
《モホーク・インディアンの祈り》
有難き 母なる地球
昼も夜も漕ぎゆく 母なる地球
優しく 尊く 豊かな
おお 大地よ さあれ 我らが心も
有難き 草よ 樹よ
雨にも風にも負けず 立ち
根っこは 見事な毛をひろげ
葉っぱは 陽の光 命に変え
踊るは 流れうずまく 種子の中
おお 草よ 樹よ さあれ 我らが心も
有難き 大気よ
その胸のいだくは 天がけるアマツバメ
また 夜明けに静まるフクロウ
我らの歌は息吹く さわやかな心の微風
おお 大気よ さあれ 我らが心も
有難き 野のけだものよ
秘密と自由と道教え 我らと乳わかち合う兄弟
満ち足りて 雄々しく 心冴えわたる
おお 獣よ さあれ 我らが心も
有難き 水よ
とどまり また流れ
雲 湖 川 氷河と変わりゆく水よ
我らの生身を流れるは 塩の海
おお 水よ さあれ 我らが心も
有難き 太陽よ
もやを 樹の幹をつらぬく まぶしい光の鼓動
熊眠り 蛇眠る穴をあたため
我らを眼ざます
おお 太陽よ さあれ 我らが心も
有難き 天よ
数十億の星をいだき さらに彼方へ
すべての力と 思いをこえて
しかも 我らの内にひろがる
祖父なる天
心は その妻
おお 偉大な天よ
さ あれかし
《イロコワの祈り》
おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、
その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、
大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。
私はあなたのまえに一人の人間として、
あなたの多くの子供たちの一人として立っています。
私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。
どうか私を美の中にあゆましめ、
赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。
私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、
私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。
あなたが私たちにお教えになったことども、
一枚の木の葉、一つの岩の下にも
あなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、
私を賢明にして下さい。
おお、私の創造者よ、私は強くありたい。
私の仲間にうちかつためにではなく、
私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。
汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもって
いつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、
やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、
私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、
あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。
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地震から一カ月が経ちました。
そんなこの数日も地震で飛び起きたり、緊急地震情報に揺れる毎日です。
多分、そんな方が多いかと思うのですが、私ももれなく
動揺症・地震酔い症候群になった私にはわずかな揺れでも
それはそれはグラグラと揺れているように感じるのです。
被災されている人、原発のお近くに住まいの方にすれば
「地震酔い?何言ってるんだ?」と思われるかもしれませんが…( ´-ェ-` )シュン
実際、被災された方のことを思えば、我が身が情けなくなるばかりです。
けれど相方さんとのお別れによって、もともと持っていた不安症がひどくなり、
それと戦うように暮らしていた私にとって、この311の地震は大きな衝撃でした。
こんなときに彼が居ないという現実は恐怖と不安になって残りました。
いつ地震が来るかしれない、原発に何が起きるか解らない、
そんな現実に大きな不安が生まれ、緊急地震情報に震えが止まらなくなり、
吐いてしまうほどの揺れる感覚に落ちいり、
不安でちびさん達を置いて家からは出られなくなり、
それこそ外に買い物にも行けず、怖くてお風呂も入れず、
未だの寝間着に着換えて眠ることすらできなくない状態が続いています。
貴重品や避難グッズも傍に置いたままです。
余震もおさまって来て、すこし回復の兆しでしたが、
7日、昨日、今朝の大きな余震の揺れでまたすっかり元通り…(っω`- )
グラグラゆらゆら、常に吐きそうです。
けれども買い物もしなきゃいけないし、お風呂も入りたいし
病院にも行かないとお薬は切れてしまうし…
時々親友のカンナちゃんが様子を見に寄ってくれるので
チビさん達を預かって頂いて、買い物に行ったり、病院に行ったりしています。
先日、メンタルクリニックに居るときに緊急地震情報が鳴り揺れました。
子どもたちを思ったら心臓が止まりそうになりパニック発作が…。
先生に助けられ、地震もおさまり、落ち着いた後、心配した先生が
「今のようすでは大変だから、人のいる病院に入院しようか??」と…(;´・ω・)
でも即答で「わんこたちが居るんです。無理です」と答えました。
そして「こんなんじゃ現地の人に申し訳ないですね。情けないです。」
と凹んでいたら、先生がこう言ってくれました。
「いやいや、あなたにとって犬たちは家族じゃないですか、
おいていけない、守りたいと言う気持ちは間違っていないよ。
それに状況や場所は大きく違うかもしれないですが、
悲しみや不安の度合いは計れるものじゃありませんよ。
地震や災害にあったから、その人の方が悲しみが深いとか、
そうじゃないから大したことないとかそんなことはないのです。
誰だって哀しいことは哀しいし、不安は不安。
ちっとも情けなくなんかないですよ。
それにね、あなたは今恐れを抱いている分だけ、
他の人よりも被災地の人を身近に感じられているんですよ。
そういう方はいろいろとご苦労は多いかもしれませんが、
何があってもあたしには全く関係ないわって人より、私は人間的に好きですねぇ」
嬉しかったですね。ちょっとホッとしました。
お薬よりも先生の言葉が効いた気がします。
被災地の方も「人の言葉に助けられた」
という方が多かったように思いますが
心の寒い時、暖かな言葉には本当に助けられるものだと思います。
私は今回の相方さんを失う前の10年ほど前に家族を突然死で亡くしました。
それまでの自分の人生も知る方に言わせれば
「何万人に一人」「あたしなら死んでいる」
そこまで言わんでも…(;^ω^)
というくらいに表現される貧しく大変な環境下に居りました。
家族はその環境から抜け出したわけではなく
今もその連鎖が続く輪の中にあると言えます。
ですが、恵まれたことに私の家族はその環境を卑下したりせず
その中にあって明るく暮らす工夫や笑顔の絶えない家なのです。
そりゃあ、確かに、その環境だけで差別する人は多く居て
困難なことは他の人に比べれば基本の時点で数知れずありましたが
その反面、そう言ったことに心から深く添いながら
理解しようと努力してくれる友人にも恵まれていました。
私自身もそのことに対して落ちこむことはなかったし、受け止めていたし、
どっちかというとかなーりの開拓者な精神の持ち主だったので(笑)
それまでの人生ではなにか気持ちの上で大変になる
と言ったこともなく過ごしていました。
ところが家族の突然の死というのはそれら全てを変えました。
そのことで過去から理性の上で対処してきた数々の事柄が
実は心を圧迫していたことに自分の心が気づいてしまったのです。
それをきっかけにその心の圧迫は重度のPTSDになり吹き出しました。
それから10年、本当に善くなったり悪くなったりを繰り返しながら
昨年亡くなった相方さんに公私支えられながら一歩ずつ歩んで来ました。
心の傷はなかなか簡単には癒せないものです。
でも、そんな中で相方さんろいうかけがえのない人に出会い、
愛をはぐくみながら一生懸命に歩んできた道に学んだことがたくさんあります。
苦労した坂道は越えればいつしか力になっています。
失ったものは大きかったけど、その分得たものも大きいのです。
今はその糧となったことを基準にして、
無理をせず、自分のペースであゆんでいます。
このブログはその病になって状態が一番ひどかった8年前、
家から一歩も出られなくなり、死に直面する毎日の中
なんとか立ち直りたいと医療の一環として書き始めました。
そして今も自分が自分自身の力で、自分の心を支えて行くため
また人と繋がる為の大きな力、自分の一部として書き続けています。
昨年の相方さんの死から10年の時が戻ったような日々が続いていますが
ただ以前とは違うなぁと思う事があります。
それは今は見えなくても立ち直る力は自分に潜んでいるとわかっていること。
そして、愛しあった人とのつながりは消えていかないと言う事実。
たくさんの経験から、本当に繋がっていく友情を持っていると言う事。
新しい道が続いていると言う事が解っていることです。
だから、歩めない時も出来ることをしよう、と思う。
人からどんなふうに言われようとも自分のペースで、と。
それは一緒に歩いてくれた愛する人たちや
人生で出会った人や全てが教えてくれたことです。
そのことに私は心から感謝をしています。
愛の力は偉大です。
誕生日
私は自分の為に祝う事はしませんし、人にも主張しませんが、
この日ばかりは周りに居る人に心から感謝をしようと思う日です。
昨日、誕生日でした。
これまで出会ってくださった全ての人に。
あなたの御蔭で私はここに居ます。
ありがとうございます。
これからも上り下りはあると思うのです。
そんなに簡単ではないことも解っているから。
いえ、平坦な道はもう来ないかもしれない。
だからこそ、焦らず自分や周りと会話をしながら「我が道を往く」こと。
自分で歩んだ歩みなら後悔はない。
そう思うのです。