしたり、
また戻ったりということもよくあることです。
そして、完了までにかかる時間も人によって
数ヶ月から数十年とかなりの幅があります。
自死遺族の場合、10年経ってまだショックから立ち直れずにいることもまれではないのです。
ショックが大きすぎて、体調を崩して病気にかかったり、
また、抑うつ状態が長引いて、精神科に通うようになることも多くあります。
グリーフワークについて、これから書いてゆくことは、
深い悲しみを抱えている、いろいろな方にも共通することです。
以下に、いくつかのグリーフワークの過程を書きますが、
重要なのは、これは「誰にでも起こる、正常な反応」だということです。
「まだ立ち直れない私は、どこかおかしいのではないか?」「そろそろ元気になるべきだ」
といった不安や疑問は、持たなくてもいいのです。
この過程は、あくまで目安として書かれたものであり、
人それぞれ、状況も違えば性格も違うように、
過程が順序よく起こると決まったものではありませんし、
完了までの時間に大きな幅が出てくるのは、さきほど述べたとおりです。
もしかしたら、数十年経っても完了したという実感がわかず、
苦しんでいる方もいらっしゃるかもしれないのです。
ここであまりに辛いのに耐えきれず、
精神科医に助けを求めるというのも、ごく普通の正当なことです。
風邪をひけば内科医へ行く、恋の悩みは友人に相談する。
自分自身で乗り越えなければとは、思わなくていいのです。
相手は立場が違っているためにあなたの気持ちをすべて理解できるとは限りません。
でも、あなたに対して真剣に向き合い理解しようとしてくれたなら、
それだけでも、大きな助けとなるかもしれません。
そして泣きたいと思った時には、そのままに自然に泣いて下さい。
涙が出ない時には、無理に泣こうとしないでいいのです。
あなたの中にあるお気持ち、どれもが本当で異常なことではありません。
「こんなことを考えてはいけないのでは?」とは思わなくて大丈夫です。
人それぞれ、グリーフワークは進んでゆきます。
進めようと特に思わなくても、進んでゆきます。
ですから、あなたはご自分を認めてあげて下さい。
そして、辛い時には、いつでも誰かに助けを求めて下さい。
《ショックの段階》
感覚の麻痺、涙が出ない、感情が湧かない、足が地につかない。
何も考えられず、混乱状態の中、何にも集中できない。
日常生活の簡単なこと(食べる・眠るなど)さえもできない状態。
《怒りの段階》
悲しみ、罪責感、怒り、責任転嫁。
深い悲しみとともに、故人・周囲の人を責める気持ち、
そう思ってしまう自分を責める気持ちが同時にある。
故人との思い出にふけり、現実を認められない。
幻想空想と現実の区別がつかない状態。
《抑うつの段階》
絶望感、深い抑うつ、空虚感、無表情、希死念慮。
周囲のあらゆるものへの関心を失い、自分は価値のない人間だと思ってしまう。
適応能力に欠け、外出せず、引きこもりのような状態。
《立ち直りの段階》
徐々にエネルギーが出て、新しい希望が見えてくる。
周囲との関わりを大切にしようと思えるようになる。
故人の死の現実を認められるようになる状態。
哲学者アルフォンス・デーケンは「悲しみのプロセス」として以下の12段階を挙げています。
デ-ケンは、この辛い12の段階を誰かが代わって行うことはできない、
自分の中で時間をかけて消化するより仕方がないと力説しています。
1.精神的打撃と麻痺状態
頭の中が真っ白になる。
心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き(防衛機制)である。
「お葬式など、あまり覚えていませんし、夢中の出来事のようです。
泣くこともでしず、回りからしっかりしているとか、泣かないことを非難されたりします。」
2.否認
感情が受け入れられないだけでなく、理性も相手の死という事実が認められない。
帰ってくるような気がしたり、声を聞いたりする。
「あの人が死ぬわけがない」
3.パニック
パニックを未然に防ぐことが、悲嘆教育の大切な目標の一つ
4.怒りと不当惑
不当な苦しみを負わされたという激しい怒りが沸き起こり、
何で私だけがこういう目にあわないといけないのだろうかという不当感が発生することもある。
とりわけ突然死の時に強い。無理に感情を押し殺さず上手に発散させる。
5.敵意と恨み
残された人は、周囲の人々や亡くなった人に対して、
敵意や恨みという形でやり場のない感情をぶつける。
医療者や亡くなった人自身が対象になりやすい。
6.罪意識
罪意識は自責感であり、多くの遺族をひどく苦しめる。
7.空想形成、幻想
出張していると思い込もうとしたりする。
8.孤独感と抑うつ
葬儀などの慌ただしさが一段落すると、まぎらわしようのない
独りぼっちの寂しさがひしひしと迫ってきます。
9.精神的混乱と無関心
日々の目標を失った空虚から、全くやる気をなくす。
人と話すことも、出かけることもとてもおっくうになる。
10.あきらめ→受容
受容とは事実を真実として積極的に受け入れていこうとする行為のことである。
愛する人はもうこの世にはいないという辛い事実を自ら受け入れることができるようになる。
11.新しい希望
忘れていた微笑みがもどり、新しい自分へと成長していく。
12.立ち直りの段階~新しいアイデンティティーの誕生
《病的悲嘆》
死別者の10~15%が病的悲嘆に陥る。
悲嘆の仕事(grief work)が正常に行われないことであり、
悲嘆のプロセスが遅れたり抑制されたり、長引いたり、あるいは欠如したりする。
悲嘆の中期がいつまでも続き、遷延性の心痛、心理的・社会的機能の低下を招き、
人生を前向きに歩めなくなる。結果として人間的成長が阻害される。
病的悲嘆の症候
悲嘆が長期化するか非常に強度
半年の間にみるべき悲嘆(感情)の回復がなければ、病的悲嘆を疑う。
胸や足やおなかが痛むといった様々な身体症状が長期にわたって出現する。
数カ月あるいは数年たって、なんらかのきっかけで、
喪失を突然思いだし、激しい悲嘆症状が出現することもある。
悲嘆がプロセスの一つの段階に長くとどまる
自分の悲嘆感情、あるいは周囲から見てその人の嘆き苦しみが半年間ずっと同じであれば病的悲嘆を疑う。
死者に対して愛憎両面の感情を抱いていたり依存的な関係にあったために、
悲嘆が固着的で過度の罪責感や怒りや自己非難によって複雑になることもある。
悲嘆が鬱病やその他の精神疾患に進行する
うつ状態や閉じこもりがいつまでも続き、心の痛みや心理的社会的機能の低下が長引く。
人生を前向きに歩めなくなる状態になる。その結果として人間的な成長、あるいは自立が阻害される。
死別体験者が喪失に適応するのが困難だと感じている
その人自身が非常に辛い気持ち、その喪失に適応するのが困難だ
と感じているときは病的悲嘆に陥っている可能性がある。
感情の麻痺
全く嘆かず、何事もなかったような行動をとるのは病的悲嘆の一種である。
心は苦しんでいるのに周囲に向かっては何事もなかったような行動をとるのは非常によくない。
それは自分の本来の情緒を押し殺してしまう可能性がある。
危険因子
突然の予期しない死
突然の死は遺族の心に深い傷を残す。もし何々であればとどうしても思ってしまう。
子供を失ったとき
家族や友人の不用意な勇気づけ
家族や友人、あるいは医療者が不用意な勇気づけを行った場合、かえって病的なプロセスに陥ることがある。
いずれも、言葉や順序は多少違うものの、おおよそ概要は同じだと思います。
そして、これらに共通しているのは、
死別のプロセスは苦しみなしには経過しないし完了もしない。
死別は、それぞれの人にとって独自なものである。
個人の反応は社会文化的要因やパーソナリティー、死者との関係の強さなどにより異なる。
「故人の死を受け入れられるのは、かなり後になってから」
ということではないでしょうか?
多くの人が、「本当はまだ生きているのでは?」という、
小さな希望を持ちながら、現実を受け入れられずに、
長く苦しい時を味わっていると言えるかと思います。
これもまた、グリーフワークの最中にはごく自然な反応なのです。
このグリーフワークの最中に居る人の傍に居る方の為に
グリーフケアの参考になる部分も掲載しておきます。
1.死別神話というもの
死別体験にも神話がある。亡くなった後の遺族の態度はこうであるという神話があり、
その神話が早期発見早期治療の神話と同じように、遺族を苦しめている。
2.悲嘆の期間
死別後1年も経って嘆いていると周囲は「いつまで嘆いているんだ」としばしば叱咤するが、
悲嘆は半年から1年で完了することが多いというだけで、2年悲しんでも3年悲しんでも、
その期間はその人にとって必要のある悲しみの期間である。
3.喪失について考えないほうが苦しみは少ない
「失ったこと、家族を失ったことについて考えない方が悲しみが少ない。もう忘れなさい」
とはよく言われる科白である。
しかし、無理に喪失体験を忘れて新しい世界に入ろうとすると、
逆に悲嘆のプロセスを正常に歩めなくなって、病的悲嘆に陥ることが多い。
喪失についてゆっくり考えなければ後でもっとひどい状態になる。
4.喪失について触れないほうが、死別体験者にはいっそう助けになる
もちろんこう言ったこともあるが、むしろふれてもらって、
慰めてもらった方が助けになる人が多い。
5.怒りや罪責感を感じるのは異常である
死んだ人を恨んだり、お医者さんを恨んだり、
あるいは自分を恨んだり責めたりするのは異常だという神話である。
しかし、そういった怒りや罪跡感は悲嘆のプロセスとしては
通らなくてはならない関所のようなものである。
であるから一時その感情に浸ったとしてもそれは決して異常ではない。
6.泣いたり悲嘆について話す人は、感情を出さずに
喪失を口にしない人よりも、ずっと苦しい時を過ごしている
これは正反対である。
喪失のことを話したり、感情の表出、泣いたり叫んだりすることができる方が
悲嘆プロセスを促進して早く辛い状況から立ち直ることができる。
多くの人は自分の感情をあらわにする場所を持っていない。
子供や親戚はそれに適していないことが多い。
感情を表出できる適当な場所として自助グル-プは適切である。
泣いた後はたいてい気分がすっきりする。
気分の爽快感は悲嘆プロセスの促進を意味する。
7.悲嘆は家族をお互いに親密にする
悲嘆は家族構成員に多様な反応を作りだすので、
一時的に精神的緊張や混乱、相互の回避などをおこすことが多い。
8.子供たちは幼すぎて死を理解できないので、
死の概念について話し合うのは、子供が大きくなるまで待つのが最良である
子供には死を教えない方がいい。
特に小さい子供には教えない方がいいということが一般的である。
これは非常に危険である。
どういうことが起きるかというと、子供にとっては
親のどちらかが突然になくなるわけである。
その説明を誰からもしてもらわない場合、
その子供の精神の成長に障害が起きることがよくある。
非行に走ることもある。
子供はその年齢相応に死について概念化しているので、
子供が理解できる言葉で、あなたのお父さん、
あるいはお母さんは死んだのよと伝える必要がある。
また、状態が悪くなった段階で、もうすぐあなたのお父さん、
あるいはお母さんはこの世を去るかもしれないと
いうことを教えてあげた方が、子供が死を受け入れやすい。
9.子供の留意点
子供は喪失後、非常に早く新しい関係を形成する傾向がある。
その結果として子供は、死別を体験している親達と歩調が合わなくなる。
死別を体験している子供たちは全て、将来、情緒問題を持つ危険性がある
10.サポートのためのガイドライン
死の知らせを見あわせてはいけない
子供が理解できる単純な言葉を用いて、真実を教える。
もし親が末期状態であれば子供には、
「この状態は誰も手の下しようがないこと、できるだけ命を長引かせる手は全て打った」
ということを、教える。
11.薬物やアルコールは悲嘆の痛みを緩和する
薬物やアルコ-ルは悲嘆の痛みを緩和するという神話がある。
辛いときはお酒を飲んだり安定剤を飲んだらいいというのであるが、あまりお奨めできない。
安定剤はそれによって情緒を安定させるわけであるから、
逆にたどらなくてはならない悲嘆のプロセスを遅らせてしまう可能性がある。
症状が強いときだけ一時的に睡眠薬等を使うのは適切かも知れない。
次にアルコ-ルである。アルコールを飲めば飲むほど自責の念が強くなり、かえって辛くなる。
またアルコ-ル過飲は、家族や親族の非難や拒絶につながりやすく家族関係まで悪くなってしまう。
最終的にはアルコ-ル依存症になるという危険な面があるので、
アルコ-ルで紛らわすというのはお奨めできない方法である。
12.悲嘆しすぎると、健全な精神を喪失する
これは全く違う。人による。
つまり大声で泣きたい人は大声で泣けばいいし、一週間泣きたい人は一週間泣けば良い。
その人固有の悲嘆の仕方というのがあるので、
悲嘆のしすぎ、泣きすぎといったことは決してない。
怒りは悲嘆の正常な情緒反応ではなく、その表出を奨励すべきではない
つまり怒ってはいけない、医療者や遺族に対して怒りを向けてはいけない、
しょうがないじゃないの今更というのがあるけれども、
実は怒りたいときは怒ったらいいのである。
問題は怒りを向けられたときにどれだけ冷静に対処できるかということである。
遺族が怒りの表現をしたときに、これは怒っているのではく
悲嘆しているんだと懐深く受け止め、冷静に対応する必要がある。
「また、置き去りにされた」という怒りの感情はよくある全く正常の情緒的反応である。
なぜならば死は、過去の葛藤の解決を不可能にするからである。
13.悲嘆のプロセスは短いほうが良い
理性のコントロールによる悲嘆プロセスの短縮化は、
数カ月~数年後に悲嘆そのものが身体症状の形で再発することがある。
悲嘆のプロセスはその人固有の期間があり、決して短いほうがいいとは言えない。
特に1ヶ月以内で元気になってしまうという人は、病的悲嘆に陥る危険性が高い。
14.自助グループ
死別体験者が抱える問題について、もっともよく理解し
助けとなるのは、別の死別体験者である(パークス イギリス)
私たちは互いを支えあうことができたらいい。
ひまわりの会のような自助グル-プは悲嘆の神話を乗り越え、
悲嘆している人を支えるのに役に立つ。
人々は分かち合い、与えあう中で、自分たちが困難な状況の中で
けっして孤立しているのではないと感じることができる。
自助グループの中ではどんな発言をしても、奇人変人扱いを受けることなく、
誠実に話を聞いてもらえる場を提供することができる。
自助グループは、死別後の大きな変化や悲嘆プロセスへの適応や
生活の再構成などの困難な問題への対処の助けとなる。
自助グル-プの中でサポ-ト役として活動することは
助けを求める人に大変役に立ち、又サポ-トする事自体が
支援を受けることと同じくらいその人の立ち直りに効果がある。
個人は、参加したいときにやって来て、やめたくなったらいつでもやめられる。
自助グループを維持するにはある程度の人手や、
コストがかかり、サポ-トを受ける人からの協力が必要である。
デ-ケンがよく紹介するドイツのことわざに、
「二人で分かち合う喜びは倍の喜び、担う苦しみは半分の苦しみ」というのがある。
人はずっとひとりぼっちでは生きていけない存在である。
15.否認に憤懣しない
否認は感情を覆い隠すものである。心の準備ができれば否認は消失する。
患者や家族によってはひたすら治癒を願い、死の可能性を否認する場合もある。
このような願いをすっかり取り去るようなことをしてはいけない。
何度も同じことを繰り返し話すのを面倒に思ってはいけない。
16.強い感情表現を許す
怒りの表現に対して心の準備をしておく。
悲嘆症状は正常なプロセスと説明して安心させる
号泣、呻き、悔やみの声も自然な悲嘆反応であり、
こころゆくまで泣かせてあげるべきである。
「そう思うのはとても自然なことなのです」
「あなたの感情は異常ではありません」
と悲嘆感情を肯定してあげる。
17.傾聴
亡くなった人が表現していた意志は何であったか?
を基に決めるのが、最善の行動になる。
あなたは乗り切れるでしょうと言わない
むしろ、悲嘆の人の苦痛を認める。
「あなたの気持ちは良くわかります」とは言わない。
「さぞ、つらいでしょうね」などの共感が良い
18.ボディータッチ
肩に手を置く、握手するなどの言外のコミュニケーションは家族遺族に安心感を与える。
19.死別の事実を率直に認める
関心と心遣い 、例えば「○○さんが亡くなって残念です」と率直に言う。
20.言葉
「回復しようと急いではいけません」
「祭日や記念日には、つらい気持ちがよみがえってくるかも知れません」
重要な決定は少なくとも半年、できれば1年延期するようアドバイスする。
引っ越し、家の売却、転職、再婚など
21.みんなのできること
死別した人は心に思っていることを話せるだけで、不安感が軽くなる。
聞いてあげること。

究極、人それぞれだから「これ」という答えはないのですね。
ネガティヴな言葉も人を傷つけるけど、
人によっては前向きな言葉がそうであることもあるのです。
グリーフワーカーもケアもそれぞれの歩みでしかすすめないです。
人の心は繊細。些細なことで不安になりバランスを崩します。
だからこそ、それぞれが相手に対する愛を胸に、
人間らしく居ればいいのではないかと思うのです。
それが大事なんじゃないかなーと。
いつかみんながまた幸せを見つけることが出来る心になれますように。