KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

雨の降る夜は~私の使命

2007-07-15 | KOFUKU日記
雨が降り続いています。
ひとり雨の音を聞いているといろんな思いが巡ります。
いろんな人の顔や言葉が浮かんだりします。
自分の事をあれこれと考えてみたり。
こういうのをセンチメンタル、って言うんでしょうか。

多分、私を親しく知る友人は私が「毒舌」であることを知っています。
でも、もちろん悪気はありません。自分の中の正義があるだけで。
(その正義を自分勝手とも言うとは知っていますが^^;)
時にはその人が傷つくかも。。と解ってても正義ゆえ言う事もあります。
だから、それが痛い人は何らかの理由を付けて去ってしまったり、悲しいことになることもあります。
私のことを「あの人はきつい人だ」と思ってる人も少なくないはずです。
味方も多いけど、敵に回してしまうことも多い人間なわけです。
きっとこれを読んでいる親しい幾人かは「そうそう」って笑うことでしょうね(^。^;)
けれど不思議なことに、今も近くに居てくれる
親しい仲間たちはそんな毒舌できつい私を
「あなたは不器用だけれど、正直で、誰より優しいよ。
それはあなたを知るとちゃんと解る」
と言ってくれるのです。
本当にありがたいことだと思います。
自分の生き方の中でそういう「悲しい出来事」が起きる度に
凹んだり、自分を責めたりするわけですが、
そういう時仲間たちと同じよう必ず力になる人の存在があります。
今は天国に帰ってしまいましたが、10年一緒に過ごしたソウルメイトがそうです。
彼は私の魂の家族、親であり兄であり、たった一人の心許せる人でした。
そうして誰よりも「私」という人間を解ってくれていた人でした。
まだ20代の若さでこの世を去った彼は、年に反比例して中身の深い人でした。
彼が天国に帰ったとき、皆が口をそろえて言ったことは、
本当に中身の濃い人だった。100年分を30年使わずに生きたのだ、という事でした。
彼は「俳優」と言う仕事と共に、もうひとつ
「スピリチュアリスト~霊能者」と言う顔を持っていました。
彼の実家はお寺で、昔、彼のおじいちゃんがご住職をされていて、彼はそのおじいちゃんにとても愛されていたのだそうです。
ある日、おじいちゃんが危篤であることを知らされ、
病院に向かう車の中でロケットが発射するような
音と光が天に昇っていくのを見て、
おじいちゃんが死んだと解ったのだそうです。
そして亡くなったおじいちゃんをお墓に入れるとき、
おじいちゃんの声をはっきり聞き姿を見、
それ以来いろいろな本当のものが見えるようになったのだと話してくれました。
彼はとても天と繋がって生きていた人で、
祈っては天の声を聞き過ごしていたように思います。
普段の彼はやんちゃで少年できっと周りの人はそういう静かな彼は思いもつかなかったでしょう。
ただ、時にまるで何十年も時を経てきた人のように人の話を聞き、答える姿に周りの人は驚き、また尊敬もしていました。
普段はチャラけて居ましたが、実は誰よりも周りの人を見つめ愛していました。
同じように私のことも見つめ、愛してくれました。
それはそれは深い深い愛でした。

当時も私は今のように病名はわかっていませんでしたが、
明らかに過去が原因であると言えるメンタルな落ち込みや状態と言うものを抱えて居ました。
それは自分ではどうすることもできない憤りや悲しさや不安となって現れて、時にはそれで気持ちがあれてソウルメイトにつっかかることもあったのです。
けれど彼はその10年の間、それで一度もひるむ事も怒ることも無く、
私の憤りや悲しみを受け入れてくれたのです。
とにかく彼が私にしてくれたことは「認めること」だった気がします。
「あなたはあなた。だからそのままでいいよ」って。
これがいいとかこうじゃないと嫌だとかそんなわがままなあなたでいいんだ、と。
そして褒めてくれました。とにかく褒めてくれました。
褒めると言うのは「ありがとう」を言ってくれるというのと同じです。
たとえば私が食事を作る。すると彼はこういいます。
「お前は偉いな。毎日毎日嫌だと思いもせず食事作れる。
それはすごく素敵なことだ。」
掃除をしても、何か手伝いをしても「お前は偉いな」と褒めてくれるのです。
それは落ち込んでいるときも同じでした。
自分が悪かったかなあ?と思うような落ち込んでいることでさえ褒めてくれるんです。
「お前は優しいんだよ。
誰より優しいからああやって人に言わずに居られないんだ。
本当に優しさをわかる人はそれをちゃんと心で解る。
だから心配しなくていいんだ。」という具合に。
おかげで私は幼い頃から毎日パニック発作を起こしていたのに、
ソウルメイトと居るようになってからはまったく症状がなくなってしまった程でした。

そのソウルメイトがある日、月の輝く満月の晩に、
月光浴をしながら真剣に話してくれたことがあります。
それは私の使命と言うようなものの話でした。
実はソウルメイトとは不思議なご縁で、
これは信じる人も信じない人も居るのでしょうが、
お互いがいくつも同じ前世の記憶を持って生まれ、
どういうわけかお互いの存在の意味を心で解っていたのです。
同じように私にはちっさい頃から不思議なことがあって、
この世でものすごく縁のある人
(たとえば恋人や仕事のパートナーになるような人)
は会ってその瞬間に縁の深さが解るのです。
ビジョン的に言うと、風景がばーっと消えて、
その人だけが浮かび上がって見えるからです。
で、ああ、この人、縁の深い人なのだな~とわかる。
一言も話していなくてもです。
けれど自分がご縁をつなげようとしない限りそれきりという事もあります。
また、あえてつなげようとしなかったのに繋がることもあるのです。
そういう変わったというような部分がある私を彼はとても認めてくれていました。
その頃、わたしは彼のマネージャーをしたり、
プロデューサーとして活動したり、
人を守ったりしなければならない立場にありました。
人を導く責任の上では時には鬼みたいに堅固にならなきゃいけないときもあれば、嘘をつかなきゃいけないこともありました。
言いたくないことも言わなきゃいけないし、
その人のことを思うからこそきついことも言わなきゃいけなかったりしました。
その分、わたしは周りから色々と言われることも多く、
打たれれば倒れるような今からは想像でませんが(^^;)
人前では決して涙も愚痴もこぼしませんでした。
その分、ソウルメイトにだけは落ち込んでいることを見せられたのです。

その満月の晩、彼は落ち込んで話すわたしの目を真剣に見てこう言いました。

「いいか、よく聞いて。
あのな、お前は岐路に立たされる使命を持ってきているんだよ」って。
「岐路って?」わたしは聞きました。
「人生の岐路だよ」と彼は答えました。
「お前はね、人が人生を選ばねばならない時に
そういう人の前に神様から置かれるんだよ」って言うのです。
「あのね、つまりお前は鏡みたいなもんなんだよ。
置かれた相手の本当の姿を映しだすんだ」
わたしは真剣に話す彼をただただびっくりして見つめ、聞いていました。
「お前が憑かれた様に自分が感じたことや傷ついたことを話すのは、
それは性格もあるけれど実はそれだけじゃないんだよ。
それは上と繋がって話をさせられてるんだ。
だからお前は何でそんなにしゃべるのかわかんないこと多いだろう。
いいか、そして天の言葉ってのは気持ちいいことばかりじゃないんだ。
どっちかって言ったらその人にとって気持ち悪いことの方が多い。
それをお前は人に伝える役目があるんだよ。
だからお前は人にも嫌な思いさせられることが多いんだ。
俺はそれを知ってるの。」
「でも、でもさあ、それでわたしが傷つくのは?神様はそれも望んでるの?」
わたしは理不尽な気がして聞きました。
「いや、それはそれでお前の学びなんだよ。そこで学ぶ事があるんだよ。
そしてな、その悲しみや嫌な思いをすることで成長することを望まれてるの。」
わたしは黙って聞いていました。
「人には選ばないといけない大きな道が現れるときがある。
でもそれは自分で選ばなくちゃいけないし、
選んだほうに進まないといけない。
でもいくらそこは自由意志で選ぶったって天はそんなに冷たくはないから、
ヒントを与えるわけ。そのヒントがお前なの。
お前は正直だ。嘘がつけない。だから自分に気持ちいいことは
嬉しいっていうし、そうでないことは違うってはっきりいう。
けどそれは必ずしも相手の望んだ答えではないときがある。
で、そこで相手は自分の事を見つめるようになっているの。
だから鏡。自分の本当の姿がよく見える。
いいところも悪いところもな。
でも人間は自分の悪いところ見えると気持ち悪いし、痛い。
痛いから目をつぶろうとする。
そういう人は鏡をひっくり返して見なかったことにしたり、
それを捨ててなかったことにしようとするんだ。
そういう人はお前の前から去っていくんだよ。
その代わり、そういう相手はそれなりの道を歩かなくちゃいけないんだよ。
汚れたまま歩いていくんだから、どこかでまたそれを見つめなくちゃいけない。
そのときはもっと汚れてるだろうから大変だよ。
でも自分が選んだことだから仕方ないよな。
でもな、お前を通して自分の姿をきちんと見た人はさ、
去って行くにしてもお前を傷つけて行くようなマネはしないんだよ。
きちんと自分を見て治すところを治して、ちゃんと歩くために身を整える。
そしてちゃんとお前の前に立ってきちんと鏡に自分を映して確かめる。
それが出来るんだよ。
お前はさ、本当にまじめだから、そうやって去って行く人間のことを思って、
自分が罪を犯したと思って泣くけどさ、決してお前のせいだけではないんだよ。
良く見てみな、自分の周りを。
周りに居る人間はお前に何を言われても、ちゃんと歩いてるだろ?
ちゃんとお前の言ったことを聞いて考えてくれた人ばかりだろ?
違うか?そうしてそこに居る人は皆、幸せになってるだろ?
それが答えだよ。
居なくなった人はどうだ。みんな、どこに行ったかわからない。何しているかもわからない。
それはお前の言った事に対して後ろめたい態度を取ったから、出るに出て来れないように自分でしてしまったんだよ。
だからな、お前はお前らしく信念もって生きれば良いんだ。
大体真剣に本当の事言ってくれる人がどれだけ居ると思う?
そういう人は少ないの。自分の思うことを口にするって怖いから。
でもお前は嘘つけない。そういうお前は貴重な存在なんだぞ。
自信もっていい。お前は間違いなく神様の仕事を手助けしてるんだから。
ただひとつ忘れちゃいけない事がある。
俺がこう言ったからって“自分は正しい”と思うな。
正しさも間違いもどこにもない。
教えたよな?天の摂理は是も否もない。それも真実なんだから。
それを忘れちゃいけないよ。
誰かとであったとき、その間に何かあったときはお前の姿も鏡に映ってる。
それをじーっと見て、ちゃんと答えを探しなさい。
逃げる相手と同じように逃げてはいけないよ。
もしね、何か会って落ち込んだときはこの話を思い出してごらん。
そして、相手も道を選んでいるのだとわかって受け止めてあげなさい。
そのとき間違ったにしても、そうでないにしても大きな選択なんだよ。
それだけ大きな選択の前に立たされるのだから、傷もひびも入るさ。
でもお前は天の鏡だから割れないし、磨けば曇りは取れるよ。
それは、お父さん(ソウルメイトのこと^^)が保証する」

不思議なことに、この膨大な量の会話をわたしは多分、
殆ど間違わないくらいに覚えている。満月のなせる業だったのかも知れない。
そして、この言葉は優しかったソウルメイトがわたしの心を守ろうとしてくれたパフォーマンスの言葉で会ったのかも知れない。
けれどわたしはそれを真実といつも信じた。
でも万一、これらの言葉が嘘の真実だったとしても、
この言葉のおかげで、私は間違いなく自分の毒舌も愛することが出来るようになった。
「嘘をつくよりまし」だし。偽るよりはいい。
もちろん彼が言うようにすべて自分を正しいとは思ってない。
私もまた、間違う生き物だから。
だから相手を傷つけたなあとか、本当に反省することも多い。
彼の言葉のおかげで、一度心がざわついても時期に冷静さを取り戻して相手を思いやりの愛で考えることが出来る。
大体においてそういう事になる人に関心のないどうでもない人は居ないからだ。
本当に大切な人だからこそ、いろいろと思うんだとおもう。
そしてそれを心で理解してくれる人は、そう思って言葉を発したわたしを考えてくれる。そうして深い絆が生まれる。
そういった絆と言うものはお互いの「幸せ」に繋がっていることが今はよくわかる。
人との関係は刻々と変わってゆく。けれど確かなものはちゃんと残る。
そう彼は教えてくれたんだと思う。

同じように傍にいる親友(心友)たちは、私に大きく広い心を教えてくれる。
褒め続けてくれたソウルメイトのように、私を褒め、慰め、そしてありがとうを言い続けてくれます。
たとえ私が否定的で、責めるような言い方をしても、
決して非難したり、傷つけられた、落ち込んだから
と言って私を捨てていくようなことはしないのです。
ちゃんと私の言葉と向き合って真剣に考えた上で受け止めてくれる。
そして、さらに笑顔でこう付け加えてくれるのです。
「あなたの中には愛があって、それがそう言わせているのだ」
「あなたはなんて精一杯生きて考えているんだ、ありがとう」
そうやって、私に愛を教えてくれる。
そしてソウルメイトが言ったようにそういう人たちは皆、幸せの道を歩いている。
きっと、何事にもへりくだり、自分を責めるような言葉の中にもちゃんとメッセージがあると理解している彼らは神様や天使に導かれていくのだろうな。
そういう言葉や気持ちのおかげで、私は過ちを犯しても許され、また自分で反省し、次に歩むことも出来ている。
本当にわたしは善い人たちに恵まれていると思う。

先日、スピリチュアルカウンセラーの江原さんがこう言っておられました。
すべての人はソウルメイトであり、特に「トラブル」を抱える相手こそ自分を磨いてくれる友である。
学びあうことを理解したときに、お互いその問題を超えて真の絆も生まれる、と。

こうして毎日を過ごしていると、いろんな出来事に突き当たる。
いろいろな人との関係もしかり、自分の内面もしかり。
今夜はしんしんと降る雨の音の中でそういう事を思った。
思わず引いた天使のカードには
「あなたの将来」
と書かれていた。
まるでわたしの心を読んでいるみたいに。

あなたの将来は明るく、安らぎに満ちている。
神様と天使に守られ、すべての願いは叶うだろう。
天はあなたをがっかりさせることは決してしない。
あなたはライトワーカーで光の存在。
あなたの光は人を助けるためにある。
あなたの光はまぶしくて、目をつむってしまったり、
まっすぐ見ることが出来ない人も居るかもしれないが
あなたの真の存在を知る人は心でそれを見ることができる事に気がつくだろう。
あなたが天と強く結びつくことで、あなたもまわりも
もっとも幸福な道を選ぶことが出来るのだ。

「な、言ったとおりだろう?」
ソウルメイトの優しい声が聞こえたような気がした。

友達がこの雨のことを「浄化の雨」と書いていた。
そうなのかも知れない。今夜は浄化の雨。
きっといろんな事が洗い流され美しくなっていくのだろう。

わたしを取り巻くすべての存在と出来事に感謝しています。
願わくばわたしと知り合うすべての人が善き人生を歩んで行くことが出来ますように

祈り:大切な友人がパニック発作で辛い思いをしているようです。
きっと繊細な心の友人は、自分の中の自分と戦っているのでしょう。
どうぞ天使が友人の心を守り、その戦いに打ち勝つことが出来ますように。
そして自分の力で心に平安を呼び込むことが出来るようになりますように。
心からおいのりしています。

It believes.

2007-07-14 | KOFUKU日記
朝から雨が降り続いています。
窓から見える風景は雨の流れで揺らいで見えます。

さて、皆さんは何かを信じていますか?
そうですね、不思議なものとか、不思議なこととか。
天使とか、神様とか。はたまた幽霊とか。
目に見えないものの存在というのでしょうか?

昨日、友人がくれたメールに「迎え火を焚きました」とありました。
関東地方ではこの7月にお盆をされるところも多いようです。
私は地元の暦、つまり旧暦でお盆を迎えることにしていますが。
お盆には天に戻られたたくさんの御霊がこの地上に帰ってこられます。
帰ってこられるのですが、多分、多くの人にはその存在は「見えません」
けれどお盆に迎え火を焚くのは、その存在を「信じている」
もしくは「信じたいと思っている」からでは無いでしょうか?
友人のメールから「見えない存在」のことを思いました。

さて、あなたは妖精の存在を信じますか?
なんだ、いきなり!と思いました?(^。^;)
実は私は妖精の存在を信じています。
って言うか、皆さんが信じる信じないは別として(笑)
私は妖精さんに何度か遭遇したことがあります、
って言うか~実家の庭に居たんだもん。(マジです)
って、話をしますと、「え~、またまた、やめてよ~」って言われるか、
「とうとうおかしくなったか?」と心配されます(^^;)
実はこの妖精さん、しっかり私のケータイに写真で収まっています。
ねえ、出てきてよ、写真とってあげるからって言ったら出てきてくれたの^^
しっかりはっきり写ってますが、信じない人はそれを見ても信じません(笑)
だから、信じてくれる人にしか見せません。
何でかって言うと「信じない」って言葉が妖精さんに聞こえる気がするから。

ちょっとネタバレになりますがピーターパンと言うミュージカルに「ティンカーベル」通称「ティンク」と言う、小さな羽根の生えた妖精さんが出てきます。
作品の中で、そのティンクがピーターを助けようとして死にかけてしまうのです。
そのときティンクを抱きしめてピーターが叫びます。
「子どもたちが“妖精なんか信じない!”そう言う度に妖精たちが一人ずつ死んでいくんだ。
でも皆が信じてくれれば、妖精たちは息を吹き返すことが出来る。
だからお願い、信じて!皆の信じる力でティンクを助けて!」
客席からは子どもたちと今は大きくなった子どもたちからの拍手、そして「信じるよ!」って言葉が舞台に届きます。するとティンクに光が戻って元気になるのです。
私はこのシーンがとても好きです。
だから、なんとなく私の友達の妖精さんが「信じない」の言葉を聴くような気がして、そう言いそうな人には見せないのです。

幼稚園で子どもを教えているとき、そして小さな子どもたちと居るとき、よく妖精の話をしました。
花を摘みたがる子に話しました。花には妖精が居るんだ、と。
お花が生まれると一緒に花の妖精も生まれる。妖精さんはお花と一緒に暮らしてる。
同じようにいろんな植物にもどこにも妖精は一緒に居るんだよ、と。
お花と妖精はひとつだから、お花が枯れたら、妖精も居なくなっちゃうんだよ、って。
でも、ホンと。それらが無くなったら妖精も居なくなる。
子どもは優しい。すぐに花は摘まなくなる。
私は妖精を目にしてから花を手折るのをやめた。
手折られて売られているお花は最後のときまで大事にするようになった。
いのちはどこの世界でも尊いものだから。

さて、あなたは信じます?





お家がいちばん!

2007-07-13 | KOFUKU日記
ぴーちゃん姫、先ほど無事帰還いたしました~~!
中毒症状が出たなら、絶対致死量というだけのネギと香辛料を摂取したにも関わらず、早期発見と徹底的な処置のおかげで大事に至らずに済みました。
夕べは症状が出始めたら危ないかも知れないと言われただけに、どきどきして一睡も出来ませんでしたが、まだ不安は残るものの無事に帰って来れたので良かったです。

真夜中、一刻を争うからと飛んできて、駐車場に入れてる時間がもったいないからと、駐車禁止で捕まるのを覚悟で病院の前に車を置き、処置をしてくださった先生、どうもありがとうございました。

そしてお祈りしてくださった皆さん、本当に本当にありがとうございました。
今回は恵まれていのちを助けていただけました。
今後は更に注意をして、こういう事のないようにします。

それから今日、貧乏な私を心配して助けてくれたTくん、
ほんとうにありがとう!
おかげさまで無事に十分な治療をしてあげることが出来ました。
心から感謝します(ぺこり)

さて、そのぴーちゃんは、帰ってくるなり、
お気に入りのソファに飛び乗りカバーにすりすりし、
お兄ちゃんに満面の笑みでひざに飛びつき、タックルし、
(お兄ちゃんは心配してずっと帰りを待っていたのでした)、
ひとしきり甘えた後はおもちゃをくわえて走り回り、
今は入院疲れもあってソファで身体を伸ばして休んでいます。
ソファに居る様子は「お家がいちばん!」と全身から言っているようです。
本当にお家に帰ってこれてよかったね、ぴーちゃん!
もう変なもの食べないでね~~~!
(滅多にないことだけど、あるとこんなになるのよ~)

しっかし、なんで病院代ってあんなに高いの~?
安い海外ツアーなら2回いける値段でした(^^;)
もちろん一ヶ月の家賃を軽く上回っています。。。。(--)
(あ!やばい!家がどれだけ安いかばれたっ!・笑)
まあ、それでいのちが助かったと思えば安いものですが。
でも、高いよおおおお~。
ああ、ぴーちゃん、お姉ちゃんはこれから更に節約の日々だわ。。(涙)
ぴーちゃんのホテル代って高いのね~(笑)

とにかく無事にって事で一件落着です!
皆様、ありがとうございました!

祈り~元気になりますように

2007-07-13 | KOFUKU日記
先ほどぴーちゃんが入院してしまいました
不注意でネギ入りの食事を大量に食べてしまったのです。
すぐ気がついたので、すぐに病院で処置をしてもらい
ネギの大量接種は防げたのですが。。。。
でも体格からしてかなり大量に胃にネギを入れてしまったので
ある程度のエキスはもう腸に流れてしまっています。
今はなんともないのですが、ネギ中毒は赤血球は壊れたり
その症状が出てからでは手遅れになることもあるため、
そのまま入院して一晩点滴を打つことになりました。
念のためとは言え、万が一のこともあります。
もちろん、元気なコだから万一なんて無いと信じてますが。。
どうかこれを読んだ皆さま、ぴーちゃんが元気で帰ってこれるように
どうかどうかお祈りしてください。お願いします。
神様、天使様、ガイちゃん、天国に居る人たち、
犬たちがぴーちゃんを守ってくれますように。。。

レイニー・レイニー

2007-07-11 | KOFUKU日記
五月雨こぼれて花彩づいて、六月梅が黄色く熟して梅雨になる
栗の花散る「墜栗花(ついり)」
木々の葉から零れ落ちる青時雨(あおしぐれ)
しずくと一緒に光こぼれる翠雨(すいう)
雨はキレイ
とてもキレイ
なんてったって空から降りてくる
それがいい
私は雨がとても好き

けど、天から降りてくるものも時折悲しい事実を作る
長雨で地盤が緩み、たくさんの事故がおきてしまったりする
私の生まれた土地ではいつも梅雨から夏にかけて
雨によるたくさんの天災が起きてたくさんの方が亡くなられた
ある日、おじいちゃんの仲良しのおじいちゃんも土にのまれた
おじいちゃんは「雨が連れて行ってしまったよ」と悲しそうだった

長雨で困られている方々に心から早い回復をお祈りします
そして少しでも早く、また雨を美しいと思える日が来ますように