長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第22回 『後藤さんとモーニング大爆発。1999下半期』

2011年06月22日 23時06分14秒 | すきなひとたち
 そうだいはちからをためている……

 はいどうもこんばんは~。へへへ、またですよ。またやろうとしてんのよ、20キロ散歩をね! こりないね~。でも、今度こそ「悲願」が達成できるような気がするんですよ、今度こそ! やるぞオイ~。

 今日ははるばる、東京は京王線沿いにある仙川という土地まで行きまして、リクウズルームという集団の公演『剥ガレオチテ』(作・演出・出演 佐々木透)を観てきました。
 リクウズルームさんの公演は、去年くらいから何度か拝見していたのですが、私は今回の作品がいちばんおもしろかったですね。いろいろ感じたところはあったのですが、リクウズルームはキャストも多くてちょっと広い場所でやったほうがおもしろいのかな~、と。

 さて、その仙川に行く出発前にちょっとインターネットニュースをのぞいてみたら、こんな話題が。


《速報》「篤姫」石川梨華が現代でホステス(asahi.com 2011年6月21日の記事より)

 ドリームモーニング娘。の石川梨華(26歳)がクラブホステスに転身する。

 音楽プロデューサーのつんく♂(42歳)が21日、東京都内で銀座の高級クラブを舞台にした映画『篤姫ナンバー1』の制作発表を行った。
 篤姫役を演じるのは映画初主演となる石川で、その篤姫を支えるお世話係りのタエ役として同メンバー中澤裕子(38歳)も出演する。

 キャスティングについてつんく♂は、「男勝りに活躍して色気もあることからパッと石川が浮かんだ。」と語り、「教育係として中澤にも来てもらいました。」と笑いを誘った。
 石川は、「頭が良く賢くて魅力ある女性なのでそれに近づけたらいいなと思います。」と意気込みを語り、中沢は「いよいよ私をメインにと期待したけど、現実と変わらない指導役でした。篤姫に負けないように頑張ります。」と出演できることに感謝した。
 映画は、江戸幕府第13代将軍・徳川家定の正室・天璋院篤姫が現代にタイムスリップして銀座のホステスになるストーリーで公開は来年春以降となる。

 会場には本物の銀座のクラブホステスも登場、記者にお茶をつぐなどして盛り上げた。


 なんだ、これは……

 いいですね~。ばかばかしくて。
 記事の写真で、「え? それ篤姫? 和宮じゃなくて?」っていう感じに見事な十二単を着た石川さんもよかったのですが、キャリア相応に本職とみまごうばかりに和服ホステスの衣装とメイクが似合っていた中澤さんの勇姿もすばらしかったです。
 これは絶対に観に行こう。くっだらねぇ宣伝費ばっかりかけたA級原作のZ級映画化よりもよっぽど期待がもてますよ。いつ? え? 来年春以降?
 ……おぼえてるかな……


 え~、まだ「アイドルグループ史」にギリギリ登場していない石川さんの話題はここまでにしておきまして、実はこのあと私は、電車に乗って仙川に向かっていた途中で、向かいの座席に乗っていたおじさんが眺めていた東スポの一面記事が目に入って息を呑んでしまいました。

 ごごご、ごっちん……これからあつかおうとしていたごっちんが!

 なんてったって宇宙人接触・プレスリー生存的なテイストで天下にその名をとどろかせる東スポの記事だったので半信半疑でいたのですが、東京で会った友人の話によるとその日のワイドショーも大騒ぎだったようで。

 まあまあまあ! まずは2011年のことはほっときまして、1999年のごっちん降臨の衝撃にせまってみようじゃありませんか。


 時に1999年8月。
 一部のロマン派のあいだで来る来ると言われていた「恐怖の大王」からも音沙汰のないまま7月は過ぎ、『ASAYAN』は9月にリリースされることとなったモーニング娘。7thシングルの制作に向けて、新たにメンバーを追加するためのオーディションを開催することとなりました。
 それが「モーニング娘。 第2回追加オーディション」でした。まだ「第~期」という概念はできておりません。空気としては、定期的にメンバーを取り入れるという動きの一環ではなく、やはり新曲のために臨時に増員するというものだったようです。

 しかし、さすがはデビュー1年目にして『紅白』に出たモーニング娘。!
 昨年の3月におこなわれた「(第1回)追加オーディション」には5千名の応募があったのですが、6月に番組で告知された第2回にはなんと倍以上の1万1千名からの応募があったのです。
 その中には、実はかの倖田来未さん(17歳)もいたのですが、同時に受けていたエイベックスのオーディション「avex dream 2000」に先に合格(準グランプリ)したためにモーニング娘。入りを断念した、というのは有名な話です。
 その例にもかぎらず、全国的な有名グループとなったモーニング娘。のオーディションには、前回をはるかに上回るレベルの猛者たちがはせ参じていたようですね。

 そんな活況の中で、当初番組側は「99年の9月9日に9人のモーニング娘。で新曲をリリースする」というゾロ目にあやかった目標をたてており、そのためにこのオーディションでは「2名」の合格者を採用すると想定していたのですが、結果はなぜか「1名のみの合格」となってしまいました。
 なぜ? 応募者のレベルも全体的に高くなったし、メンバーは8人になってしまってせっかくのゾロ目も達成できなくなっちゃうのに、なぜ1名だけの合格なのか!?

 理由は簡単。「1人だけレベルが違いすぎたから。」

 なんということでしょう。なんてカッコイイ登場の仕方なんだ……「恐怖の大王」は来なかったけど、1ヶ月遅れでアイドル界に彼女が降臨した! それでいいじゃねぇか、皆の衆。
 その合格者、ただ1人のモーニング娘。第3期加入メンバーこそが、ごっちんこと後藤真希(13歳)その人だったのであります。

 後藤さんのイメージはまさに黄金、「ゴールド」そのものでした。
 さすがに中学生と言うことで洗練された姿となるのはまだまだ先のこととなるのですが、そのバチッとした顔立ちといいカラッとした性格といいスパッとした存在感といい、まさしくゴロッとした原石がマチャアキ版孫悟空のオープニングのように山から自力で出てきたという奇跡感がありました。
 中学生なのにバリバリ髪を金髪にしているという印象もあいまって、後藤さんはまさしくそれまでのモーニング娘。になかった「押しの一手の輝き」と「気ままな身軽さ」をもって、さっそく最初に参加した7thシングルからセンターをつとめることとなったのです。これを「スター」と言わずしてなんと言うのでしょうか。
 
 そんな後藤さんを擁して9月9日にリリースされた新曲『LOVEマシーン』だったのですが、原曲がすでにシャ乱Qのボツ曲の中にあったというつんくさんの発言がウソに聞こえるほどに女性が唄うことに意義がある歌になっており、それでいながらそれまでのモーニング娘。の楽曲のイメージとなっていた「しっとり情念、ちょっとやりすぎるとじめじめ怨念」という味わいを一切とっぱらったイケイケのディスコチューンとなっていたのです。
 発表された当初は「モー娘。がキレた!」や「やぶれかぶれもいいとこ」という否定的な意見もあったようなのですが、ただ大騒ぎしているだけのように見えて実は歌詞もメロディも全ての面で聴く人、特に不景気と言われて久しい当時の日本にカツをいれる真摯な応援歌になっていたこの『LOVEマシーン』は見事なまでの逆転満塁ホームランをかっ飛ばし、売り上げ枚数195万枚というモーニング娘。初のミリオン記録、オリコンチャートは17週連続1位という快挙となったのでした。

 そして、なんとその『LOVEマシーン』からオリコン首位をもぎとったのが、モーニング娘。第2のグループ内ユニット・プッチモニの1stシングル『ちょこっとLOVE』だというのだからとんでもない。

 このようにして1999年のモーニング娘。は、前半の福田さん卒業周辺の静けさと後半のごっちん加入のてんやわんやとがきれいに対称的になった激動の1年となったのでした。そしてその流れを引き継いだまま、翌年以降もモーニング娘。の黄金期は展開されていくこととなります。
 ここらで、1999年時点までに結成された2つのモーニング娘。グループ内ユニットをご紹介。


タンポポ(1998年10月~)1~4名 モーニング娘。のグループ内ユニット
 モーニング娘。史上初のグループ内ユニット
 結成当初は石黒彩(20歳)・飯田圭織(17歳)・矢口真里(15歳)の3人体制
 ※この体制は2000年1月の石黒の卒業まで継続
 石川梨華(15歳)と加護亜依(13歳)が加入した第2期から音楽性が大幅に変わっている(アダルトからガーリーへ)
 7th『王子様と雪の夜』(2001年11月)で自身唯一のオリコンチャート1位を獲得している
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第4期体制「タンポポ♯(シャープ)」となっている
 代表曲 6th『恋をしちゃいました!』(2001年2月)

プッチモニ(1999年10月~)3名 モーニング娘。のグループ内ユニット
 モーニング娘。2番目のグループ内ユニット
 結成当初は保田圭(19歳)・市井紗耶香(16歳)・後藤真希(14歳)の3人体制
 ※この体制は2000年5月の市井の卒業まで継続
 唄って踊れる明るい楽曲
 現在は2009年7月から始まった新たな3人組による第4期体制「プッチモニV(ブイ)」となっている
 代表曲 1st『ちょこっとLOVE』(1999年11月)売り上げ110万枚のミリオンセールスに


 石川さんが加入したあとの第2期のほうが有名なので意外に思われる方も多いかも知れませんが、活動前期のタンポポはモーニング娘。初期のしっとりアダルト路線をさらに強調させた楽曲を唄っていました。そんなわけで、ごっちん以前のモーニング娘。のかおりを残していたのがタンポポで、ごっちん以後の軽快さをさらに少人数体制で追究したのがプッチモニというわかりやすい対比が結成当初にはありました。アダルトなのにタンポポとは……伊丹十三?


 こう眺めてみると、本当に後藤さん登場の印象が強い1999年のモーニング娘。だったのですが、しょっぱなからエース格の注目を集めることとなった後藤さんの輝きもさることながら、それを柔軟に受け入れてグループとしての団結を崩さなかった7人の包容力と対応力も実にたいしたもんですよね。明確には設定されていないものの、それまでエース格の重責をになっていた安倍さんも、本人の人となりのなせるわざなのか、色味のまったく違う後藤さんとともにモーニング娘。の幅を広げることに全力をそそいでいます。
 『LOVEマシーン』から突如として激しくなったダンスの振り付けに自らの体力の限界を感じ、人知れず「引き際」を意識するようになったというリーダー中澤さんも、当時のグループの1人1人のつながりをまとめあげる役割として絶対必要不可欠な存在でした。


 最後に、あわててついさっき、家に帰ってきてから調べてみた芸能ニュース記事をここに。


後藤真希、芸能活動休止を自ら書面で報告 後藤真希という自分に戻りたい(livedoorニュース 2011年6月22日の記事より)

 元モーニング娘。の後藤真希が、年内をもって芸能活動を休止すると自ら書面で報告した。

 「ファンの皆さま 関係者の皆さま」と題された直筆の書面には、「今日は大切なお知らせがあります。私、後藤真希は、来年1月から芸能活動を休止します。世間知らずで生意気な下町娘だった私が、13年前の夏、オーディションをきっかけにモーニング娘。そしてゴマキとなり、たくさんの華やかなステージを経験させていただきながら、夢中で走ってきました。」とあり、続いてファンやスタッフへの感謝を述べた。
 「昨年の冬、母という強くて大きな支えを失ったことで、私は考えるようになりました。(中略)皆さんの存在はとてもありがたく感じています。だけど、自分の中に空いた大きな穴が埋められないままなんです。」と、母を亡くした辛い思いを吐露した。

 今後は「普通の自分に戻ってみたい」という思いから、今回の決断に至ったようだ。
 12月には約4年ぶりにワンマンコンサートを予定している。ファンにとっては、お別れコンサートになるのかもしれない。


 なるほどねェ~。
 後藤さんの「輝き」というものは、勝手な言い方をさせてもらうとけがれを知らない天衣無縫な「イノセントな輝き」だったのではないかと思います。そりゃそうですよ、13歳で中学生だった時に芸能デビューして、その年に日本一人気のあるアイドルグループのエースになっちゃったんですから!
 それからの後藤さんは2002年までモーニング娘。に在籍し、それ以降もトップアーティストであり続けたわけだったのですが、その間に彼女の周囲に巻き起こったさまざまなトラブルは、直接本人が起こしたものでないだけに非常につらいものがあり、そのために彼女が「休みたい。」と言うのであれば、それを止めるいわれはないやねぇ。

 かつて、後藤さんのそれとはまた違った「けがれも知った上での輝き」をその身にまとっていた山口百恵さんは、伝説的な引退コンサートをもって芸能界を去っていきました。
 今年のこれからの後藤さんの輝きは、どんなものになるでしょうかねぇ!?

 きれいさっぱり去るのもモー娘。、篤姫の役でタイムスリップホステス映画に出るのもモー娘。。


 いやー、アイドルグループって、ほんっっっとに!! いいもんですねぇ。それじゃまた次回、ご一緒いたしましょう~(また使いました)。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第21回 『モーニング梅雨。 1999上半期』

2011年06月21日 23時56分08秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 ペペペ~イ。どうもー、そうだいでございます。
 いや~、いよいよ暑くなってまいりましたねぇ! アイスがおいしい気温になってまいりました。
 まだ梅雨はあけてないんですけど、ちょーっと扇子だけじゃあ乗り切れなくなってきちったかな!?
 去年の夏にもこの『長岡京エイリアン』でさんざんっぱら言っていたんですが、うちの家には冷房になるものは扇風機しかありません。なんで、いろいろあって節電だ節電だと言われている昨今でも、おそらく私の生活は今までの夏の過ごし方とそんなに変わらないものになると思うんですけど、暑いのはヤだね~!
 今年も扇子と扇風機と水ごりでやってきますかぁ~。クーラーとはいかないまでも、最近は扇風機よりももっと先鋭的で涼しくなるアイテムがあるんですよね? はねのないヤツとか。でもまぁ、古い扇風機も非常に味わいがあっていいんですよ。
 最近は「古い扇風機から火が!」みたいなぶっそうなニュースもあるんですが、大丈夫。私は嗅覚にはちょっと自信があるんです。部品が焦げるにおいはすぐに察知できると思うから……たぶん!!


 さぁさぁ、夏本番前にちゃっちゃと終わらせちゃいましょうかぁ、「ざっくりすぎるアイドルグループ史」もね! いこういこう!

 今回はモーニング娘。がいよいよ「本当のブレイク期」に入ることとなる1999年となるんですけれども、モーニング娘。をとりまく周辺の世界も、新たな時代をむかえつつありました。

 1994年以来、数年に渡って続いてきた「小室哲哉プロデュース」ブームだったのですが、小室さんのプライベートでの彼女でありブームの代表的な顔でもあった華原朋美が1999年初頭から心身の疲労を理由に活動を休養するようになったころから、じょじょ~にその勢力も縮小を始めていくようになります。
 ただ、トモちゃんと交替でスターダムにあがってきたような『ASAYAN』出身の新人歌手・鈴木あみのプロデュースによってまだまだ小室ファミリーの栄華は続くかのように見られたのですが、今度は2000年の末ごろにあみ~ゴが芸能事務所とのいざこざで活動を休止せざるをえなくなる事態となり、さらに2001年をもって、常に小室ファミリーの屋台骨であり続けていた安室奈美恵が小室プロデュースから離脱したことによって、5年以上続いていた「小室ブーム」は完全な終息をむかえることとなりました。小室さん自身はそれ以降もglobeとしての活動をコンスタントに続けていくのですが、21世紀の幕開けと入れ違いになるかのように、日本のアイドル界に影響を与える意味での小室さんの役割は終わりを告げたのです。

 そんな流れの中で、新たに日本の音楽界、特にアイドル的な人気を博するという意味で重要な存在になったのが、女性ソロヴォーカルがめいめいのオリジナルな世界を力強く唄いあげて人気を集めるようになった「女性R&B(ディーヴァ)ブーム」でした。
 だいたい、ディーヴァブーム関連で当時あった主なトピックはこんなもんだったでしょうか。


・宇多田ヒカル(15歳)が1998年12月にリリースしたデビューシングル『Automatic』がミリオンヒットとなる
・宇多田ヒカルが1999年3月にリリースした1stアルバム『First Love』が日本歌謡史上最高の860万枚セールスを記録する
・浜崎あゆみ(21歳)が1999年4月にリリースした7thシングル『Love Destiny』が自身初のオリコンチャート1位を記録する
・椎名林檎(21歳)が1999年10月にリリースした4thシングル『本能』が自身初のミリオンヒットとなる
・倉木麻衣(17歳)が1999年12月にリリースしたデビューシングル『Love,Day After Tomorrow』がミリオンヒットとなる
・小柳ゆき(18歳)が2000年7月にリリースした5thシングル『be alive』が自身初のオリコンチャート1位を記録する
・MISIA(ミーシャ 22歳)が2000年10月にリリースした7thシングル『Everything』が売り上げ200万枚のミリオンヒットとなる


 こんな感じ。当然ですが、小室ブームとちがってそれぞれがそれぞれの個性を爆発させているので、「女性がソロで唄っている」というポイント以外には共通項はほとんどありません。
 もちろんのように全員、武器は歌のみというスタイルではあったのですが、アイドル的な人気を得てもおかしくない容姿をした方々も多く、外見やライフスタイル、発言も含めて熱狂的なファンをつくりだすパワーはまさに、「アイドルでない新時代のアイドル」といったふぜいだったのではないでしょうか。
 私、むかし「女優だった頃の」浜崎さんが出ていた映画を観たことあるんですけどねぇ、まさかあの作品でなに考えてるのかわからない情緒不安定な猫目少女を演じていたおねえちゃんが、1999年の初トップから10年以上日本の歌謡界に君臨し続ける歌姫になろうとはねぇ。苦労人だよぉ。

 こういうディーヴァブームという新興勢力の台頭もありつつ、同時にあみ~ゴが最盛期を迎えることにもなった1999年だったのですが、アイドルグループというくくりにとってはどんな年になったのでしょうか。
 当時のアイドルグループと言えばなんといってもSPEEDとモーニング娘。の2大勢力ということになるのですが、SPEEDは引き続きミリオン街道を驀進してはいたものの、この年から本格的にメンバー4人それぞれの歌手や女優としてのソロ活動が始まるようになり、ついに10月に解散が発表され、翌2000年3月いっぱいの活動をもって活動を終了させることとなりました。アイドルグループの中では楽曲累計売り上げ枚数1953万枚(2011年1月時点)という日本一の記録をほこる4人組にも休息の時がやってきたのです。

 いっぽう、モーニング娘。のほうはといいますと、こちらはSPEEDについでアイドルグループとしては歴代第2位という楽曲累計売り上げ枚数1670万枚(これも2011年1月時点)という実績をほこっているのですが、まさしくこの大記録に向けて本域のジェットエンジンに火がつくこととなったのは、今回取り上げる1999年からのことだったのです。

 前回にもたどったように、モーニング娘。にとって念願のメジャーデビュー1年目となった1998年は、その年の内にオリコン1位を獲得してあのNHK『紅白歌合戦』にも初出場するという、どこからどう見ても立派なブレイクを果たした年ではあったのですが、翌1999年の前半は不思議な沈静化を見せる時期となってしまいました。せっかく時流に乗ったかのように見えた「第1次モーニング娘。ブーム」は、早くもいったん終息してしまったのです。

 原因となったのは、1999の年明けに突如として発表され、2月にリリースされた4thシングル『Memory 青春の光』をラストとして4月に現実のものとなってしまったメンバー福田明日香(15歳)の卒業でした。
 のちに多くの「卒業生」を送り出すことになるモーニング娘。なのですが、史上初の卒業となる福田さんの時期にはまだ「卒業」と「脱退」の明確な使い分けは決まっておらず、当時のアナウンスなどでは「脱退」という言葉もよく使用されていたものの、両者の意味の違いがはっきりしている現在では福田さんは「卒業した」ということになっています。ちなみに現在の公式見解では、モーニング娘。史上「脱退した」メンバーは2名、それ以外は全員「卒業した」ということになっているんだそうです。さぁ、キミは誰と誰が脱退したのか知っているカナ~?

 理由はいろいろとあるのでしょうが、15歳という若さで「卒業」そして「芸能界引退」という決断に踏み切った福田さんの意志は固く、モーニング娘。史上ただ1人、卒業以降現在に至るまで1度も芸能活動を再開したことのない元メンバーとなっています(TV番組の取材に応じたことはあり)。
 非常に歌唱力が高く買われている方で卒業を惜しむ声も多かったのですが、ラストシングルとなる『Memory 青春の光』も、実に情感豊かないい曲ではあったのですが特に卒業とは関係のない失恋ソングだったりしたので、なんとなく盛り上がりのないしめっぽいままの別れとなったのは残念なことでした。

 その後、7人メンバーとなったモーニング娘。は、結成当初からくらべてもさらにきれいに、さらに歌唱力がアップした安倍なつみさんをセンターにすえた体制を強化し、5月には定番のサマーソング5th『真夏の光線』、7月には里帰りと家族の絆を美しく唄う6th『ふるさと』を発表していくのですが、オリコン10位以内にはランクインするものの、いまひとつスマッシュヒットにはつながらない軽い停滞期に入ってしまいます。
 おりあしく、同じ『ASAYAN』出身だった鈴木あみが『ふるさと』とほぼ同時にリリースした7thシングル『BE TOGETHER』で自身初のオリコン1位を獲得したこともあり、さらにその勢いの差がきわだってしまう事態となってしまいました。

 いや~でもねぇ、この時期を「停滞だ低迷だ」と言うのはあくまでもセールス面だけでの話であってですね、曲はどれもこれも素晴らしい出来ですよ。つんくさんの作曲センスも1歩さがったひかえめさがあってモーニング娘。の味わいを引き立たせているし、成熟したなっちのヴォーカルとメンバーのコーラスのバランスは非常にきれい。ひいきめに見なくてもモーニング娘。は、アイドルグループとしてだけでなく歌手グループとしての魅力もしっかりそなえ始めていました。


 そして、このころからモーニング娘。は、同じ『ASAYAN』のオーディション企画出身で、つんくプロデュース、アップフロントエージェンシー所属のアイドルグループを仲間に加えていくこととなります。
 こんなみなさん。


太陽とシスコムーン(1999年2月~2000年10月)4人組
 22~27歳 稲葉貴子(あつこ 25歳)・RuRu(23歳)ら
 『ASAYAN』での芸能経験のある女性を対象としたオーディションにより結成
 元大阪パフォーマンスドールの稲葉、中国で芸能活動をしていたRuRu、元オリンピック体操選手、民謡の家元の4名
 アダルトな雰囲気で楽曲の完成度が高い
 2000年には「T&Cボンバー」に改称していた
 8枚のシングルと2枚のオリジナルアルバムをリリースするがさほどヒットせず解散
 2009年に一時再結成する(RuRuは母国中国での芸能活動のため不参加)
 現在は稲葉以外の3名が芸能活動を続けている(ハロー!プロジェクトからは離脱)
 代表曲 1st『月と太陽』(1999年4月)

ココナッツ娘。(1999年3月~2008年4月)1~5名
 15~18歳 ミカ(15歳)・アヤカ(18歳)ら
 『ASAYAN』のオーディション企画により結成
 ハワイ出身のメンバーによるアイドルグループ(アヤカは日本人、ミカは日米ハーフ)
 5枚のシングルをリリースするがヒットせず
 2000年から主に学業優先の理由でメンバーの脱退があいつぎ、2002年にはミカとアヤカのデュオ、04年にはアヤカのみの在籍となっていた
 2008年にアヤカがハロー!プロジェクトを離脱したため自然消滅
 現在は日本で芸能活動をしているメンバーはいない(アヤカはプロゴルファー谷原秀人と結婚)

カントリー娘。(1999年4月~)1~3名
 16~18歳
 『ASAYAN』のオーディションにより結成
 1999~2003年は田中義剛が活動をプロデュースしており、北海道で田中の経営する花畑牧場に勤務しながらの「半農半芸」の生活を送っていた
 2003年につんく♂がプロデュースを引きついでからは東京での芸能活動に専念している
 メンバーは当初3名だったが、CDデビュー直前に1名が事故死してしまいデュオでの活動開始となる
 メンバーの入れ替わりがはげしく、2002年には結成メンバーはいなくなっている
 カントリー娘。単独での楽曲はインディーズ時代にしかリリースしていない
 インディーズ・メジャーあわせて11枚のシングルと2枚のオリジナルアルバムをリリースしているが、2001年のメジャーデビュー以後は石川梨華など、モーニング娘。のメンバーをゲストヴォーカルに加えた楽曲
 2002年に里田まい(18歳)が加入し、2007年に残りのメンバーがハロー!プロジェクトを離脱したためにそれ以降は里田のみの在籍となる
 里田は2009年にハロー!プロジェクトから離脱するが、「カントリー娘。」は解散していない
 現在は里田と元結成メンバーの小林梓のみが芸能活動を続けている(ハロー!プロジェクトではない)
 代表曲 メジャー1st『初めてのハッピーバースディ!』(2001年4月 石川梨華と)

メロン記念日(1999年8月~2010年5月)4人組
 15~18歳 村田めぐみ(15歳)・柴田あゆみ(18歳)ら
 『ASAYAN』のオーディション企画により結成
 ハロー!プロジェクト陣営としては珍しく結成から解散まで一貫してメンバーが変わらなかったグループ
 ライヴでのパフォーマンス力は充分にあったのだがCDはさほどヒットせず
 結成当初は「モーニング娘。の妹分」というふれこみだったが、いつのまにか「お姉さん」になっていた
 2006年以降はつんく♂以外のアーティストによる楽曲提供をうけている
 2008年以降は月1回ペースでのライヴを活動の中心としていた
 2010年5月の東京・中野サンプラザライヴをもって解散しているが、2011年にも一時再結成している
 ※発表したシングルはインディーズ・メジャーあわせて18枚、アルバムはオリジナル・ミニあわせて4枚
 現在は柴田と大谷雅恵の2名が芸能活動を続けている(どちらもハロー!プロジェクトからは離脱)
 代表作 8th『赤いフリージア』(2003年1月 自身最高のオリコン10位入り)


 いろんな方々がいたんですなぁ。
 残念ながら、1999年に結成されたグループの中では単独でモーニング娘。にならぶCDセールスを記録できた人たちはいなかったのですが、実力派のベテラン(失礼?)がそろった太陽とシスコムーンに異国のトロピカルなイメージを導入したココ娘。、アイドル活動に農業を取り入れるという『もやしもん』もビックリな挑戦にいどんだカン娘。にライヴ活動による距離感の近さをうりにしたメロン記念日と、実に多彩なこころみがモーニング娘。の周辺ではなされていたのです。
 メロン記念日って、つい最近までやってたんですね。見あげたもんだよおっかさん!

 そして、それらのグループをおもにライヴのかたちでひとくくりにしたドリームチーム的なまとまりも、1999年ごろから具体的に形成されていくこととなります。
 それがこれ。


ハロー!プロジェクト(1999年4月~)
 アップフロントエージェンシーに所属するつんく♂プロデュースの女性タレント(主にアイドル)の総称
 ※つんく♂のプロデュースするアーティストが全員ハロー!プロジェクトに所属しているわけではない
 もともとは1998年1月にメジャーデビューした平家みちよとモーニング娘。の合同ファンクラブ「ハロー!」の名前が1999年4月に改称されたものだった
 1999年7月の合同コンサート「ハロー!プロジェクト'99 at 横浜アリーナ」のタイトルになった頃からのグループ全体のことも意味するようになる
 ※開設時点では平家・モーニング娘。・太陽とシスコムーン・ココナッツ娘。・カントリー娘。が所属


 1999年の時点ですでにかなりの大所帯だったハロー!プロジェクトですが、ここからますます人数が増えていくこととなります。まさしくつい最近まで、「日本の女性アイドルと言えばハロプロだろ!」という時代が続いていたんですなぁ。

 さて、こうしてじょじょに拡大することとなったつんくさん率いるハロー!プロジェクト陣営だったのですが、依然として一家の稼ぎ頭ではあったものの、モーニング娘。はいまひとつ1ランク上のネクストステージに踏み出せない空気が続いていました。
 1999年上半期のモーニング娘。は、まさに1997年の試練の中から誕生したモーニング娘。と地続きの存在となっており、結成当初から彼女たちが積み重ねてきたキャリアというか、情緒の積み重ねのようなものを、彼女たちの歌唱法もつんくさんの楽曲づくりもひっくるめて持ち続けていたところはあったと思うんですね。それがとりもなおさず当時のモーニング娘。のオリジナルカラーにもなっていたわけなのですが、悪い言い方をすれば「限界」になっていたんじゃないかと。ちょっと感情の込めかたが重いんだなぁ。

 特に、常にセンターにい続けていたなっちの表情、身のこなし、そして歌にはどことなくうわついたことができない節度と落ち着きがあり、それが、そういった月光のような、色で言うと「シルヴァー」のような輝き方がなんとなくのブレーキになりつつあったのではないでしょうか。

 そして、この局面を打開してモーニング娘。が「なっちのいるアイドルグループ」という存在から「国民的な絶対的人気を獲得するアイドルグループ」へとメタモルフォーゼするためには、ある意味で「これまでのモーニング娘。のなりたち」という部分の空気を読まない新たなる起爆剤が必要だったのです。

 「空気を読まない」。それはまさにスターのあかし。当時のモーニング娘。に足りなかったのは、ちょっと下品に見えてもいいくらいにギラギラと輝きをはなつ黄金、「ゴールド」のような存在だったのです。

 そして、まさしく「念ずれば華ひらく」。
 モーニング娘。を次のステージへといざなうこととなった「ゴールド」は、その年の8月に開催された「モーニング娘。第2回追加オーディション」で採掘されることとなったのでありました。

 きたきたきた~!! やってくる。後藤さんがやってくる。
 いよいよ始まる『LOVEマシーン』のギンギンギラギラブレイク編は、また次回のココロだ~。


 ……ここ数回、半年ぶんずつしか進んでいない。
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沈静! バットマンざんまい ~人生いろいろ、ジョーカーもいろいろ~

2011年06月20日 23時55分06秒 | マンガとか
 こんばんは~、そうだいです。いよいよムンムンムシムシしてまいりましたね~。気温が上がって寒くなくなったら寒くなくなったで、今度は不快指数があがってきちゃうんだよねぇ。キビシ~っ!


 いやーまったく、最近はアイドルのことしか考えてない日々が続いておりまして。
 いよいよハロプロに入っちゃいましたからねぇ。21世紀も近くなってきたし、2011年の終わりに向けて最後のきばりどころにさしかかってきたな~という心境なんですけれども。

 ……これ、私が勝手にやってるだけなんだよねぇ。なんのむくいもねぇんだよ。
 なんだろねぇ。別にやりたくないことをイヤイヤやってるわけでもないんで後悔は1ミクロンもないのではあるのですが。

 2ヶ月かかっても終わりそうになくなってきたね……まぁ確実に進んでるからいいんだけどさぁ!
 イヤーほんと、先月の私もとんだくわだてをしてくれたもんですよ。くわだてた先月の私も阿呆なら、それをやり続けてる今月の私も阿呆ですよ!

 バカなのね~、バカなのよ~ってなもんでい。へへ~んだ!!


 ということでして、今回は気分転換にまたしても「バットマン」関連の話をつづってみたいと思います。
 先月あたりから私の中で突如として始まった、アメコミの「バットマン」シリーズ読みあさりブームだったのですが、さすがにそろそろ終わりが近づいてきたようです。

 早くも買い尽くしてしまったというわけでもなく、まだまだ書店に買いたいタイトルは残っているのですが、サイフと相談しつつチマチマと買い集めた結果として、あと2~3本といったあたりで値段がけっこうするものしか残ってない状態になっちゃったんですね! まぁ当然よ。
 何度も言うように、アメコミの日本語訳単行本はちゃんと高いだけのクオリティが保証されているものなのですが、それでも1冊3千ウン百円のコミックスが前後編て。
 いや、いつかは買うよたぶん!? 買うけどさぁ……ちょっとは落ち着きたいじゃない?

 私が買おうとしているバットマンものの中でも、特に最後にゲットするぞと想定しているラスボス的存在は、そのビッグスケール前後編で発売されている『バットマン ロング・ハロウィーン』。
 これは楽しみですね。まずは一流の推理小説にも匹敵すると評されている、謎の連続殺人犯「ホリデイ・キラー」を追うというサスペンスフルな内容に惹かれるんですけど、なによりも来年に公開される予定の『バットマン ダークナイト・ライゼズ』にそのホリデイ・キラーが現れるらしいんですよ。
 ということは、バカ正直に考えれば『ライゼズ』の直接の原作が『ロング・ハロウィーン』になるはずなので、来年までにはなんとか予習をすませておきたいんですなぁ~!

 しかし、ここはクールダウンして物事を考えなければ。おそらく、すぐに絶版になるということもないでしょうし、今すぐに本能のおもむくままにすべてを買い集めて破産するわけにはいかんのです。アメコミで給料日前の空腹は満たされねぇんだよ。

 ということで、今月の「バットマン」は次の2本でいったんストップということにあいなりました~。


『バットマン アーカムアサイラム』(1989年10月 原作・グラント=モリソン 作画・デイヴ=マッキーン)
『ジョーカー』(2008年10月 原作・ブライアン=アザレロ 作画・リー=ベルメホ)


 まったく、レベルたけぇなぁ~どっちも。存分に堪能させていただきました。

 別にそんなことを前もって考えて買ったわけではないのですが、この2作はバットマンシリーズの無数のタイトルの中でも特に対称的な、描かれた時期もテイストもまったく違うものではあるものの、意外や意外、実に運命的な共通項があったんですね。いや、私も読み終わったあとに気づいたんですけど。

 この2作は、どちらも作品のラスボスというか「悪側の主役」というポジションにあのジョーカーさまが選ばれているのですが、どちらも、ハリウッドで大々的に映画化された「実写版のジョーカーが活躍する『バットマン』」が世に出た直後に発表された作品だったんです。
 『アーカムアサイラム』の場合ですと、その4ヶ月前の6月には、あのジャック=ニコルソンがアゲアゲアッパーなジョーカーを演じきった『バットマン』が公開されていましたし、『ジョーカー』の3ヶ月前、7月に公開されていたのはかの有名なヒース=レジャーによるカオス系ダウナーなジョーカーが映画全体を乗っ取ってしまった『ダークナイト』だったのです。

 要するに、『アーカムアサイラム』と『ジョーカー』は、時代こそおよそ20年ものひらきはあるものの、お互いどちらも発表された時期に、
「さ~て、本家アメコミのほうのジョーカーはどんな感じなのかナ~!?」
 というハードルがん上がりの状況に直面していた作品だったわけなのですよ。苦労人ね~!!

 とはいうものの、さすがはアートの域にまで達しているクオリティをほこるアメコミの世界。世間を騒がせている映画のイメージなんぞにはピクリとも動じません。ちゃんとそれぞれの独立独歩の「ジョーカー像」をたちあげてくれているんですなぁ。

 『アーカムアサイラム』のジョーカーは、もうまさに「悪役とか人間とかじゃない神の域にいるジョーカー」。もうバットマンにさえ倒せる存在ではなくなっています。いや、バットマン「だからこそ」、自分の正真正銘のネガとなっているジョーカーは永遠に倒せないのか。
 タイトルにもなっている「アーカムアサイラム」とは、凶悪犯罪の多いゴッサムシティ(バットマンシリーズの物語の舞台となる架空のメガロポリス)の中でも特にタチの悪い、しじゅうバットマンと闘っているような極悪・異常な犯罪者たちが特別に収監されることとなっている収容施設の名前です。ありていに言えば精神病院の役割を持った監獄、ということになるでしょうか。
 で、『アーカムアサイラム』は、ある日突然にアーカムアサイラムを不法占拠してしまったジョーカーが、解放した凶悪犯罪者たちがウヨウヨしているアサイラムにバットマンを呼び出し、彼が無事に生き残って出られるかどうかをニヤニヤしながら見つめる、という内容の物語となっています。ここでのジョーカーの目的は、バットマンの精神をおいつめて自分たちと同じような「悪の異常者」に仕立てあげることらしいので、別にジョーカーみずからがバットマンと正面切って殴り合うことはありません。

 いや~、この『アーカムアサイラム』はとんでもねぇよ。
 だってマンガじゃないんだもん、1コマ1コマがほんとに「絵画」なんだもん! コラージュとか点描とか、油彩水彩なんでもござれという、何度観ても必ず何かの新発見がある約120ページものクレイジーな万華鏡が展開されているのです。
 これで3000円弱っていうのは、本当に安い。結局、今の私の家には10タイトルくらいの「バットマンもの」があるのですが、これはダントツに1位ですね。

 なんてったって、作品の中に出てくる登場人物のうち、警察側のボスであるゴードン本部長以外、全員そろいもそろって「きち×い」だけしかいないんですからね。バットマンだって、真剣な顔をしてコウモリの格好をして歩き回ってるんですから正気じゃないでしょう。
 恐ろしいです……まった、この作品のジョーカーの顔がほんとに恐い恐い! 笑ってる表情が底なしに恐いんだからどうしようもないっす。30歳すぎてからこの本に出逢って実に幸運でした。高校生までだったら確実に夢に出てきてます。

 とにかく、この作品の「戦い」とは、バットマンがジョーカーのいざなう「黒い狂気の世界」に堕ちてしまうかどうかの戦いなのですが、それだけに、ジョーカーが解放した凶悪犯罪者たちとバットマンが繰り広げるバトルも、それ以外のアメコミや実写映画では絶対に描写されないような常軌を逸した次元のものとなっているのです。
 見よ、この壮絶なる「アーカムアサイラム10番勝負」のありさまを!!


第1戦 バットマンVS「犯罪界のプリンス」ジョーカー
 ……ジョーカーがバットマンのおしりをさわってびっくりさせたのでジョーカーの勝ち

第2&3戦 バットマンVSプロフェッサー・マイロ&ブラックマスク
 ……マイロもブラックもバットマンに会うことができなかったのでバットマンの不戦勝

第4戦 バットマンVS「悲劇の泥人間」クレイフェイス
 ……バットマンが「私にさわるな!」とクレイフェイスの脚を蹴ってバットマンの勝ち

第5戦 バットマンVS「夢をあやつる死神」ドクター・デスティニー
 ……バットマンがまだ気づいていないデスティニーを階段の上から突き落としてバットマンの勝ち

第6戦 バットマンVS「恐怖を司るかかし」スケアクロウ
 ……スケアクロウが気づかないうちにバットマンが逃げたのでスケアクロウの不戦勝

第7戦 バットマンVS「予測不能の狂気の帽子屋」マッドハッター
 ……マッドハッターが言いたい長ゼリフを言って満足したので戦いにならずドロー

第8戦 バットマンVS「神の国を創るのだ」マキシー・ゼウス
 ……バットマンがゼウスの長ゼリフの途中で去ったのでバットマンの勝ち

第9戦 バットマンVS「怪力のワニ男」キラークロック
 ……やっと戦いらしい戦いが展開されるが、ギリギリで機転を効かせたバットマンの勝ち

最終戦 バットマンVS「2つの顔を持つ男」トゥーフェイス
 ……生か死か、果たしてバットマンの運命や、いかに!?


 すごいでしょ~!? これ、『ピューと吹く!ジャガー』じゃないですからね。大まじめなアート系アメコミですから。
 こわいね~。バットマンも必死ですよ。全然かっこよくありません。

 『アーカムアサイラム』。とてもじゃないですが万人向けとは言えません。言えませんが! 万人に1度はのぞいていただきたい狂気の傑作でございます。


 約20年前につくられた『アーカムアサイラム』にくらべると、2008年に世に出た『ジョーカー』は、だいぶ今風で読みやすい作品になっています。

 タイトルのとおり、『ジョーカー』は完全に最初っから最後まで約120ページにわたってジョーカーが悪の限りを尽くすという内容で、物語はジョニーという、運悪くジョーカーの下っ端になることになったチンピラからの視点でつづられています。
 この作品のジョーカーは殺人でも強盗でもなんでもこなす「現実的」な悪人で、その点では『ダークナイト』のジョーカーとも非常に通じるところのある人格になっています。
 しかしながらヒースの演じたジョーカーよりはもっとテンションの高い凶暴性もあって、力ずくで対抗勢力をツブしながらゴッサムシティの夜を支配していくという、ある意味『仁義なき戦い』か『龍が如く』に出てきてもおかしくないようなリアルなすごみと魅力のある「漢(おとこ)」でもあるわけなんですね。
 またねぇ、セリフをひとっつも言わずに黙ってジョーカーについていく「情婦(おんな)」ハーレイ・クイン姐さんがカッコイイんだ! キャラクターが他の作品とであまりにも違いすぎるんですが、ここでのハーレイは実にいい仕事をしてくれています。

 そう。この『ジョーカー』におけるジョーカーの魅力とは、まさに『アーカムアサイラム』とは正反対の「人間らしさもある極悪人」というところなんです。

 「人間らしさ」。それはつまり、「どたんばにリアルに弱い」ってこと!!

 ここでのジョーカーは確かにカリスマ性にあふれた名悪役なのですが、敵の鉄砲玉に銃をつきつけられたらとたんに思いっきり情けない顔になるわ、自分にしたがわないトゥーフェイスの態度にキレたと思ったらその夜にはハーレイに抱きついてオイオイ泣いてるわで、なんだかとっても憎めないところのある人なんですね。全然かわいくないけど。
 そして、数々の悪行の果てにはバットマンとの対決が待っているという70年ものの定番パターンとなるのですが、まぁ~このジョーカーはバットマンをこわがるこわがる。

 この『ジョーカー』の中でバットマンが活躍するのは、ほんとにラストの10ページにも満たないくらいなのですが、限られたコマ数をムダなく有効利用して、きわめて計画的にジョーカーの手下であるハーレイやキラークロックをコテンパンにのしていくバットマンに親玉ジョーカーはオロオロするばかり。しまいには、悪の帝王に君臨していた頃の貫禄とのあまりのギャップになんだか笑えてきてしまったジョニーを「シャラップ!」とブン殴るしまつ。ボス、あんたもうおしまいだよ。


 こうして比較してみると非常におもしろいのですが、『アーカムアサイラム』では神になったジョーカーと人間らしい情けなさのにじむバットマンという対比がきわだっていたのに対して、『ジョーカー』では徹底的に人間的なジョーカーと神のように無敵なバットマンというまったく逆の構図になっているのです。

 ジョーカー。深いですね~!! まさに主人公バットマンとは「陰と陽」、「闇と光」の関係にあるのですな。そりゃ簡単には消えないわ。

 さぁ、私たちが次に出逢うジョーカーは、いったいどんな表情を浮かべて笑ってくれるのでしょうか。
 早く次なる勇姿が見たい! そしていい加減、相方のハーレイ・クインにも銀幕に登場するチャンスをあたえてあげたりーな、ワーナーのおえらいがたは~ん。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第20回 『第1次モーニング包囲網。 1998』

2011年06月18日 23時46分34秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 んんどうもぉ~い、そうだいです。いやはやなんとも、豪雨とは言わないのですがしとしと雨が飽きもせずに続いておりますわなぁ。やんでもすぐ降るしねぇ。空も朝から晩までどんよりしたまんまだし。
 いつ梅雨はあけてくれるのか。どうやら今年はあけるのが遅くなるかもしんない、などという話もチラホラ聞かれるのですが、チャッチャと青空を見せてほしいものですな。少々暑くてもいいですから、頼むよ~!

 外出や遊びにあわない天気が続くのならば、しょうがないからこっちはひたすら働くことに専念するしかないのですが、この前お店でお客さんのちょっとおもしろい会話を聞きました。
 会話というか、ただお店に来ていた小学生男子がケータイで相手と話している声がたまたま耳に入ってきただけだったのですが、

「え? 明日? 明日は遊ぶ。ん? え~っとね、しげりんとぉ、よっぴぃとぉ、サラリーマン。」

 サラリーマン!? それ、あだ名!? 話の流れからいくと本物の企業戦士じゃないよね。
 なんというネーミング……ヘアスタイルが横分けだからか、黒縁めがねだからか、私服でいいって言ってるのにスーツ姿で登校するからなのか、口ぐせが「それじゃわたくし、このへんでドロンさせていただきます。」だからなのか……
 気になるね~。いじめでつけられてる感じじゃなかったので、これからもクラスの中での出世街道をひた走っていってもらいたいもんですよ。めざせ児童会長!


 ほいほーい、それでは今回も雄々しく「アイドルグループ史」の修羅道を突き進んでいきたいと存じます。ついにモーニング娘。に入ってしまった。もう後戻りはできん!

 今さら申し上げることでもないのですが、前回までつづってきたように1997年に結成され翌98年にメジャーデビューすることとなったモーニング娘。は、2011年現在に至るまでつねに日本のアイドル界をリードし続ける存在として君臨してしてきており、彼女たちのホームタウンともなっているアイドルブランド「ハロー!プロジェクト」の圧倒的な存在感は、AKB48だ桃クロちゃんだと強力な新興勢力が台頭してきた昨今でも、いや、そんな状況だからこそますますその輝きを増してきているような気さえする今日このごろとなってきています。
 もちろん、これからおりにふれて強調していくことになるかと思うのですが、結成当初のモーニング娘。とそれからはや来年で15年の時がたとうかとしている現在のモーニング娘。とは、とてもじゃないですが同じアイドルグループとしてとらえることはできません。継承される「魂」のようなものは共通しているのかもしれませんが、そもそも「モーニング娘。」という名前がはなつ影響力からしてまったく別のものとなっているのですから。

 1998年のモーニング娘。は、それこそ初期メンバー5名が番組で体を張った「5万枚手売り企画」、それによる話題性もあってか、1stシングル『モーニングコーヒー』からオリコンチャートのトップ10にランクインされるという好スタートをきることはできたのですが、まだまだ楽曲にも独自の色を出すことができず、よくある番組企画ものの清純派アイドルグループだろう、だいたい1~2年もてば大したもので、番組が終了するかメンバーの誰かがソロデビューするまでのつなぎみたいなものなんじゃないか、という見方がほとんどだったようです。

 しかし、早くも1stシングルから数ヶ月後、あらたに初の追加メンバーをくわえて8名のグループとなったモーニング娘。は、5月にリリースした2ndシングル『サマーナイトタウン』から、めきめきとモーニング娘。ならではのカラーを打ち出していくこととなります。

「大きらい、大きらい、大きらい、大スキ! あぁ~……」

 う~ん、実にいいため息。
 『サマーナイトタウン』のシメのフレーズなのですが、この曲から、プロデューサーのつんくさんは、モーニング娘。に「赤裸々な恋愛感情の告白をセクシーに唄いあげる!」という方針を加えるようになります。
 そもそも、8人のルックスやトーク番組での発言からモーニング娘。のイメージを考えると、若いメンバーは「かわいい」で年上のメンバーは「たのもしい」。全体的には「洗練されていない」、「天然ボケ」という印象があり、それはまさにそれまでの星の数ほどまたたいては消えていったアイドルグループの常套戦略をなぞったものでした。しかし、そこと楽曲を唄う時に見せる「セクシー」な表情やしぐさ、世の男たちの心をグッとつかむような歌詞と歌声との大きなギャップ。どれもこれもがモーニング娘。の顔なのだという、なにか1つのイメージだけでは左右されないアイドルグループならではの多様性を発揮できたのが、メンバー1人1人の個性に加えてつんくという名プロデューサーを持つこととなったモーニング娘。の実力であり幸運さだったのでしょう。

 当時は言うまでもなくグラビアアイドル全盛の時代。おりしも「巨乳ブーム」まっただ中ということで、世に「セクシーなタレント」は飽きるほどいる状況だったのですが、モーニング娘。が持ち味とした「たいしてそうでもない娘さんたちが唄いだしたとたんにセクシーに!?」という戦略は、その中でも大いに異彩をはなっていくこととなりました。あと、単純なことなのですが5名のメンバーではなかなか出せなかった「声のあつみ」が、8名に増えてコーラスなどに余裕ができたことによって格段にボリュームアップしたことも大きいですよね。
 かくして、『サマーナイトタウン』も1st以上にヒットすることとなり、ついに9月にリリースした3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』によってモーニング娘。は念願のオリコンチャート1位を獲得。その年の暮れのNHK『紅白歌合戦』に初出場を果たすこととなります。

「あんなにスキって言ってたじゃない!」
「もいちどスキって聞かせてほしい!」

 『抱いてHOLD ON ME!』のサビのフレーズですが、この曲はまぁ~ホントにこのサビを連呼連呼。まるで芳一を海底にいざなおうとする平家一門の怨霊ででもあるかのように、聴く者の耳にしゅうねく残る言葉を投げかけてきます。
 これは強烈ですね~。アイドルが唄う歌の中では屈指の「怨歌」なのではないでしょうか。これを、村のはずれでわらべ歌を唄っていてもおかしくないような外見の娘さんたちが唄ってるんですからね。
 あと、忘れてならないのは、つんくさんが意図してなのかはわかりませんが、曲のテンポや使用楽曲のシンプルさが、あの「ジュリアナ東京」以前の(それ以降に比べると)比較的ゆったりしたディスコミュージック調になっていることです。
 当時はすでにハイパーテクノだのスーパーユーロだのという複雑でハイテンポなリズムを導入した次世代の楽曲がちまたにあふれていたのですが、そこにあえてちょっと古い印象のあるものを持ってきたことによって、英語ばっかりでなに言ってるのかわかんない歌詞ややたらおぼえにくいメロディに食傷気味になっていた人たちの支持を集めることにもつながっていったのです。

 意味のわかりやすい歌詞にすぐにおぼえられるメロディ。このへんへの原点回帰は、モーニング娘。のヒットもさることながら、時をほぼ同じくして1998年の12月にリリースしたしょっぱなの1stシングル『Automatic』からミリオンヒットをかっとばすこととなった宇多田ヒカル(15歳)の衝撃デビューあたりからはじまる「女性R&B(ディーヴァ)ブーム」の原動力となっていくこととなります。いっつ、お~ぅとま~てぃっ。

 かくして、メジャーデビューわずか1年目にしてオリコン1位に輝くこととなったモーニング娘。の8名。
 つんくさんも結成当初は「『紅白』に出られたら、解散かなぁ。」などと語っていたものの、もはや彼女たちの人気はそんなにすぱっと幕を下ろすことができる規模であるはずもなく、10月にはモーニング娘。史上初のグループ内ユニットとなる「タンポポ」(石黒彩・飯田圭織・矢口真里)の結成が発表され、翌11月にはデビューシングルとなる『ラストキッス』がリリース。これまたオリコン2位を記録するヒット作となりました。

 ところで、1998年の夏はSPEED主演のSF映画『アンドロメディア』が全国で大々的に上映されるアツい夏であったことはすでにふれましたが、実は同じ時期にモーニング娘。も自分たちが出演するアイドル映画を制作・上映しています。しかし、スケールはだいぶおとなしいものでした。

『モーニング刑事(コップ)。 抱いてHOLD ON ME!』(監督・今関あきよし 主演・平家みちよ)

 これは71分のアクションコメディ映画で、アップフロントエージェンシーの擁する平家みちよとモーニング娘。の合同ミニライヴにあわせて、会場で限定上映されるかたちの作品でした。
 お話はなんともかわいらしい他愛のないもので、ファッション雑誌の素人モデルとして活動する8人の少女(モーニング娘。)が、不気味なストーカーのいやがらせにおびえる親友で人気モデルの平家さんを懸命にガードする刑事になる(自称)、というもの。
 主演は平家さんなのですが、やっぱり目立つのは8人のほうですね。
 予算の都合のためか、およそ映画とは思えない軽さが全編にただよっている作品なのですが、8人が突然水着姿になったり、汗水たらして体力をつけるための特訓にはげんだりとアイドル映画らしいサービスシーンは満載。8人を鍛えあげる近所の道場主の役を演じるのは上島竜平さん。実に不安です。
 この作品には彼女たちをサポートする「秋葉原の帝王」(演・シャ乱Qのたいせー)という人物が登場するのですが、彼がクライマックスでストーカー犯にたたきつけるセリフは最高です。

帝 「アイドルに結婚を迫るとは……愚かなことをしたな。」
ス 「帝王様……ボクは……」
帝 「アイドルとは遠くから応援するもの。私の教えを忘れたな!!」

 『モーニング刑事。』はファン以外のあいだでは滅多に話題にされない隠れた存在なのですが、完全に主役を喰ってしまっているフレッシュな8人の姿もあって、ヒマだったら1度は観ておきたいアイドル映画の名品となっております。

 そんなこんなで、1997年という試練の時を乗り越えたモーニング娘。は、怒涛の勢いでトップスターへの仲間入りを果たすという、まさにこれ以上ない結果をもって1998年を終えることとなったのでした。

 そして、次なる1999年は、前半に多少のブームの落ち着きはあったものの、「遅れてきた風雲児」ことごっちん後藤真希のいよいよの加入をもって「真の」モーニング娘。ブームを招来するとんでもねェ~年となるのですが。

 やっぱりねぇ、「モーニング娘。やハロプロの歴史」だけをズンズン進めていっても、アイドルグループの歴史の雄大さ、豊かは言い表すことはむずかしい!
 ある「木」の立派さをいくらまくしたててみても、「木」だけの説明では魅力を伝えることには限界があります。ちゃんと、周辺の他の木や森全体もちゃんと説明しなければ、その中にある「木」のすばらしさを語ることはできんのですよ!! 「ジャニーズ林」や「ロック林」まではやるつもりはさらさらないけどね!

 ということで、今回は1999年にはいかずに、1998年に活躍した他の「アイドルグループ史」に残るべき面々を紹介してみたいと思います。


Kiroro(キロロ 1996年~)ポップスデュオ
 19歳 玉城千春(ヴォーカル)と金城綾乃(キーボード)
 主な楽曲の作曲は玉城のほうが担当している
 沖縄出身だが沖縄アクターズスクールとはまったく関係がない
 1996年からインディーズとして沖縄で活動していたが、1998年1月に『長い間』でメジャーデビュー
 1998年に発表した1st『長い間』と2nd『未来へ』をヒットさせ、2001年の10th『Best Friend』も大ヒット
 透明感あふれる楽曲とトークでの天然ボケぶりが大いにうける
 現時点では楽曲のリリースは2009年が最後になっている

YURIMARI(1998年2月~99年5月)アイドルデュオ 『ASAYAN』出身
 16歳 中村友理(現・ゆり)と伊沢真理(現・MARI)
 サンプラザ中野とパッパラー河合の共同プロデュース、PUFFYの確信犯的フォロワー
 抜群の不安定さをほこる歌唱力を逆手に取った楽曲
 6枚のシングルと1枚のアルバムを発表するがいまひとつヒットせず解散
 現在は中村は女優、MARIはタレントとして活動

HiP ホリプロアイドルパラダイス(1998~2003年)5~7名
 13~18歳
 ホリプロタレントスカウトキャラバンの受賞者によって結成
 新山千春(17歳)・深田恭子(16歳)・優香(18歳)・酒井彩名(13歳)ら5名のメンバーでスタート
 リーダーは新山(初代)、優香(2代目)、酒井(3代目)
 他の途中加入メンバーには平山あや、堀越のり、綾瀬はるか らがいた
 多くは当時から女優として活動していたが、優香と綾瀬はグラビアアイドルだった
 楽曲は発表しておらず、活動はイベント出演やレギュラーラジオ番組のみ

『アイドルハイスクール 芸能女学館』(1998年4月~99年3月)フジテレビの深夜バラエティ番組
 芸能プロダクション十数社合同のアイドル養成番組
 出席番号1~21番までの新人タレントが出演
 橋本真実(14歳)・国仲涼子(19歳)ら
 番組内オーディションでMISSIONが結成されたが、それ以外は楽曲は発表していない
 番組終了後の1999年4~9月には、生徒タレントのほぼ全員が出演したオムニバスドラマ『国産ひな娘』(テレビ東京)も放送されていた

MISSION(1998年6月~2000年ごろ)5人組
 橋本真実 ら
 母体となった番組『アイドルハイスクール 芸能女学館』の事情により、メンバー全員の所属事務所が違っている
 ヴォーカルダンスユニットとして4枚のシングルを発表するがヒットせず(アルバムのリリースはなし)
 1999年9月の『国産ひな娘』終了後に橋本が脱退し、その後めだった活動もなく2000年に自然消滅
 現在は橋本は女優として活動し、それ以外の元メンバーは全員引退している

Z-1(1998年7月~2002年8月)4人組
 13~15歳 上戸彩(13歳)ら
 1998年7月、オスカープロモーションの「第7回全日本国民的美少女コンテスト」本戦出場者により結成
 ※グランプリ受賞者はいない
 1999年からCDリリースやTV出演を積極的におこなうがさほどヒットせず
 SPEEDやモーニング娘。の模倣がはなはだしい
 上戸はすでに女優としての活動を並行しておこなっており、個人的な知名度をえていた
 2002年8月に上戸が『Pureness』でソロ歌手デビューしたことにより活動停止
 現在は上戸以外の元メンバーも歌手やモデルとして活動している
 代表曲 3rd『BakkAみたい!!』(2000年5月)

COLOR(カラー 1998年7月~2002年3月)4人組
 14~15歳 当山奈央(14歳)ら
 関西出身のヴォーカルダンスユニット
 ポルノグラフィティのギタリスト・新藤晴一(長谷川京子さんのダンナ)が主要楽曲の作詞を担当
 ソウルフルで力強いヴォーカル
 抜群の歌唱力だったがヒットせず
 2002年3月にメンバーの門田こむぎが学業優先で脱退し、新たに3名の追加加入をへて「Buzy」に改称
Buzy(ビズィー 2002年4月~06年6月)6人組 COLORの後続グループ
 16~19歳 当山奈央(18歳)ら
 引き続き歌はうまいのにヒットせず解散
 代表曲 4th『パシオン』(2005年11月 COLOR時代からは通算10枚目となるラストシングル)
 現在は元メンバーは歌手・タレントとして活動を続けている


 え~……わたくし、今回のタイトルに「モーニング包囲網。」と銘打ったわけなのですが。

 この中のどれっひとつとして! モーニング娘。を包囲するつもりで活動したグループはありません。キロロいるし。
 まぁ、キロロは当時の日本音楽界を席巻していた「沖縄」というブランドを力強くささえたアーティストの1組ということで。『未来へ』は、いい曲だ。

 見ていただいておわかりのように、1998年の時点では、モーニング娘。というよりも、むしろもっと旬だったPUFFYを意識したユリマリやSPEEDを意識したZ-1といった感じで、まだまだ「モーニング娘。」を明確な対象にしたアイドルグループは出てきていませんでした。
 正確に言うと、モーニング娘。の対抗グループとしては1998年10月に放送を開始したフジテレビのしろうとオーディションバラエティ『DAIBAッテキ!!』で結成された大人数アイドルグループ「チェキッ娘」がいるのですが、おニャン子クラブに最も近かったグループともいえる彼女たちの本格的な活躍(と解散)は翌99年のこととなるので今回は紹介しません。
 ホリプロのヒップは、ソロアイドルが集まってわいわい活動する時のグループ名、という感じなので本格的なアイドルグループではないのですが、まじめに活動して歌唱力も抜群にあったカラー(ならびにビズィー)がうまくいかなかったのは実に惜しいことでした。歌うまいだけじゃあダメなのか……

 とにかくざっと見てみると、SPEEDやモーニング娘。はあくまでも奇跡的な成功例だっただけであり、「アイドル冬の時代は終わった。」とは言っても、まだまだ厳しい状況は続いていたということなんですな。
 特にアイドルグループにいたっては、ミッションの橋本さん、Z-1の上戸さんのように「誰かをソロアイドルとして売り出すための第1ロケットエンジン」としての意味あいは哀しいくらいに色濃く残っていたのです。

 みんなで有名になるって、たいへんなのよねぇ……しみじみ。
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そうだいのざっくりすぎるアイドルグループ史 第19回 『モーニング誕生。 1998春』

2011年06月16日 23時30分32秒 | ざっくりすぎるアイドルグループ史
 びええ~い、そうだいです。泣いてるわけじゃないんですけど、最近また寒くなってきちゃってねぇ。夜とか朝とか半袖がツラい時間帯もあったりして。

 なんだかわかんないんですが、近ごろは「食べたいもの」といったら、完全に「魚」か「豆」のどっちか、っていう感じになってきました。
 おっさんだ……私の身体の中で、ついにおっさんが脈動を始めてしまった。いやいや、ずいぶん昔からおっさん化してたんですけど。
 もう、陸の上の「肉」は食べる気がしなくなっちゃってねぇ! 牛丼なんかもうずいぶん食べていません。これが一時的なブームなのか、ずっとそのまんまなのか……?

 豆のほうは基本的に「飲み物」のことですね。コーヒーもそうなんですけど、主には豆乳!
 これはずっと好きなんですけど、ここのところはヒマさえあれば豆乳のいろんな会社のいろんな味をとっかえひっかえ飲んじゃっている次第です。
 個人的には、「豆乳一族」の中から見ると邪道なのかも知れませんが、今年になってからコンビニやスーパーで売られるようになった、カゴメの野菜ジュースシリーズの中の「豆乳ベース野菜ジュース」がいちばん気に入っています。あっさりしてるんですよね。
 ただ、常に「さつまいも味」、「きなこ味」、「プリン味」と、さまざまな意欲的チャレンジがなされている豆乳業界にあって、最近はまた新たな驚異的ルーキーが登場することになりました。

「豆乳 えだまめ味」(ソヤファーム)

 なにこれ!? 豆がなんでわざわざ別の豆の味に? 一周まわって原点回帰? 遠くて近いまっくらクラ~イクライ!!

 わけがわからず飲んでみると、見事なまでにえだまめの味、そしてかおりが口の中に……
 「えだまめ味」という部分の再現性には100点満点をあたえたいのですが、それゆえに「おいしい飲み物」という方向から離れてしまっているのが実に哀しい。
 やっぱり、いつになっても豆乳業界の動向からは寸刻も目が離せません。また買いにい~こうっと。


 んじゃまぁ、そんなこって今回もおっぱじめますかぁ。日本のアイドルグループ史上、最高峰のチョモランマとも言える「ハロー!プロジェクト」の登山を、今日も今日とて再開だぁ~い。

 時は1998年。
 あいもかわらず小室ファミリーとPUFFYとSPEEDの活況は続いていたのですが、1997年末の『紅白歌合戦』の大トリ出演をもって、すでに「平成最初の国民的歌手」ともいえる絶大な人気を獲得していた安室奈美恵さんが出産のために休業したことにより、1998年は「アムロのいぬ間に天下とり」という権謀術策うずまく「ざわ、ざわ……」時代に入ることになりました。ちなみに、安室さんは無事に第1子の出産を終えたあとにさっそく1998年の12月から活動を再開しています。
 モーニング娘。関連以外の「アイドルグループ史」にかかわりのある1998年のトピックとしましては、夏7月にいろいろな動きがありまして、

・SPEEDが、主演映画『アンドロメディア』の全国公開にあわせて新曲の7thシングル『ALIVE』をひっさげた全国4大ドームツアーを開始
・モーニング娘。を生んだテレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』から、小室哲哉プロデュースによる大型新人・鈴木あみ(現・亜美 16歳)がデビュー

 こんなことがありました。SPEEDはまさにここで第1期の頂点をむかえたわけなのですが、小室ファミリーからも最後のついに大玉が。アツい夏だったんですなぁ!
 

 グループとしては1997年に産声をあげることになったモーニング娘。だったのですが、「TV初出演」と「グループ名決定」と「デビューシングル発売」がバラバラだったSPEEDと同様に、彼女たちも「具体的にいつ誕生したのか?」という問題は、観点や語る人の思い入れなどによって諸説入り乱れております。

1、第1期メンバー5名と事務所がグループ結成の意思確認をとった「1997年8月20日」説
2、8月20日の意思確認のもようが『ASAYAN』で全国放映された「1997年9月7日」説
3、プロデューサーを引き受けたつんくがグループに「モーニング娘」と命名した「1997年9月8日」説
4、『ASAYAN』の放送でグループ名が「モーニング娘。」に最終決定された「1997年9月14日」説
5、初の楽曲となるインディーズCD『愛の種』の手売りキャンペーンが開始された「1997年11月3日」説
6、『愛の種』の5万枚手売りが達成されて翌年のメジャーデビューが決定した「1997年11月30日」説
7、メジャーデビューシングル『モーニングコーヒー』が発売された「1998年1月28日」説

 7コも説があるんですなぁ! 一見ひっちゃかめっちゃかにも見えるのですが、よくよく見てみると、やっぱりモーニング娘。の場合も、要は「グループの結成」と「名前の決定」と「楽曲CDの発売」のどれをもって始まりとするのか、という問題になっていますので、まぁ事情としてはなんら特別なことはないんですよね。どのアイドルグループでもロックバンドでも議論されるようなことであります。
 ちなみに、いまや大物プロデューサーと呼ばれてもおかしくない立場になったつんく♂さんはどう言っているのかといえば、時期によって多少の発言の違いはあるものの、だいたい現在はインディーズデビューを果たした「5、1997年11月3日」説をとっているようです。なりほど。

 ともあれ、かくして本物のアイドルグループとして1998年にメジャーデビューすることとなったモーニング娘。だったのですが、1997年の5人はまさに「苦労」を絵に描いたような日々だったそうです。
 個人マネージャーなどいるはずもなく、イベントや番組の収録は現地集合現地解散が当たり前。衣装は1人1着ぶんを大切に自己管理して使い、それ以外は私服! ファッションセンスに自信のない人は、家族か友達から借りる!

 すばらしい。
 2005年1月の飯田圭織さんの卒業(当時は2代目リーダー)をもって、この「1997年の創生期」を経験したメンバーはモーニング娘。からはいなくなってしまうのですが、この時の気持ちはモーニング娘。から消えていっちゃあいけねぇ。実際、その時にイベントに集まってくれたファンへの想いがちゃんと伝承されているからこそ、今現在でもモーニング娘。はなみいるアイドルグループの中でも特別な位置にあり続けることができているのでしょう。「初心忘るべからず」よ、ほんとに。

 「リーダー」といえば、モーニング娘。は、グループの中に全体を統括する「リーダー」という役割が存在しています。
 モーニング娘。はご存じの通り、のちに最大人数16名にまで拡大していくメンバーの変動するグループなのですが、同じ体制として比較されることも多かったあの「おニャン子クラブ」では、リーダーという存在は設定されていませんでした。AKB48もいませんよね?
 おそらくこれは、5人の中でただ1人、社会人としての経験のあった中澤裕子さんの人となりが大きく関わっているのではないかと思うのですが、人生経験で頭ひとつ抜きんでた存在だった中澤さんがモーニング娘。のメジャーデビューにあわせて「初代リーダー」に就任したことにより、5人はさらにひとつのグループとしてまとまっていくこととなりました。あと、リーダーを明確にしてカラーをはっきりさせるロックバンドのあり方をモーニング娘。にも反映させたい、というつんくさんの意向もあったでしょうか?
 現在のモーニング娘。には、リーダーの他に「サブリーダー」というポジションもあるのですが、中澤リーダーの時代にはまだサブはもうけられていませんでした。それだけリーダーがしっかりしていたんでしょうが、実質的には中澤さんの次に年長だった石黒彩さんがサブのような立場だったようです。

 蛇足ながら確認しておきたいのですが、モーニング娘。における「リーダー」と「エース(センター)」は、まったくちがう存在になっています。ありていに言ってしまいますと、エースは「一番人気のひと」ということになります。
 エースというポジションは、モーニング娘。では公式には決定されていないのですが、中澤リーダーの時代には、エースは基本的に安倍なつみさんでした。なっち~!!

 さて、もともとはテレビ東京の番組から生まれたモーニング娘。ではあったものの、1998年はメジャーデビューにあわせてフジテレビの『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』やTBSの『うたばん』など、さまざまな他局の音楽番組にも積極的に出演していくこととなります。
 要するに、おニャン子クラブを生んだ頃のフジテレビとモーニング娘。を生んだテレビ東京とでは「母体の強さ」や時代に違いがありすぎたということになるのですが、つんくさん仕込みのバラエティ強さを持っていたモーニング娘。は、ういういしさをちゃんと保ちつつもじわじわとその知名度を上げていくこととなります。

 結果として、1998年のしょっぱなを飾ったモーニング娘。の輝ける1stシングル『モーニングコーヒー』はめでたくオリコン6位を記録。
 『モーニングコーヒー』も、のちのつんく楽曲から比べるとずいぶんと静かで、ギターのシンプルな旋律と5人の技巧に頼らないストレートな唄い方が「っぽくない」感じなのですが、唄い手の心情を隠し立てせずに明かしていく歌詞の世界は明らかにつんくさんのものです。
 SPEEDという例外はあったものの、「今さらアイドルグループぅ? 古いなぁ。」という空気がまだまだ濃厚に残っていた当時としては上々のスタートをきることとなりました。

 ここをもって、モーニング娘。はようやく一人前のアイドルグループとして、しかもデビューシングルから「あのシャ乱Qのつんくがプロデュース? 大丈夫か!?」という話題性をもって世間の荒波に出航していくこととなったのです。

 ところで、モーニング娘。本人たちやプロデューサーのつんくさん、所属事務所のアップフロントエージェンシーなどは、この「モーニング娘。」というアイドルグループをどんな集団だととらえていたのでしょうか。
 現在、ついに「第9期メンバー」まで加入して活動することになったモーニング娘。は、公式見解として、

「加入と卒業・脱退をくりかえしながら進化していくグループ」

 という定義付けをしています。今現在のモーニング娘。は、まさにそれを体現していますよね。

 話はちょっとそれますが、プロデューサーであるつんくさんは、自身が手掛けているモーニング娘。そしてハロー!プロジェクトで活躍している多くのアイドルやアイドルグループの面々を、みずから「彼女たちはアイドルである。」と定義付けしたことはありません。

「自分がプロデュースしているのはあくまで歌手。モーニング娘。もヴォーカルダンスグループであり、アイドルなのかどうかは見る側が判断するものなので、自分たちがアイドルだと名乗るものではない。」

 こういった内容の発言をしているつんくさん。確かにそうですねぇ、熱心に応援するファンあってこそのアイドルであります。

 さてさて、先ほどにあげた「メンバーの交替が前提となっているグループ」というモーニング娘。の定義は、実は第1期メンバーの卒業(当時は脱退とも言われた)と、第3期メンバー(ごっちん、動く!)の加入があって2度目のブレイクを果たすこととなった1999年以降のことでした。
 つまり、メンバーの交替があってそれが見事に成功したあとに設定された定義だったのであり、それ以前の1998年の時点では、どうやらモーニング娘。はさまざまな思惑が交錯する試行錯誤の状態にあったようなのです。

 まずは最悪の事態「解散」に関してなのですが、なんといってもモーニング娘。は1997年11月のインディーズCD手売りキャンペーンで、5万枚売りきりができなかったら即解散、という条件から誕生しており、これはまんざら演出なだけでもなくけっこうな迫真性があったようです。
 ただ、発売初日に1万5千枚以上売れていますし、だいたい2~3ヶ月前から『ASAYAN』が番組をあげて盛り上げたキャンペーンだったのですから、いくらテレ東だと言っても5万枚売れないほど反響がないということは考えていなかったでしょうよ。それは哀しすぎる……

 そういえば、『ASAYAN』が「オーディションバラエティ番組」だったことも、モーニング娘。の現在のあり方に多大な影響を与えていたことは明らかです。
 つまり、「番組から生まれたモーニング娘。が、また新メンバーを募集するゾ~。」というアナウンスをすれば、しばらくのあいだはそれで番組が盛り上がる、というモーニング娘。との離れられない蜜月関係がガッチリとできあがっていたということなんですな。娘。と蜜月……ムダにエロい。
 当然ながら、それはモーニング娘。の人気と一蓮托生のものとなっているわけなのですが、基本的には『ASAYAN』は2002年の番組終了までモーニング娘。のホームタウンであり続けることができていました。

 そして、モーニング娘。の記念すべきメジャーデビューからしばらくたった1998年の3月。
 モーニング娘。としては初となる「新規メンバーのオーディション」が番組で発表されることとなります。
 新しいメンバーが追加されることを「重大発表がある」としてギリギリまで隠されていた5人は、重大発表のことを「解散かな……」と思っていたそうです。いじらしいねぇ~。まだ早いですよ!

 3月に募集開始となった「モーニング娘。追加メンバーオーディション」には約5千名の応募があり、最終的には5月に3名の合格者が加入するということに決定しました。
 それが第2期加入メンバーとなる、市井紗耶香(15歳)、矢口真里(15歳 のちの3代目リーダー)、保田圭(18歳 のちの初代サブリーダー)の3名でした。
 みなさん、モーニング娘。の黄金期をささえた欠かすことのできない主要メンバーですよねぇ。

 ここでおさえておきたいのは、『ASAYAN』のオーディションのふれこみが「追加メンバー」となっていることです。「第2期メンバー」じゃないんですね。
 実際、第1期にあたる5人も「この追加で終わりだろう。」とふんでいたらしく、事務所も「モーニング娘。は10名くらいでメンバーは固定。」と考えていたようです。
 いっぽう、つんくさんは「この年(1998年)の『紅白歌合戦』に出場できたら解散にしようかと考えていた。」とものちに語っています。


 さまざまな思いが交錯するなか、あらたにメンバーが8人となったモーニング娘。の命運やいかに? 次回につづく!

 ……って、命運もなにも「2011年まで元気に続いてる」とか「国民的アイドルグループ」とか、さんざん言ってるじゃないの……
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