KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

頑張れ、藤本西郷どん!

2011-04-17 | 演劇、ミュージカル、エンターテイメント


テレビドラマを殆ど見ない私が、昨年、唯一拝見したドラマ、
それが「JIN-仁」でした。

漫画が原作の幕末にタイムスリップした医師の物語です。
昨年、高視聴率を得て、また数々の賞をとられました。

舞台で親しくお世話になった方が出演していらしたので拝見したのですが
とても素晴らしい作品で楽しみに見せて頂いておりました。

その「仁」、今日から完結編となる第二部が放送となります。
新しいキャストに相方さんの親友の一人であられる藤本隆宏さんのご出演が決まっています。
西郷隆盛役でご出演されますので、皆さま、ぜひともご覧くださいませ。

鹿児島出身、先祖が西郷さんと親しかった私も
地元の関係者あげて応援しております!

藤本さんは相方さんからは「ふじもっちゃん」と呼ばれておりました。
お忙しい中、真夜中にお別れにも駆けつけてくださり、
その後も私が一人になってしまう、
観児が残していった人だから友人として託されたのと同じ、
だから少しでも力になりたいと私の行く末を心配して、
お忙しい撮影の合間、何度も連絡をくださいました。
とても情に厚く、本当に心のお優しい俳優さんなのです。

先日も連絡を取り合ったのですが、
「観児の分まで気合い入れて頑張ってます」
との嬉しい御返事いただいております。

きっとその内面の優しさが表れるような西郷さんでありましょう。
わたくし、非常に楽しみであります(^^)

頑張れ、西郷どん!
きばいやんせ、ふじもっちゃん!

という事で相方さんの写真と共に今日は拝見させて頂きます。

皆さまも「JIN-仁-」本日9時より放送開始!
何とぞ宜しくお願い致します!(ωV_vω)ペコ

おだやかに

2011-04-13 | KOFUKU日記




*ピーちゃんのお気に入りオヤツの細切りささみと
ピピちゃんのお気に入りオヤツ、プチプチクッキーでニコちゃん*


あなたの元気のバロメーターはどんな事ですか?

私の場合、
芝居をすることや歌を歌ったり仕事に携われること。
愛する人(全ての存在含む)の為に何かをすること。
考えること。書くこと。
てしごとや料理をすること。
ドライブや自然の中に行く。
祈ること。
エトセトラ、えとせーとら。


現在、家から出られなくなってしまった私。
大事な家族が居なくなり、料理も何にも出来なくなりました。
仕事も一緒にやっていたから、今は辛すぎて傍に寄れません。
歌を歌う気にはまだならない。
考えすぎると不安が生まれ具合悪くなります。
さらに一昨年の秋から頸椎腰椎の神経を痛めていて
心落ち込んでいる今ちょっとひどくなりつつあり
しびれなんかが出るために手をうまく使えません。
ペンを持つことや細かい手仕事が難しいのです。
文章書く気力はない。
相方さんが居なくなったから、しばらくはどこにも行かないだろう。
祈る、時には凹む。


・・・・・・・・・。


でも、実はめげてなーい(o´・∀・`o)
いつも希望はちょっとある。どんなときにも。

駄目な時にはそれにどっぷりつかって、
ちょっと復活したらそういう希望のかけらを拾う事にしています。

やるって言ったってほんのわずかしか出来ないんだけど、
それがかなり大きいと知ってるから。
何かを出来る工夫と出来ることをするのです。

たとえば、書けるときには片っ端からお手紙を書く。
ペンがもてないからパソコンで書く。
相手のお顔を思い浮かべれば幸せも浮かぶ。

刺しゅうや細かい細工は出来ないから、
こんな時こそ本を眺めたりしてイメージトレーニング。
美しいと今は感じられなくても、それでいいのだ。

棒針は負担がかかるけど、ある程度の鉤針編みなら出来るので
ひたすら何も考えずに残り糸で編めるものを作る。
とにかくただひたすら心を落ち着くまで手を動かす。
そうする事で生まれる気持ちや安らぎもある。


*窓辺、相方さんのテーブルでピーちゃんやピピちゃんを膝に乗せ
ひたすら短い毛糸を編みつないだポットカバーや鍋つかみ*


自分の為にはやる気が起こらないのでチビさん達やお友達の為に食事を作る。
そうすれば自分も一緒に食べる喜びが生まれるし。


*こないだ作ったチキンポトフさん*


元気がある時はチビさん達と戯れる。
それだけ無条件に愛が増える。



そして子らの顔を観て平和を祈る。

平和。調和。愛。
大事だね。

未だにお花を観る気にもならないし、綺麗とも思えないが、
マンションの玄関に植えられたチューリップに感謝はわきあがる。

今日もおだやかに生きたい。

GOING MY WAY~BDに寄せて

2011-04-12 | KOFUKU日記



《モホーク・インディアンの祈り》 


有難き 母なる地球

昼も夜も漕ぎゆく 母なる地球

優しく 尊く 豊かな

おお 大地よ さあれ 我らが心も



有難き 草よ 樹よ

雨にも風にも負けず 立ち

根っこは 見事な毛をひろげ

葉っぱは 陽の光 命に変え

踊るは 流れうずまく 種子の中

おお 草よ 樹よ さあれ 我らが心も



有難き 大気よ

その胸のいだくは 天がけるアマツバメ

また 夜明けに静まるフクロウ

我らの歌は息吹く さわやかな心の微風

おお 大気よ さあれ 我らが心も



有難き 野のけだものよ

秘密と自由と道教え 我らと乳わかち合う兄弟       

満ち足りて 雄々しく 心冴えわたる

おお 獣よ さあれ 我らが心も



有難き 水よ

とどまり また流れ

雲 湖 川 氷河と変わりゆく水よ

我らの生身を流れるは 塩の海

おお 水よ さあれ 我らが心も



有難き 太陽よ

もやを 樹の幹をつらぬく まぶしい光の鼓動 

熊眠り 蛇眠る穴をあたため

我らを眼ざます

おお 太陽よ さあれ 我らが心も



有難き 天よ

数十億の星をいだき さらに彼方へ

すべての力と 思いをこえて

しかも 我らの内にひろがる

祖父なる天

心は その妻


おお 偉大な天よ

さ あれかし





《イロコワの祈り》 



おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、
その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、
大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。

私はあなたのまえに一人の人間として、
あなたの多くの子供たちの一人として立っています。

私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。
どうか私を美の中にあゆましめ、
赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。

私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、
私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。

あなたが私たちにお教えになったことども、
一枚の木の葉、一つの岩の下にも
あなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、    
私を賢明にして下さい。


おお、私の創造者よ、私は強くありたい。
私の仲間にうちかつためにではなく、
私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。


汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもって
いつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、

やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、
私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、
あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。





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地震から一カ月が経ちました。
そんなこの数日も地震で飛び起きたり、緊急地震情報に揺れる毎日です。

多分、そんな方が多いかと思うのですが、私ももれなく
動揺症・地震酔い症候群になった私にはわずかな揺れでも
それはそれはグラグラと揺れているように感じるのです。

被災されている人、原発のお近くに住まいの方にすれば
「地震酔い?何言ってるんだ?」と思われるかもしれませんが…( ´-ェ-` )シュン
実際、被災された方のことを思えば、我が身が情けなくなるばかりです。

けれど相方さんとのお別れによって、もともと持っていた不安症がひどくなり、
それと戦うように暮らしていた私にとって、この311の地震は大きな衝撃でした。
こんなときに彼が居ないという現実は恐怖と不安になって残りました。

いつ地震が来るかしれない、原発に何が起きるか解らない、
そんな現実に大きな不安が生まれ、緊急地震情報に震えが止まらなくなり、
吐いてしまうほどの揺れる感覚に落ちいり、
不安でちびさん達を置いて家からは出られなくなり、
それこそ外に買い物にも行けず、怖くてお風呂も入れず、
未だの寝間着に着換えて眠ることすらできなくない状態が続いています。
貴重品や避難グッズも傍に置いたままです。

余震もおさまって来て、すこし回復の兆しでしたが、
7日、昨日、今朝の大きな余震の揺れでまたすっかり元通り…(っω`- )
グラグラゆらゆら、常に吐きそうです。

けれども買い物もしなきゃいけないし、お風呂も入りたいし
病院にも行かないとお薬は切れてしまうし…
時々親友のカンナちゃんが様子を見に寄ってくれるので
チビさん達を預かって頂いて、買い物に行ったり、病院に行ったりしています。

先日、メンタルクリニックに居るときに緊急地震情報が鳴り揺れました。
子どもたちを思ったら心臓が止まりそうになりパニック発作が…。

先生に助けられ、地震もおさまり、落ち着いた後、心配した先生が
「今のようすでは大変だから、人のいる病院に入院しようか??」と…(;´・ω・)
でも即答で「わんこたちが居るんです。無理です」と答えました。
そして「こんなんじゃ現地の人に申し訳ないですね。情けないです。」
と凹んでいたら、先生がこう言ってくれました。

「いやいや、あなたにとって犬たちは家族じゃないですか、
おいていけない、守りたいと言う気持ちは間違っていないよ。
それに状況や場所は大きく違うかもしれないですが、
悲しみや不安の度合いは計れるものじゃありませんよ。
地震や災害にあったから、その人の方が悲しみが深いとか、
そうじゃないから大したことないとかそんなことはないのです。
誰だって哀しいことは哀しいし、不安は不安。
ちっとも情けなくなんかないですよ。
それにね、あなたは今恐れを抱いている分だけ、
他の人よりも被災地の人を身近に感じられているんですよ。
そういう方はいろいろとご苦労は多いかもしれませんが、
何があってもあたしには全く関係ないわって人より、私は人間的に好きですねぇ」

嬉しかったですね。ちょっとホッとしました。
お薬よりも先生の言葉が効いた気がします。
被災地の方も「人の言葉に助けられた」
という方が多かったように思いますが
心の寒い時、暖かな言葉には本当に助けられるものだと思います。


私は今回の相方さんを失う前の10年ほど前に家族を突然死で亡くしました。
それまでの自分の人生も知る方に言わせれば
「何万人に一人」「あたしなら死んでいる」
そこまで言わんでも…(;^ω^)
というくらいに表現される貧しく大変な環境下に居りました。
家族はその環境から抜け出したわけではなく
今もその連鎖が続く輪の中にあると言えます。

ですが、恵まれたことに私の家族はその環境を卑下したりせず
その中にあって明るく暮らす工夫や笑顔の絶えない家なのです。
そりゃあ、確かに、その環境だけで差別する人は多く居て
困難なことは他の人に比べれば基本の時点で数知れずありましたが
その反面、そう言ったことに心から深く添いながら
理解しようと努力してくれる友人にも恵まれていました。
私自身もそのことに対して落ちこむことはなかったし、受け止めていたし、
どっちかというとかなーりの開拓者な精神の持ち主だったので(笑)
それまでの人生ではなにか気持ちの上で大変になる
と言ったこともなく過ごしていました。

ところが家族の突然の死というのはそれら全てを変えました。
そのことで過去から理性の上で対処してきた数々の事柄が
実は心を圧迫していたことに自分の心が気づいてしまったのです。
それをきっかけにその心の圧迫は重度のPTSDになり吹き出しました。
それから10年、本当に善くなったり悪くなったりを繰り返しながら
昨年亡くなった相方さんに公私支えられながら一歩ずつ歩んで来ました。
心の傷はなかなか簡単には癒せないものです。

でも、そんな中で相方さんろいうかけがえのない人に出会い、
愛をはぐくみながら一生懸命に歩んできた道に学んだことがたくさんあります。
苦労した坂道は越えればいつしか力になっています。
失ったものは大きかったけど、その分得たものも大きいのです。
今はその糧となったことを基準にして、
無理をせず、自分のペースであゆんでいます。

このブログはその病になって状態が一番ひどかった8年前、
家から一歩も出られなくなり、死に直面する毎日の中
なんとか立ち直りたいと医療の一環として書き始めました。
そして今も自分が自分自身の力で、自分の心を支えて行くため
また人と繋がる為の大きな力、自分の一部として書き続けています。


昨年の相方さんの死から10年の時が戻ったような日々が続いていますが
ただ以前とは違うなぁと思う事があります。
それは今は見えなくても立ち直る力は自分に潜んでいるとわかっていること。
そして、愛しあった人とのつながりは消えていかないと言う事実。
たくさんの経験から、本当に繋がっていく友情を持っていると言う事。
新しい道が続いていると言う事が解っていることです。

だから、歩めない時も出来ることをしよう、と思う。
人からどんなふうに言われようとも自分のペースで、と。
それは一緒に歩いてくれた愛する人たちや
人生で出会った人や全てが教えてくれたことです。
そのことに私は心から感謝をしています。
愛の力は偉大です。

誕生日
私は自分の為に祝う事はしませんし、人にも主張しませんが、
この日ばかりは周りに居る人に心から感謝をしようと思う日です。

昨日、誕生日でした。
これまで出会ってくださった全ての人に。
あなたの御蔭で私はここに居ます。
ありがとうございます。

これからも上り下りはあると思うのです。
そんなに簡単ではないことも解っているから。
いえ、平坦な道はもう来ないかもしれない。

だからこそ、焦らず自分や周りと会話をしながら「我が道を往く」こと。
自分で歩んだ歩みなら後悔はない。
そう思うのです。

早く落ち着きますように

2011-04-11 | KOFUKU日記
311から一カ月。
先日につづいて先ほども大きな余震がありました。
テレビでは絶え間ないように余震がずっと続いています。
雨の北関東、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに
原発で働いてくださる方々や北に居らっしゃる皆様が
どうかご無事でお過ごしになれますようにお祈りしています。




ピーちゃんは緊急地震情報がなると避難用バッグに飛び込みます。
さっきのは怖かったらしく、まだバッグから出ず、テレビを見つめています。
(緊急地震情報が流れてくると知っているのです)





ピピちびさんは急につかんでバッグに入れられたあと、
変に興奮してバッグの中で暴れています(;^ω^)


原発も無事だったようで一安心ですが、
再臨界の危険や窒素も漏れていて入らなくなったみたいだし
今後も心配なことが多いですが、早く落ち着いてと祈るばかりです。

139

2011-04-07 | 相方さん(米澤観児氏について)



*二人一緒に居る時間が長くなってきました。
ピーちゃんは優しくて善いお姉さんです。
昨日くらいから熟睡しているときはくっついて眠っています(*≧∀≦)*


 

*ピピちゃんは毎日大きくなってます。そろそろ一キロくらい。
そして何でも噛みつきたい盛り。
相方さんの作ったテーブルや箱をかじりまくり…父よ、許せ(;^ω^)*



今日で相方さんが天国で過ごしている日数が
白血病で闘病していた期間と同じ日数になりました。
139日間です。何となくせつないです。
振り返るとあっという間でなんて短かったんだろうと思います。

最初のころはあんなにも平気だったのに、
なぜか今は彼を想い出すものを直視できなくなりました。
写真とか全然冷静に見つめることが出来ません。
あんまりにもせつなく寂しく不安になるので、
今はそういうものは眼に出来るようになるまでそっと置いてあります。
かわりに心の中にくっきりとうつる相方さんと語り合っています。

でもその一方で、彼の残してくれたもの達を見つめていると
なんというか嬉しくありがたく暖かい気持ちになります。

   
*夢の街は全て相方さんの手によってつくられたものです。
内装には業者の手は一切入っていませんでした。
床も壁も窓枠から、棚や家具、灯りをつるす飾りも
水道や電気の取りつけまで、全て彼の手によるものです。
そして原宿の内装は今はみんな素敵な飾り箱になって活躍中
洗足夢の街も彼の手によるものがたくさんあります*



*原宿の床は一度きちんと綺麗に張ったにもかかわらず、
ピーちゃんや子どもたちの小さな爪がすきまや釘穴に引っ掛からないようにと
相方さんが夜中にたった一人で、一枚一枚の板を剥がし、ひっくり返し、
板の表面を磨きあげ、隙間を木槌でこんこんと詰めながら貼り直してくれたのです
ぴーちゃんはこの素朴な木の床が大好きです*


相方さんは手仕事の好きな人でした。
家すらも自分で建ててしまえるほどでした。
相方さんは木の暖かみが好きで、小さな端切れも捨てないで
それを大事にしながらいろいろなものを作ってくれました。

テーブルや飾り棚など、一枚一枚、板を削り、
彼の手によって丁寧に丁寧に作り上げられたそれらは
これからずっと私たちと一緒にいきていくのです。

 
*古材をはぎあわせてテーブルをこしらえてくれている相方さんと完成品のテーブルさん*

いろいろたくさん作ってくれてありがとう。
大事にするよ。

明日からも一緒に生きて行こうねぇ。