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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

誕生地の記憶

2008年01月02日 08時34分00秒 | こちら発行人です

こういう興味というもの、自分でもわからないものなんですが、
近くに寄る機会があるときなど、
なにかの心情が得られないかと考えて、つい足が向くことがあります。
わたしが生まれた土地というのは、現在は高速道路インターが近くにあるので、
比較的に便利の良い場所に位置しています。
現在の行政区では、栗沢町上志文というところ。
炭坑が上流にあった小さな川で区切られた農地で、
東南側になだらかな山地が迫っていた土地。
川には、「渡し場」という地名が残っていて、
たぶん、橋が掛かるまでは船で往来していたと推測されます。

まぁ、そんな土地なんですが、
現在は栗沢町から、岩見沢・三笠に抜ける道に面していて、
車両の通行量も比較的多い道沿いといえます。
写真で見るようななんの変哲もない土地。
現在も農家が建っていて、農業を営んでおられるようです。
で、なにか記憶の痕跡のようなモノが得られないか、
という部分では、なかなか得られるものはありません。
なにせ、満3才前後までしか、ここで生活していなかったので、
記憶痕跡のきっかけのようなものもないのですね。
農家であった記憶としては、
いまでも稲ワラなどをいぶして燃やす臭いに、鋭敏であることくらい。
あの臭いを嗅ぐと、強烈な思いが甦ってくる気がするのですが、
やはり記憶は連続いたしません。

ライシャワーさんという、
米国駐日大使を務められた日本生まれの学者さんが書かれた
平安期の高級僧侶・円仁の中国訪問日記への解説文をいま、読んでいるのですが、
そのなかに、中国や日本の歴史学の傾向として、
あまりにも年号や事実の暗記に流れやすく、
「生活の実相を把握する」という態度が少ない、という指摘があります。
まったくその通りで、柳田国男さんなどの民俗学という部分が
長く、日本には視点として存在しなかったのだそうです。
その時代に、どんな心情で、どういう考えを持ってひとびとが行動したか、
そういうことがらが、なかなか追体験できない。
事実で簡潔にまとめられたなかから、行間を伺うしか、
「時代の空気感」のようなものは得られないものなんですね。
すくなくとも、ライシャワーさんの歴史への態度はそのようなものなのだ、
と知ることができて、興味が深くなっています。

しかし、自分自身のことでさえも、なかなか追体験というのは難しい。
いくつかの断片的な事柄をワンピースとして、
徒労に近いようなジグソーパズルに挑んでいるような気がしてきます。

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深夜の初詣

2008年01月01日 08時35分26秒 | こちら発行人です
きのうは、坊主が初詣に新年明けてすぐに行きたいと言い出しまして
おかげさまで早めに就寝した後、深夜になって起こされまして、
北海道神宮に行って参りました。
わが家はすぐ近くに「琴似神社」というお社もあるんですが、
まぁ、神様はそう変えられません。
若い頃には、大みそかもどっかで飲んでいて、
そのまま、初詣に行っていたような記憶があるんですが、
行ってみると、やっぱり深夜の時間って、
そういう感じの若者たちが多いモノですね。
でもま、多くの人波に揉まれての初詣というのもいい。
活気があるというか、元気をもらえるようでもあります。
しかし、ようやくにたどりついた賽銭箱の前では、
「せっかくだから」ということで、子どものこととか、
いろいろとお願いすることが多くなっていて、
つい時間をたっぷりかけてしまいました。
あとで、「うしろのひとがぶつぶつ言っていたよ」と坊主から聞かされまして、
夫婦とも同じように願い事が多くなったモノと実感。
帰りがけには、ロシア人のきれいな娘さん連れの方から
写真シャッターを頼まれまして、
「Happy New Year!」にかこつけて握手もさせていただきました。
カミさん・坊主から顰蹙を買ったかも知れません(笑)。
でも、いい御利益はあったかな、と(笑)。

ことしも拙いブログですが、
書き続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
初日の出は見ていないのですが、
昨年の旅先で写した朝日の写真の中で、いちばんかなと思える写真を。

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親子将棋

2007年12月26日 07時09分13秒 | こちら発行人です


現在小6の息子が最近、わたしに将棋を挑んできます。
「本当は囲碁も良いんだけど」とか言っていますが、
わが家は囲碁はありません。碁盤って重たそうだし、高そう。
それにどうもわたし、碁は五並べくらいしかできない。
なにかで見たことがあるのですが、
碁か将棋か、人間にはタイプがある、ということでいけば、
わたしは完全に将棋派。
もちろんヘタな素人将棋ですが、けっこう好き。
むかし、広告の仕事で「日本将棋連盟」の仕事もしたことがある(笑)。
そうなんです、で、当時の広告関係の担当理事があの憧れの米長さんで、
「ごあいさつ」ということでお会いしたことがあるんです。
会ってみたら、さすがにいつも将棋のことを考えているようで、
こっちと話していると言うよりも、次の対局のことを考えている風でしたけど(笑)。
って、ようするに心ここにあらず、目線は頭のなかの譜面を見ている目でしたね。

で、本題。どうも最近、話題がとんで申し訳ありません。
息子との将棋、なかなか負けてあげるのが難しい(笑)。
って、駒落ち勝負を申し込んでも、ガンとしてプライドをかけて断ってくる。
カミさんからは、「接待将棋、接待将棋」とアドバイスが来るのですが、
どうしても将棋は「戦闘的」なので、一手一手、対応してしまう。
最後は涙目の息子との対局になって・・・。
でも、こういう貴重な機会は逃したくない、
で、息子のプライドも傷つけないでどうやったら、駒落ち勝負に持ち込めるか。
そこで一計を案じまして、駒を並べる前に
山崩しで、駒のとりあいっこを先に勝負することにいたしました。
このとりあいっこの結果で、将棋の持ち駒を決定するという
いわば、2段階の将棋の勝負なんですね(笑)。
で、これはこれで、けっこう本気に勝負できるので楽しい上に、
写真のようなみごとな「駒落ち」が実現する(涙)。
まぁ、こうなると、ちゃんと駒の動きがわかっている相手では、
どうやってもひとたまりもありません。
空いているこっちの陣地に、いきなり飛車や角を「張られる」のですから、
どうやっても防ぎようがない(笑)。
そのうえ、研究するにも持ち駒が想定できないので
ほぼ対応もできない、という2重苦、3重苦の将棋であります。

でもまぁ、親子関係的には大正解でして、
そこそこのルール(?)に則っていて、しかも悔しがるお父さんに、
大喜びの息子、ということが実現できております(笑)。
親子将棋と言うよりは、親バカ将棋でしょうか(笑)。
本来はこんなことでは教育にも良くないでしょうが、
いわば苦肉の策ですね。
お父さんはけっこう、真剣に戦っております。が、
いまのところ、連戦連敗。って、これじゃ勝てません。
でも、このハンデ戦で一回は勝ってみたいと思っております。
う~む、くやし~い!
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「時間の風景」写真展~安田侃ローマ野外彫刻展「時に触れる」

2007年12月21日 05時59分36秒 | こちら発行人です

きのう、別件の要件で岩見沢の武部建設さんを訪問。
豪雪地帯で知られる岩見沢ですが、ことしもこの時期としては
まずまずの多さの積雪です。夕方に行ったのですが、帰り、7時になるとかなり
「しばれあがって」おりました。冬本番ですね、かなり。
以前にもブログで紹介した、再生倉庫が「結ホール」という名前で
一般ユーザーとのコミュニケーションスペースとして生まれ変わっておりました。
天井高が15mはありそうな建物で、巨大な空間ですが、
低温水35度の温水床暖房で、人がいない状態でも16度ほどの
気温が保たれていました。
ここはいろいろに活用するのだそうですが、
ちょうど、イタリアで活躍する北海道の元気印の彫刻家・安田侃さんの
彫刻の写真展が開催されていました。
安田侃さんの作品は、ミケランジェロ以来で、初めて個人の彫刻家の作品が
ローマの街を飾っている、という話題のもの。
また、写真表現も素晴らしく、置かれた街の空気感、
彫刻作品と、街の表情の対話感がじわじわと見るものに伝わってきました。
背景となっている、「結ホール」の雰囲気ともマッチしていて
心地よい時間を過ごすことができました。
今週末、23日、24日には写真家の並木博夫さんも来場されるとか。
年末の一時、安田侃ローマ野外彫刻展「時に触れる」で
いのちの洗濯、いかがですか?
詳細の案内は以下の通りです。


■並木博夫「時間の風景」写真展 
安田侃ローマ野外彫刻展「時に触れる」

(2007年12月14日(金)~2008年1月13日(日)10:00~16:00)
開催期間 2007年12月14日(金)~2008年1月13日(日)
 12/23・24日は並木博夫氏自ら接客します (12/29~1/7は休館します)
時間   10:00~16:00
場所   武部建設(株)「結ホール」
     岩見沢市5条東18丁目31
      0126-22-2202
料金   無料

写真展:「時間の風景」
安田侃さんのローマ古代遺跡での野外彫刻展「時に触れる」が2007年9月7日から2008年1月13日まで開催されています。この度2008年安田侃彫刻カレンダー製作のため、この展覧会を撮影させていただく機会に恵まれました。展覧会場はローマ発祥の地としてコロッセオやフォロ・ロマーノなどの古代遺跡群があるトラヤヌス帝の市場で、会場に一歩足を踏み入れると2000年という時の流れを経てここにそびえ立つ建築物に圧倒されます。自分が生きてきた時間を遙かに超えて存在する遺跡から気の遠くなるような時に導かれ、展示されている彫刻はその時の海に浮かび、漂い、見る者の生命が今ここにあることを、目に見えぬ「時間の風景」が包んでくれます。この写真展からそんな時に触れていただければ幸いです。(並木博夫)
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本格的に冬ですね

2007年12月17日 05時48分22秒 | こちら発行人です

先週金曜日には年末恒例の健康診断。
みごとにひっかりました、体重増(泣)。
まぁ、毎年ギリギリ数値には出ないで、肥満気味、ということで、
コレステロールなどの数字はまぁまぁだったのですが、
今回はさすがにわずかずつ、チェックが入りました。
泣く泣く、保健師さんの栄養指導を受けました次第。
深く心にダイエットを決心させられたのですが、
季節はこれからアンチダイエットシーズンに突入。
さてさて、どうしたものだろうか、と
カミさん共々、思案投げ首状態だったのです。が、・・・
地獄に福音、朝目覚めると一面のホワイト世界(って、ルー大柴か)
ようやくというか、ついに、というべきか、
札幌にも本格的な雪のシーズンの到来であります。

ということで、折からの灯油高騰もあり、
事務所部分にはロードヒーティングも埋設しているのですが、
ことしはギリギリがんばってみようと考えて、
かつ健康維持もかねて、雪かき作業に取り組みました。
わたしどもの自宅周辺と、歩いて3分ほどの事務所駐車場部分約50坪、
たっぷりの除雪作業であります。
しかし、ダイエットにはこたえられないくらいのグッドタイミング。
夫婦+坊主、まぁ、2,2人くらいで、合計2時間半くらい。
始めるまでが、「やれやれ」と踏ん切りがなかなか付かないわけですが、
始めるとそこは北海道育ち、「しょがない」と諦めも付いて、
少しずつ片付いていくさまがとても楽しくなります。
ぜひ、全国やアジアからの観光のみなさんにも、体験させてあげたい(笑)
雪国ならでは、の得難い体験だと思うのです。
って、別に意地悪で言っているのではありませんよ(笑)。
最近では、札幌市の除雪自動車などが観光資源になっているそうです。
確かにラッセル車などで道路の雪がどんどん片付いていく様子は
まぁ、雪の降らない地域から来たひとたちには面白いだろうと思います。

そういう目の覚めるようなものではないのですが、
やっぱり札幌市民の雪かきは、得難い冬の風物詩。
わが家の周辺はみなさん、雪かきに熱心で、
きょうもわが家が始めたら、みなさん徐々に作業を始められて
「ついにきましたね、ことしも(笑)」などと言いながら作業します。

さてさて、でも問題は筋肉痛なんです。
これが、歳とともに出てくるのが遅れてくる。
へたをすると1週間後くらいから来る。
でもまぁ、どんどん降ってくれたら体重計も下がる楽しみが増えます。
って、ほとんど自虐的な楽しみに浸っている次第です(笑)。
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新聞社からの取材依頼

2007年12月13日 06時08分31秒 | こちら発行人です

最近、メディアからの取材依頼が色々にきます。
住宅クレーム110番という、企業NPO活動について、
それがメディアのみなさんに興味を持っていただき、
その内容について、多くのお問い合わせをいただくのですね。
今回も日本を代表するような新聞社から丁重な問い合わせをいただきました。

これまで、メディアといってもテレビ局が多かったのですが、
活字メディア、それも毎日発行されるメディアというのは
どのようなプロセスで記事とか、取材構成を展開しているものなのか、
外形的に観ることはなかったのです。
今回初めてそうしたプロセスを見させていただけそうです。
取材テーマの選定から、その情報先探し、当たりを付けた相手とのアプローチ手法。
そして、具体的な依頼内容の吟味作成。
取材先とのやりとり、交渉。
というような部分、実際の取材に至る前段階というような部分、
こうしたところでは、やはりメディアごとにまったく違いがあるものだと思います。

このような部分では、やはり新聞メディアは構えが重厚。
企画意図に対しての煮つめの部分などはかなり検討されていると感じますね。
よく問い合わせを受けるテレビでは、そこまでの厳密性はない。
それも、影響力がある映像メディアなんだけれど、
ニュース番組などでも、実際の取材依頼とか、作業は下請け流しの体質。
よく言えば合理的とは言えるのですが、
やはり問題を生みやすそうな、危うさを感じてしまいますね。

まぁ、今現在進行中のことなので、内容はもちろん公開できないし、
そもそも、記事として掲載に至るのかどうかもまったく不明。
しかし、顧みて自分たちの雑誌づくりに、
こういう取材への姿勢とか、考え方を参考にはさせていただこうと考えています。
写真は、歳末の仙台市内の風景。
ことしももう師走も半ば近くになってきた。
いやはや、光陰矢のごとく、刺すがごとくの厳しいスピードで
月日が回って行く実感が強まってきます。
年末進行が殺人的スケジュールだったと思ったら、あっという間に
その次、さらにその先に、と待ったなしが続きます。ふ~。

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続・3丁目の夕日、観ました

2007年12月10日 06時06分25秒 | こちら発行人です

去年でしたか、この作品の1作目、
観に行って、感激してこのブログにも書きました。
なかなか、余韻が良い映画だったので、
続編、夫婦で観に行って参りました。

まぁまぁ、っていうところでしょうか(笑)。
心地よいカタルシスがあって、予定調和的すぎて
驚きの部分が薄らいでいますけれど、
けれど、作品を支える基本部分であるCGの魅力は存分で、
おまけのように付けられている冒頭の「ゴジラ」シーンなど、
CG技術はたいへん良い仕上がりだと思いました。
こういう2作目というのは、観る側に了解事項が多すぎて、
作る側としてはすごく難しい部分が多いと思います。
当たった部分はツボを外せないし、一方で今後の展開で、
場合によってはシリーズ化させていきたい部分では、新展開も考えたい。
そう考えると、冒険ができるところと、できない部分の仕分けが難しい。
まぁ、本作の場合はマンガの原作がしっかりあるわけで、
それを下敷きにしていけばいいので、ダメならしょがない、という諦めも
比較的に容易に付くかも知れませんが。

そういう、作る側と同心して観ている部分では
心配しながら観ていましたね(笑)。
できれば日本映画に寅さんシリーズ以来の
完全予定調和型の安心定番シリーズが生まれて欲しい、という希望なんですが、
考えてみると、この映画のテーマに「こどもらしいこども」という部分があり、
主演の子役2人、だんだん大きくなるので、
長期シリーズは難しいというか、そのあたりの回し方が難しい。
寅さんシリーズでは、マドンナ役を変えるという定番手法を
編み出したわけですが、思い切ってそこいらへんから、
韻を踏んで、チャレンジしてみても良かったかも知れない。
ドラマ性という部分では、このような庶民的な話を続けるしかないけれど、
そうだとすれば、どのような新展開を作っていくのか、
原作者と相当詰めた話し合いを持っていかなければならないと思えますね。

けっこう、知らずに目頭が温かくなる映画なので、
制作陣のみなさん、がんばっていって欲しいと念願しています。
やっぱ、こういう予定調和の旋律って、
観ていてうれしいものなんですよね。

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日本語の「乱れ」論

2007年12月09日 07時04分30秒 | こちら発行人です

よく「最近の若者の言葉は乱れている」というような説、
新聞で興味本位に取り上げられたりしますよね。
ああいうの、どうも、納得できない部分がありました。
どうも、言語学者さんってそういう存在なのかなぁ、と思っていましたら、
そんなのでもないようなのですね。
あるメールマガジンのコラムに、同じような考えの方の発言がありましたので、
その一節をご紹介したいと思います。

先日NHKの爆笑問題の番組に出演した日本最高の言語学の権威の先生は、最近の新しい日本語に完全に肯定的で、たとえば「私的」という表現はとても興味深いと言っておられた。
古代語はもとより、江戸・明治の言葉からも、現代の言葉は大きく変化しており、「正しい日本語」というのは、年寄りが子供の頃に親しんだ日本語。つまりせいぜい昭和初期の言語にすぎない。「全然~(肯定)。」という表現も、よく誤った日本語とされているが、実は夏目漱石の小説に使われており、明治期には、「全然」は否定を伴うきまりがなく、「断然」とほぼ同じ意味であった事が判明した。つまり、「年寄りは自分の理解出来ない表現が嫌いで、自分のが正しく、そいつらは誤りと思う。」だけである。

というようなこと。我が意を得たり、でした。
そもそも、日本では固有の言語というものの上に、
漢字とか,漢語が上乗せになってきているのが基本だろうから、
いつの時点で「本来の日本語」というのを規定するのか、
はなはだ疑問となると思います。
むしろ、ここまで外来の言語文化を咀嚼して
その上で、「本来の日本語」とまで間違えていってしまうくらい、
完全に自分のものにしてしまっている方が驚異的なのではないか。
むしろそういう「異文化咀嚼能力」のようなものをこそ、
「日本人の誇るべき文化資産」と考えるべきなのではないかと思われます。

歴史で考えても、基本的な「ヤマトことば」のようなものがあり、
最高権力者の名称でも「あめのしたしろしめすおおきみ」などと呼称しているような段階。
圧倒的な超大国であった中国から「国家」制度の基本を輸入した時期。
政治体制とか、書物とか、仏教経典などの漢字文化受容期。
そうした時期に、「天皇」という呼称も定まってきたらしい。
そして、文書主義に基づく官人の基本的な学問として漢籍・漢字への勉強努力。
そうした一方で、宮中女性を中心に発達した「ひらかな・カタカナ」文化期。
そうした文化の全国的な拡散となった全国の生産力の向上を背景とした動乱期。
戦国期にはポルトガル・オランダなどからの単語も受容し、
江戸期という、平安期と似た純粋培養期を経て、
今度は明治維新以降、欧米の概念を輸入し、さらに戦後社会では
アメリカ文化を「カタカナ表記」で、どんどんと受け入れていった。
そんな段階を経て、いまの日本語があり、
これからも変化し続けていくのだと思います。
いまは、むしろ、江戸期に似たような、外来の文化輸入が一段落し、
これから、さて日本人の感性に似合ったように「純粋培養」しようか、
というような段階なのではないかと思います。
外来文化の受容と、国内的純粋培養の時期が交互に来ているようにも感じる。
そう考えれば、漢字をもとに発明したというひらかなや、カタカナって、
ものすごい大発明なのでしょうね。
カタカナというのは、そういう外来のものをとりあえず受容するもっとも手頃な表現手段。
こんな文化を持っているというのは、ほんとうにすごいですよね。

写真は太平洋岸から見る富士山。
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デジタル時代の疲労感

2007年12月08日 08時06分59秒 | こちら発行人です

ある温泉街で古い写真に出会った。
セピア色に彩られた写真で、昭和の初期ころなんだろうか、
その温泉街の佇まいが写し取られている。
ふしぎに味があって、目から離れられなくなった。

って、べつにこの写真に既視体験のようなものを感ずる、
とかいうわけではありません。
デジカメとかが一般的になって、
大量の画像データが日々、飛び交って情報の総量は
昔と比べると驚異的に増えてきているのだけれど、
昔のこういう写真表現の陰影感には
言葉にできにくい奥行きを感じざるを得ません。
まだ、舗装もされていない道路の質感が
思い起こされたり、並木道は人の歩くスピードで
やすらぎをもたらせてくれていたんだ、とか、
その木陰で待ちざまにしている人影にも、
時間がゆったりと流れている感覚がある。

ようするに、時間の感覚が現代はあまりにも急ぎすぎ。
デジタル時代になって、それが極限まで加速している気がします。
わたしの仕事はDTPで雑誌を造っていく仕事なので、
仕事はすべてパソコン上のデータとして扱う。
確かに便利だし、これがなければ仕事にはならないのだけれど、
たとえば最近の「迷惑メール」の増加ぶりはすごいですね。
IT関係の人に聞いたら、いまや飛び交っているメールのうち、
9割近くは迷惑メールなんだそうです。
しかし、一方で役所関係なんかも届け出が
メールで可能になったりする流れは強まっていく。
こんなのでいいのだろうか、破綻しないのか?
たぶん、みなさん、メールについてはフィルタリングを使っているでしょうが、
それを突破する方法も、この手の手合いは一生懸命やるだろうし。
まぁ、いたちごっこ。

この写真のような牧歌的な時代に戻れるわけもないけれど、
どうも、ルネッサンスのように、人間性の復権とかが今後あるとすれば、
デジタル機器に対する人間社会のルールが決まることなのかも知れませんね。
そして、無法に対する的確な処罰が可能になる必要もある。
そのようなことが起こらなければ、
現代人の疲労感は、なかなかレベル低下することはないのではないでしょうか。
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倒産セール「偽装」?

2007年11月06日 09時00分22秒 | こちら発行人です



わが家から高速入り口に向かう道路沿いにジーンズショップがあります。
まぁ、名前は伏せておきますが、
以前から「あんまり立地は良くないよなぁ」と思っていましたが、
なぜか、十年以上くらいは続けていたでしょうか。
その店が先日、ふと見かけたら、って、珍しく車が止まっていて、
お客さんでにぎわっているようだったんです。
「へぇ~、がんばっているなぁ」と思ってよく見たら、
はためいている幟には「倒産セール」の文字。
「あらら、がんばっていたのに、そうか、厳しいよなぁ」
という感慨にしばし、浸っておりまして、
「ウチで、ジーンズいらないか?」とカミさんと相談までしました。
でも、わが家ではどう考えても必要はない、ということで見過ごしておりました。
で、そういうことがあって、なおしばらく、というか
1ヶ月以上経って、ふたたび近くを通りかかったら、
なんと、まだ営業を続けている様子。
家族で「あれ、まだやっているぞ、ひょっとして、倒産セール絶好調に付き、
復活しましたセールだったりして(爆笑)」とかと軽口を叩いて通りかかってみて、
その幟を再度チェック。
そうしたら、「再建セール」に幟の文字が変わっておりました。

さすがに、わが家全員、しばし、開いた口がそのまんまフリーズ。
確かに、最近はいろいろな会社整理手法があるので、
単純に倒産→夜逃げ、みたいな展開ではない、とは理解しています。
しかし、どうも、状況からすると
あまりにも用意周到というか、商魂たくましいというか、
身の不幸、不出来も商売に利用しようという、まぁ、あっぱれとも言える。
そうか、本当にそういうやり方もあるか、というところです。
倒産セールといわれれば、通りすがりの人間でも、やはり気にはなる。
気の毒に、とか思う心理もある。
わが家は、ニーズがなかったので購入には至らなかったのですが、
こういう心理で買った人もいるだろうと思います。
裏切られた、というように感じる人もいるでしょう。
どうなんでしょうか?

というようなことで、本日は小話ネタでした。
って見ていたら、民主党も似たような展開が・・・、
おっと、軽はずみには言及できませんね。(笑)
写真は投稿記事とは無関係です。
先日の日曜日、ひっさしぶりに行ってきたゴルフ場。
天気は良かった、天気だけは良かった・・・(トホホ)。
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