ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談・研究しています

成田善弘『治療関係と面接-他者と出会うということ』2005・金剛出版-ていねいな精神療法に学ぶ

2024年10月24日 | 精神療法に学ぶ

 2019年のブログです

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 成田善弘さんの『治療関係と面接-他者と出会うということ』(2005・金剛出版)を再読しました。

 こちらも久しぶりで、なぜか付箋もアンダーラインもなくて、前回、どんなふうに読んだのか、やや不明です。

 白いページにアンダーラインを引いたり、付箋を貼ったりすると、いかにも、読んだ、という感じで、何か達成感がありますが、これは幻想ですね。

 感じたことを二つ、三つ。

 まずは、最近の(といっても2005年当時ですが)青年の病像が、「恥ずかしい」から「怖い」に変わってきている、という指摘。

 内面が脆弱で、傷つきやすく、内省型より行動型で、むかつく、きれる、という形になりやすい、と述べられます。頷けます。

 二つめは、心的外傷の問題。

 大切な視点だが、一方で、その過剰な流行は他罰傾向を強める危険性があるかもしれないと危惧されます。

 特に、心理療法においては、自分の内なる悪に気づいて、それを引き受け、それらの上で不幸を克服することが大切になる、と述べられ、精神分析の事後性という概念を説明されて、心理療法で物語を書き換えられる可能性を示唆されています。大事な点だと思われます。

 三つめは、面接において、簡単に納得をせずに、よりきくことの大切さ。

 丁寧にきくことで、わからないことがわかり、理解と共感が進む、と述べられます。

 ここはすぐ早わかりをしてしまうじーじの欠点を指摘されているかのようで、反省させられます。

 最後に、山中康裕さんの著作集にふれ、山中さんの心理療法のいろいろな技法がクライエントを理解するための「たましいの窓」になっている、と述べられています。

 「窓」論はいろいろ聞いてきましたが、「たましい」の窓というのはなかなかの表現で、でもよく考えると、すごいな、と思いました。

 いい本を読めて、明日からさらに丁寧な面接を実践しようと思いました。            (2019.1 記)

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 2022年秋の追記です

 「たましいの窓」という表現は、やはりすごいですね。

 それも、山中さんがおっしゃるのは当然(!)という気がしますが(山中さん、ごめんなさい)、精神分析の成田さんがおしゃっているところがとても面白いと思います。         (2022.9 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ  

    1977年、ある四流私立大学文学部社会学科を卒業、浦和、新潟家庭裁判所などで家庭裁判所調査官として司法臨床に従事する  

    2014年、定年退職間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士)を修了 

    2017年、臨床心理士になる

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

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加賀乙彦『海霧』1992・新潮文庫-北海道の大自然の中の精神病院で働く心理療法士を描く

2024年10月24日 | 北海道を読む

 2018年のブログです

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 加賀乙彦さんの『海霧』(1992・新潮文庫)を再読しました。

 久しぶりでしたが、いい小説で、いい物語を十分に堪能しました。

 加賀乙彦さんはご存じのように精神科医で小説家、その加賀さんが描く心理療法士はなかなかリアルです。

 描かれるテーマは恋愛、精神科医療、精神病院のあり方、精神病、心理療法、加えて、漁業、貧富の問題、そして、信仰、などなど、多様で多層的です。

 さらには、北海道の自然も魅力たっぷりに、しかし、自然の厳しさも含めて、美しく、確かな日本語で丁寧に描かれます。

 思わず引き込まれてしまい、ボランティアの最中にも読んでしまい(メンバーさん、ごめんなさい)、あっという間に読みおわりました。

 読後感はいいです。

 とても充足した感じです。

 結末は明るくはなく、幸せでもありませんが、なにか満たされたものを感じます。

 あらすじはあえて書きませんが、あらすじより行間にただようものを感じるのがいいのかもしれません。

 美しく、確かな日本語の合間から豊かな世界が垣間見れるような感じがします。

 精神的に少しだけ豊かになったような錯覚を覚えます。

 そう、おそらくは錯覚なのかもしれません。

 しかし、その錯覚があれば、しばらくはこころ豊かに過ごせそうな予感がします。

 そんないい小説です。

 どさんこのじーじは、小説の舞台となった自然豊かな道東の森や海にまた行きたくなりました。

 来年の夏が楽しみです。      (2018. 10 記)

 

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