KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

あらかじめ許されている世界

2011-04-24 | KOFUKU日記
今日は春の嵐のような雨でした。
そして余震もなかなかおさまらないですね…。
夜にはいまだ多くの放射能が待機中に放出されている事が今頃になって発表。
早く行ってくれれば、近くの人は気をつけることもできるのに。。。はぁ・・・( ・´_`・ )

こういう時こそ和まなければ。
可愛い我が子を眺めるとしますか!
(ハイ、親ばかです…;^ω^)

最近仲良し( 。-_-。)ε・`*)チュッもしてま~す(〃'▽'〃)




さてさてさて…あと1週間で四月も終わり。
実は私はいま結構焦っています(´-∀-`;)

と言うのも、家や荷物などを整理して
お引っ越しを済ます期限が来月いっぱいまでだから。

とは言え、こんな心身の状態なので、さっさかさ~とは行かず…( ・´_`・ )
片づけなくちゃいけない荷物はあるけど、
相方さんのものなど、そんなに簡単には片付けられず…。
もともとのスローペースにさらに拍車がかかっております。
そして、焦りまくるマイ❤はぁと、、、、、(´-∀-`;)

でもその反面、今月はお誕生月だったせいでしょうか、
未だおさまらぬ不安症でこもってるせいか、
それを知っている親しい間柄の方から、
いつもに増して次々と心のこもったお祝いの言葉や贈り物が届き
とても嬉しい気持ちで過ごしておりましたデス~。
皆さま、御心使い、本当にありがとうございました(人'▽`)☆
この場をお借りしまして、心から御礼申し上げます。


さて、私はもともとスピリチュアルな体験が多く、
その影響なのかそういう内容の本を多く読む機会があります。

先日、お誕生日プレゼントにミッチ・アルボムの
「天国の五人」を贈って頂いて読ませて頂きました。
自分の人生が全ての人の人生と繋がっていると言う事が描かれた本です。

人生においては誰しも一人では生きていません。
たとえどんなに自分が孤独だと思っていても、
一生全く誰とも関わらなかった人はいません。
生まれてくるに人の力を借り、生きるに人の力を借り、
人とはきっとそういうものでしょう。

でも人は宿命とも呼ばれる自分の境遇は選べない。
気がついたら家族や取り巻く環境が存在してる。

そういう中で人間関係が出来て行くけど
自分が生まれる前に決めて来たとしても覚えてないし。
納得できないことは多いし、予期しない出来ごとも起こる。
家族であっても、だから絶対に好きか?その家族で幸せか?
というと、これまたそうとも言えない。
何でこんな奴らに出会っちゃったんだ、とも思う事もあるかもしれない。
あんな奴知らないよ、なんて気にすることすらもない人と
自分がこの世を去るまでにはすごい数とすれ違う。

でもね、そんなすれ違う人とも、全ての人は繋がっているんだよ、
生きることも死ぬことも全てのことに大きな意味があるんだよ、
善いも悪いもぜんぶぜんぶ意味があるんだよ。

それが「天国の五人」のお話し。
興味のある方、ぜひ読んでみてくださいね。




さて、そんな本が好きな私はスピリチュアルな内容を書かれる方の中でも
特にリアルな感覚を持って内容を受け止められるのはシスター鈴木秀子さんの本です。

スピリチュアルと言っても彼女は霊能者という類ではありません。
どちらかというと「霊的体験者」の一人です。
その体験からシスターは死(生)と向き合うようになられました。

私は言う事はかなり夢夢しいかもしれませんが
そう思わせて、実はかなり現実主義者です。
なんにしろ自分が実感しないものは理解できないタイプ。
ですから空想のお話にはあまり動かされません。
現実に起こっている出来ごとに心打たれるのです。
もしくはその空想している人の現実を感じる方です。
そういった面から、自分でも御話を書くときは実話ありき。
読んで納得するのも実話が多いです。
シスターが書いておられるエピソードは全て実話です。

「死にゆく者の言葉」などたくさんの名著がありますが、
その中でも私が気に入っているエピソードは
「在ますがごとく死者は語る」という本の中のエピソードです。


60歳を過ぎた女性が40年連れ添った旦那さまを突然死で亡くされます。
彼女の結婚生活は幸せではありませんでした。
お見合い結婚のご主人さまはとてもぶっきらぼうで冷たかったのです。

でもある日、ご主人が彼女への怒りと共に自分の生い立ちを話します。
母親が早くなくなり、後妻の継母とその子供にひたすらいじめられ続け、
自分を置いて亡くなった母親を怨んでいて、
人など信じられないと信じている寂しい心を知ります。
彼女は可哀想に思い、誰と話すこともなく、
毎日家を磨きながら、ただひたすらその生活に耐えていました。

四十九日が過ぎ、喧騒が去っていくと少しホッとした気持ちになりました。
次に自分の人生は一体何だったんだろうと思いました。
そして今度はそう思ったことでご主人に対して罪悪感が生まれました。
そして自分は人間失格だと思うようになります。

ある日、その女性のもとに子犬が迷い込んできます。
流れでその子の面倒をみることになった女性、
その犬と庭に居ると通りすがりの人が声をかけてきます。
40年家にこもりきりだった女性は初めて外に出たようなものでした。
そしていろいろ会話をするうちに自分から話しも出来るようになりました。

ふと、彼女は気づきます。自分が子犬にいろいろ話しかけていることに。

「人は誰かに話しかけなければ生きていけないのかも…。
じゃあ、自分は今までなんに話しかけて来たのかしら?」

それは家中の掃除をするときに目にしていた木目たちでした。
40年磨き上げた木目はとても重厚な輝きがありました。
そしてご主人との40年という月日があったことを教えてくれました。
女性は「人から見ればつまらない人生にも意味があるのでは?」と思うようになります。

そんなある日、犬を連れて河原に散歩に行きます。
犬と一緒に水面を観ていると、

「私は川に放り込まれた小枝みたいにながされるままの人生を送ってきたのかもしれない。
それを不思議とも思わなかった。
でも今、緩やかな流れの上に浮かびあがって、周りを見る余裕ももてるようになった。」

そう思った瞬間、

「おまえはやっと自分らしくなったな。」

突然彼女の耳に亡くなったご主人の声が聞こえたのです。

夫の声は続きます。

「二人でいるときに俺はお前を幸せな気持ちしてやれなかった。
それは自分が愛されたことがなく、どうやって愛せばいいかわからなかったからだ。
お前に優しい言葉をかけたい、なんとかしてやりたいと思ったが
どうしてもそうすることが出来なかった。
そうすることすらままならなかったのだよ。」

言葉は続きます。

「顔も見たくないくらい大嫌いだった継母と兄弟たち。
時には殺してやろうと思ったほどだった人たち。
だが、私が死んだ時、迎えに来てくれたのは彼らだった。
花の咲き乱れる野原で母を真ん中に兄弟手を繋ぎ、自分の名前を呼んでいた。
昔知っていた彼らとはすっかり変わった優しい顔だったが、私にはすぐわかった。
継母は私に言った。

おまえは今、新しい世界に入ってきたのですよ。
この世界では許すことが一番大事なのです。
私たちも許されてこの世界に迎え入れられました。
だから私たちもあなたが来る時に許しを請うて
そしてお前も許されていることを教えるためにこうして皆で来たのです。

私は死んで初めて、一生思いつめていたこととは全く逆の体験をした。

この世界には許すとか謝るといった関係は存在せず、
あらかじめ許され、包まれるような慈愛が満ちていた。

それから自分の一生がぱっと走馬灯のように映し出され、
自分がどんなに人を傷つけたのか、どう思ってそんなことをしたのか
まるで手に取るようにわかった。

でも慈愛の光の中で自分の人生を見ると、悔いを残すと言うのでなく、
素直に許しを請いたいと言う気持ちになり、
するとこんな駄目な自分でも、すでに許されて愛されていると解った。

愛に飢え、死ぬまで悲しみを抱えた一生を過ごしたから解るんだ。
いま、愛にあふれた世界に居ることが。
そして生きている時も同じだったことが。
それに生前は気がつかなかったんだよ。
人が生きている世界は根底では愛でつながっているけど気がつかないだけなんだ。

お前にそれを伝えることが、私の最後の使命なんだよ。
だからもう私の事は気にしないで、幸せに過ごしておくれ。
そして人間にとって許し合う事が生きて行く上で大事だと言う事を覚えていておくれ。
難しい時もあるだろう、それでも、人を許し、自分を許す事を学んでほしい。
恨みは人も自分も刺すとげとなることを覚えていてくれ。

君のところに犬が来ただろう?
犬は君が餌をやるのを忘れても、足を踏んでも、
次の瞬間君を見るとしっぽを振って喜ぶだろう?
犬は君の過ちをすぐに許し、恨みを持ち続けたりしない。
真っ直ぐに君に愛情を示すね。

その犬はね、君が許すことを学ぶために、君のところに来たんだよ」

声は聞こえなくなりました。

ふっと我に帰ると、子犬は膝の上で寝ていました。
「ああ、あの人が来てくれたんだ」彼女はそう思いました。

それから彼女は夫の言葉を心にとめながら生活を始めます。
そして、ある老人ホームのお手伝い(奉仕)をすることになりました。
その生活の中で夫の言葉がたくさんの力になりました。
彼女は生きるすべを見つけたのです。
そしてお話の最後にこうおっしゃっています。


「私は気づいたのです。
何か形になることをやり遂げたから、
その人の人生に価値があると言う事ではないことを。
夫には夫なりの数10年の人生の重みがあったのです。
そして生きると言う事の意味を、人の役に立ちたいと言う思いを、
命に代えて私に教えてくれたのです。

はっきりわかりました。
夫が私に伝えて行った、人を許すと言う事は、
相手が悪い事をしたから許すと言う事ではないのです。

その人がどういう人であろうと、素直にその人を受け容れて、
何か手助けをしてあげること。
それが許すと言う事なのです。

私の人生は根底から全く変わった様な気がいたします。
夫は死んで、初めて私に贈り物をしてくれました。
数10年分をまとめて一度に、素晴らしいプレゼントに変えてくれました。
今、私はとても幸せです。」
(原文のまま)


これは実話です。実在する方のそのままの言葉です。
向こうの世界はあらかじめ許されている、そんな愛の世界。
私はこの表現が好きです。

私はこのエピソードを初めて読んだ時、
なんだか世界中がとても救われた気持ちになりました。
そして、向こうに行った人とも、こちらに居る人とも、
解らなくったって愛でつながっているんだなぁと思い、
とても嬉しくなって、こころから感謝できました。

そしてこのエピソードは天国の五人の内容とも共通しています。
本を読んですぐにこの話を想い出しました。


私のところにも良く亡くなった相方さんが会いに来てくれるんですよ。
私の願いを善く分っていて、それにこたえてくれるんですよねぇ。
向こうに行ってまで、思いやってくれているんだなぁと思い嬉しくなります。

そんな相方さんと暮らしたこの家とももう少しでお別れです。
とても寂しいけど、決して寂しくありません。
どこに居ても繋がっているから。

いろいろと忙しくバタバタしちゃいますが、
出来るだけ、相方さんが安心するような最後の時間を過ごしたいと思います。

さあ、明日からもまたがんばりますか(*^▽^*)