三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

Replan100号記念イベント

2013年03月21日 04時55分07秒 | Weblog



今週末,土日には2つのイベントがあって、
それぞれでの発表のために、2つのテーマについての
パワーポイントデータを作成する必要がありまして、缶詰め作業に入っています。
「缶詰め」って、ようするに外界との関係を遮断して
制作・執筆に没頭するという意味です。
古語かも知れませんね(笑)。

土曜日の方は、わたしどもの出版しているReplan誌の100号を祝うイベント。
札幌市の地下歩行空間、
ちょうど北洋銀行本店の真下あたりのイベントスペースを使って
午前中から夕方まで長時間の催事を開催します。
その告知のためのテレビCMなども若干流していますが、
なにせ、慣れないことをするので、
勝手もわからず、どういう風になっていくものか、
スタッフのみんなの頑張りに支えられて節目をメッセージしたいと考えています。
で、わたしの担当分が、このプレゼン作成という次第です。
ただ、もうひとつ、日曜日には恵庭市の住宅関係部局から
恵庭市で講演を依頼されていまして、
そっちも、大きめのテーマで考えているものですから、
なかなか準備に時間がかかり、
まとめも遅々として進行していかない・・・。
そんな時間を過ごしております。
こういう「缶詰め」ですと、いろいろな資料類と格闘して
読まなきゃならないものも多い。
まぁ、頑張れる範囲で頑張るしかありませんので、
今日明日と2日間あるなかで、なんとか成案を得たいと考えております。

以下、イベントのご案内。オープニングでは
建築家・五十嵐淳さんと園芸家の上野砂由紀さんの対談企画~「家と庭」
そのあと、わたしの方から
「Replan100号と北海道の住宅」というスライドショー。
北海道建設部住宅指導課さんからの
「木造住宅の省エネ・エコ効果表示プログラム紹介。
合間に、「国境のない音楽・草舞弦演奏会」
建築課ユニットによるJAZZライブ「KBSpecial」
さらに地元の木を使っての「積み木を作ろう」というワークショップも開催します。
会場では、わたしどもが取り組んでいるNPO住宅110番発行の
「東北の住まい再生」に関連した復興支援イベント。
「100人スマイルプロジェクト」として
石巻市の小学校に「未来への応援メッセージ」も
来場されたみなさんに呼びかけます。
また、Replan100号を祈念して140名の方々に、
オリジナルフォトブックをプレゼントいたします。

イベントの日時・会場は以下の通り。
イベントタイトル:
 Replan100号記念「ない家を建てよう」
とき:3月23日(土)午前11時から午後7時まで。
会場:札幌駅前地下歩行空間(北大通り交差点広場~東)

ぜひお気軽に会場を覗いてみてください。もちろん入場は無料です。
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雪国の冬の終わり

2013年03月20日 10時33分35秒 | Weblog



さて、札幌の街、
ここんところ、ようやくにして暖気が強まってきております。
冬は強勢で猛威をふるい続けてきたのですが、
まぁ、峠はすっかり越えて
春に向かっての坂道を下りていくような感覚とでも言えましょう。
しかし、梅が咲き、サクラがほころぶ本州南西部地域とは違って、
豪雪の名残が写真のように家の前を占領しています。
わが家前は中学校の通学路なので
比較的に公的除雪が活発に行われる場所ですが、
そういう道路でも、堆積し押しつけられた雪の塊が多量です。
たぶん、50cm以上の氷状の雪の堆積層が路上に積層しています。
その雪の堆積層が徐々に暖気で表層から融け、
クルマのわだちにそって、日中グシャグシャになってしまう。
あまりにひどくなるので、みなさん家の前の道路も雪かきするのですが、
融けて重たい雪にはどうにも敵わない。
そんな一進一退の状況が続くのです。
それがひどくなるとスリップして立ち往生するクルマが出てきたりする。
ことしは、そうなりそうな寸前で、先日、公的な除排雪が入ってくれました。
で、こうした大量に水分を含んだ重い雪や氷を中学校敷地側に積み上げてくれます。
それから排雪車両が入って、地層断面を見せるように
「雪の壁」を作っていってくれる。
まことに北国らしい,冬の終わりの光景であります。

でも、やっぱり季節は行ったり来たり。
本日は朝方は冷え込んでいて、日中の屋根からの融雪水が
雪の表面で凍り付いて、ツルツル路面。
家の前でカミさんは転んでしまいました。
「気をつけろよ」と言ったのですが、想像以上の滑り具合なんですね。
そんな春分の日であります。
きょうは、デスクワークがんばるぞ!

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土偶に込めた祈り

2013年03月19日 05時45分50秒 | Weblog



先日訪れた「是川遺跡」の国宝・合掌土偶。
縄文時代の土偶は、4体が国宝に指定されていますが、その1体。
その古さもさることながら、やはり国宝に指定されるには、
作品性の高さもきわめて重視されたに相違ありません。
是川遺跡を見て、縄文からの列島社会こそが
「日本」の民族性のなかのベースであることに疑いはなくなった。
中国は4000年の歴史と言うけれど、
やはりこの列島社会の歴史は、13000年というのが
抑えるべき歴史認識になるのではないかと思います。
弥生以降、大きく列島社会は変容していくけれど、
照葉樹林との精神的つながり、海産食物とのわたしたち民族の親和性など、
弥生とは直接関係がない、こういうベースの文化は
縄文の世が育んできたものに相違ないと思うのです。

石器時代から、縄文の世に移行するのは
照葉樹林の列島各地への広がりと、漁業文化の隆盛があったのでしょう。
やはり食物生産自体は過酷であったことは事実とは言え、
たとえば北海道白滝村産の「黒曜石」が、
生活の基本を支える「ナイフ」の道具として広く列島各地に広がり、
秋田県産の「天然アスファルト」が、土器補修の接着剤として
これも日本各地に伝播するなど、
社会的分業と,交易の活動も活発に展開していた。
そして、この土偶に示されるように
その生産技量レベルは、個人的な「才能」まで感じさせる芸術レベルに
至っているのではないかと思います。
土偶自体は、ある社会的な重要な使命を担っているものとされています。
土偶がほとんど女性を表現していること。
その出土状況が一部が欠損した状態で出土すること、などから
どうやら、縄文の社会システムがもっとも必要とした生産力~人間の誕生に
深く関わった儀礼的祈りの象徴だったのではないでしょうか。

先日、東大の前真之先生のお話を聞いていて
論旨は人類とエネルギーということだったのですが、
西洋においては、ある段階まで「奴隷」が最大の社会エネルギー源だった、
というお話を展開されていました。
言われてみて,確かに気付かされたのですが、
縄文の世でもこのことは変わりがない。
ただし縄文には奴隷の概念はなく、フラットな平等性を持っていたとされます。
社会が必要とする主要なエネルギー源は、生まれてくる人間だった。
そのことに人間として、
崇高な価値観を見いだし、深い祈りを捧げていたのではないか。
よく言われているそうですが、
この合掌土偶には、合わせている指の数が左右各6本あるのだそうです。
そしてその土偶が、出産と関連してわざと壊されて、
その一部が欠けて、ある祈りが成就するのだとすれば、
各5本の指を持った人間としてこの世に出てくる出産こそが目的だったというのが
ごく自然な解釈ではないのかと、
土偶の社会システムとしての必要性は了解されるのではないでしょうか。
この合掌土偶をマジマジと見ていて、
そういった想念に支配され続けておりました。
まぁ、素人の考古・歴史好きの妄想ではありますが・・・。
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十和田市現代美術館

2013年03月18日 10時43分56秒 | Weblog


十和田市に十和田市現代美術館があるということは
知識として知っていて、気にはなっていたけれど、
どうしても行ってみたいとか、思ったことはなかった。
今回、往路に十和田があったので、立ち寄ってみることにしてみました。

建築設計を担当した西沢立衛さんは、
妹島和世氏とSANAAというユニットを設立されていて、
最近、パリのルーブル美術館のコンペを勝ち抜くなどの
世界的な活躍をされている・・・。
世界的な活躍、と言葉で書いてみるとその印象って
ものすごく強いものがある。
よく「欧米では・・・」という、たぶん明治以降の日本社会に
根深く息づいているコンプレックスを強く刺激する言葉だと思う。
そういう意味もあって、やはり建築は、そこにあるものに触れて
はじめて「感じ取る」ものであるように思うことにしています。
どんなに「欧米で認められた」と言われても、
その地にふさわしくなければ、やはり意味がない、と思うのです。
そんな思いを持ちながら、この美術館を探訪したのですが、
そこで展示されていた「現代アート」との
建築のコラボレーションは、やはり素晴らしかったです。
エントランスや入り口って、美術館建築では最大の見せ場のように
演出されるものだと思うのですが、
「現代芸術」にふさわしく、ごく日常的な周辺住宅街の風景の中から
さりげなく入っていく、それも「え、これ、入り口なの?」
とでも感じられるようなごく自然な導入。
そして素材は現代の工業製品っぽいシンプルな素材の導入動線を
通っていく。これがガラスの開口部と屋根だけの空間。
しかし不思議と馴染む感覚。
目的の空間に行き着くための「縁側」を抜けていく感じに似ている。
で、そこからすでに展示はスタートしている。
「さぁ、ここから芸術を鑑賞しろ」というような強迫感がない。
その通路を抜けてはじめて、入場料を払うゲートがあって、
そこから先は撮影は禁止。
そうするとこの「通路空間」というのは、どういった位置づけになるのか
判断の整理整頓がなかなかむずかしい。
しかも、入場ゲートのボックス空間自体も現代アートの展示空間になっていて
床面いっぱいにカラーテープによる彩色が施されている。
どうも、そのような作品展示の連続で
建築と現代アートのコラボレーションが徹底していると感じます。
美術館というのは、定期的に展示作品を変えていくのが常態でしょうが、
この十和田市現代美術館では、そのようには想定していないのではないか。
あまりにも常設展示空間がハマっている。
天井高も、空間の広さも、照明の取り方も、
すべてが「似合って」しまっている。
美術館というと絵画が主役であって、という概念では
この建築はどうもくくれないような空間だと思いました。
で、最後、レストコーナーもあって休んできましたが、
ここでも天井まで、8mくらいはあって、その大空間に柱1本もない。
大開口のガラスの壁が1面にあって
それ以外は、素材の形がまったく感受できないように
真っ白、ということを相当に施工上意識させられたに違いない壁が
ほか3面を構成している。
採光された外光は、その空間の中でさまざまにバウンドし,反射し、
そのグラデーションが、この場所の自然の息づかいも感じさせる。
っていうような体験をさせていただきました。
あらためて、西沢立衛さんの名前を記憶した次第です。
面白かったです。

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縄文期八戸・是川遺跡「社会」の豊かさ

2013年03月17日 09時32分55秒 | Weblog



いまから13000年ほど前に日本列島ではじまった縄文時代。
それまでの狩猟・移動キャンプ生活主体の社会では
平均年齢も若く、活動的でなければならない環境だったのに対して
木の実などの採集、一部では植物の栽培などもはじまり、
より定住的な暮らしになっていったとされている。
高齢者が生き残っていくことが出来る社会になって
「言い伝え」であるとか、知見した知識の「伝承」が可能になり、
社会発展にとってもっとも肝要な「文化」が形成されていった。
日本列島では、ちょうど寒冷期が終わって温暖期を迎え、
照葉樹林帯が広く列島全域を覆うように広がっていった。
その森が、ゆたかな木の実をひとびとにもたらし、
栃の実やドングリなどの木の粉からさまざまな食材を紡ぎ出す生活が
この列島社会に広く広がっていった。
土器というのは、このような植物性食品を主体にして食生活を営んでいくときに
必要不可欠な「煮炊き」のための必要具として発達した。

縄文時代の遺跡は八戸市一帯に広がっている。
八戸地域自体、縄文あるいは石器時代にさかのぼっても
きわめて暮らしやすい地域だったことが明瞭に示されている。
しかしそうしたなかでも、この是川遺跡の出土状況、保存状況はすばらしい。
最近展示館の整備が進んだので以前から一度は訪れてみたいと思っていました。
是川遺跡は、明治の初め頃から発掘整備が進んだのですが、
大地主であった、泉川さん兄弟が篤志の方だったことで
その発掘品の拡散が防がれて、
総体としての「是川縄文文化」全体が集中的に、まるでタイムカプセルから
いま、時空を超えて寝覚めたように見ることができるのです。
きのう、朝から要件のあった昼前まで、たっぷりと見学させてもらいました。
しかも、ボランティアの説明員の方の親切で詳細な説明も聞くことも出来て
縦横無尽に、その知見を得させていただきました。
とくに高齢者の知恵が社会発展の礎になったのではないかという卓見など、
ほんとうに深く学ばせていただいた次第であります。
農耕による食料生産が始まるまで、「社会」の発展はなかったのではないかという
そういった常識が、実は日本列島社会では
それ以前の縄文社会においてすでにそれが実現していた。
そんなきわめて印象的な学習をさせていただいたと思います。
これから、その得られた知見を整理していきたいです。

<写真は、国宝になりそこなったといわれる名作土偶>
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建築研究所発表会・地震の大研究

2013年03月16日 07時35分23秒 | Weblog



先日の「建築研究所発表会」には、たくさんの国費を傾けた研究成果が
発表されていましたが、
そのなかでもわたしが、きわめて興味深く拝聴していたのが
東日本大震災を契機とした地震研究の最新知見。
東大地震研究所から建築研究所に「客員研究員」として派遣された方が
詳細に歴史年代の地震記録を調べ上げ、もって
今日の建築がなにをなすべきかの基礎研究に供しているのです。
東日本大震災のときにいち早く、平安時代初期869年の「貞観地震」との類似性が
多くの在野研究者から指摘があったのですが、
建築研究所としての国費を使った政府組織の研究として
被災し冠水した土地の調査を行って、その地層分析から
貞観の大津波地震は、今回の海水冠水地域とまったく重なる規模に及んでいると
解明されていました。
そして遺されている歴史記述記録のうち、
政府組織の公式記録と言える多賀城の記録での被災模様を
今日の「震度相当」に置き換えていって、
その地震の規模、揺れの大きさを確定させていって、
歴史に残っている記録を今日的な評価軸に置き換えていく方法を試みている。
そして、さらに今日的には、
その貞観地震の後、どのような自然現象が出来したのかの研究も行っている。
歴史的には陸奥の地では、このあと、八甲田山系で噴火が起こり
その自然災害に苦しみ、しかも苛烈な収税、官僚腐敗のつけ回しという
当時の政府の最北政庁であった秋田城官僚への民衆の決起
「元慶の乱」も878年には起こっている。
自然災害の連鎖が、政治的な混乱の引き金も引いてしまった。
また、特筆すべきは、貞観地震後、数年を経て、
関東地域の直下型大地震も惹起して、
大きな被害を及ぼしたという記録も発掘されてきている。
その連動には、大きな根拠がありそうだとされていた。
こうした手法を深めていくと、記録の多く残されている
江戸期の江戸・関東に起こった地震も解析可能になってきて、
関東大地震の先行事例としての「安政地震」の規模も同様に解明されていました。
この関東地域直下型大地震には、規則性が認められるということ。
そういった意味で、
近い将来に関東直下型地震は必然性が高いと結論されていました。

まぁ衝撃を受けて思わず、会場を見回してみた次第です。
メディア関係の方の姿を探してみたのですが、
どうもこういう「固い」研究組織の発表会には興味がないようで
そのあと、メディア関係にこうした記事が掲載されたようには記憶していません。
どうもこの見方は、かなり公式の見解になってきているようで、
より注意深く、
起こってくる事象を把握していかなければならないと痛感させられました。
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平安期多賀城・従六位官人の食事

2013年03月15日 06時26分07秒 | Weblog


本日のブログは、タイトルまんまであります。
この写真は、宮城県の歴史施設で展示されていたもの。
人間が権力欲に駆られたり,上昇志向を持ったりする動機って、
さまざまなんでしょうが、わかりやすい理解はやはり食べ物だろうと思う。
日本列島に権力機構が形成されたごく初期から
贄、というような庶民から上層階級に対する貢納は
いわばごく自然なシステムとして機能してきた。
大王権力、のちの天皇制には、根深くこうした痕跡が見て取れる。
まぁほんとうにナマな欲望がそのまま形式化されていて、すごい。
そうした貢納システムの中で官人の役得として
このような食事が饗されていた。
多賀城という地方政府組織で、最上級権力者に供えられた食事であります。
さて、メニューです。

上段、中段、下段に分けて、
まず、上段左側から右側へ順に。
1 枝豆、栗、里芋の盛り合わせ
2 鮎の醤煮
3 汁~イワシを浮かせた海草の汁物
続いて中段左側から右側へ順に。
4 ホヤ・米麹を使った飯鮓~いずし~
5 漬け物。ナス・青菜の塩漬けとウリの糠漬け
6 調味料・酢
7 調味料・塩
で、下段左側から右側へ順に。
8 メインディッシュ
  鹿肉を細く切り、醤と酢で和えたもの。薬味に野蒜。
9 白米
10 糟酒

というディナーメニューであります。
こういった官人のために調理人も雇い入れられており、
豪華な食事を食べていたらしい。
いやはや、まさに垂涎の豊かな食卓でありますね。
栄養バランスもすばらしい。
こういう食事を取りながら、蝦夷社会への侵略を計略していた(笑)。
まことに犯罪的と感じるか、必然と感じるか、
まぁ、ひとによって見方は分かれますが、こういうのが事実なのですね。
う~~~む、うまそうだ。

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大雪に暖気と雨襲来

2013年03月14日 06時00分20秒 | Weblog



ことしのわたしのブログ、
いつの年になく、天候や降雪に関する記述が多い。
ことしは現在時点でも、平年の倍の「積雪深」だということなので、
まぁやむを得ないのですが、
で、このような豪雪だと、今度は融けていくときにもいろいろ問題が多い。
幸いにして、今週になってからは温暖な気候になって来ました。
きのうなどは雪ではなく,雨がけっこう降ってきていた。
そうすると降り積もっていた道路の固く層になっている圧雪が
陽気と水分補給を受けて、緩んでくる。
この「圧雪」、たとえばわが家周辺では道路上に推定50~60cm程度の
固い路盤面を形成していたのですが、
その上層の方から、緩みぬかるんでくるのです。
住宅はおおむね道路に面しているので、
自分の家の敷地部分は除雪しているけれど、
当然、自宅前道路まで除雪は完全にはできない。
そこに大きな段差も生じてしまうのですね。
道路から自宅敷地までやや、傾斜が生じてしまう結果になっている。
その路盤面が大きくぬかるんで、行き交うクルマもぬかるんだわだちに
タイヤが嵌まり込む寸前のような状況でなんとか通行している。
わたしのクルマ、4WDの車高の高いエクストレイルですが、
それでもハンドルを取られて、やや危険を感じるほどですので、
一般的なFF車や、最近多い軽自動車などでは、見ていても不安なのです。
2車線幅がある道路なのですが、いまは1車線幅。
ひょっとすると、スリップしたクルマが角地のわが家に衝突するかも、
というようなスリリングな状況になっていました(笑)。
まぁ、笑い事ではないのですけれど・・・。
で、やむなく自宅前のぬかるんだ雪の上層部分を除雪作業。
・・・、これがきついのです(笑)。
なんといっても、チョー重たい!
敵わないのですね。
身体中、あちこちが悲鳴を上げてくるような筋肉痛になるほどなんです。
こうなるとやはり、公的な除雪作業に頼るしかない。
幸いわが家の前の道路は「通学路」なので、
さすがにきのうは夜になって、除雪ブルドーザーが出動してくれました。
写真は、わが家の前の今朝の状況。
八甲田山のような雪の山並みが目の前に出現しています。
あの思い雪がブルに押され、積み上げられている状況なのであります。
やれやれ、ほっとひと安心。
本日から青森に出張なのですが、これで後顧の憂いなく、
出発できる次第(ほっ)。

しかし、この大雪が消えるまでには、
同じような状況が2度3度は繰り返されるような気が致します。
たぶん、4月くらいまでこんな状況が続くと覚悟しております。
ふ~~、やれやれ。
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グローバル資本主義時代の地域企業継承

2013年03月13日 07時45分50秒 | Weblog



きのうは札幌市内で、事業承継セミナーというのが
札幌商工会議所の主催で開かれておりました。
右肩上がりの時代には、それこそ税金対策というようなことが
主要なテーマだったのでしょうが、いま、時代は大きく変わってきて、
そもそも事業環境基盤が不確実なものになってきて、
どんな業種においても事業継承というものの本質的意味合いは
大きく変わってきているのです。
「下流志向」などの概念を提起された教育学専門の
神戸女学院大学の内田樹先生の最近の発言に、よく気付かされるのですが、
そもそも国民国家とグローバル資本主義の相克という現代社会の
主要基底テーマを念頭に考えていくと
地域の中小事業者というのは、どのようなモチベーションで
「事業継承」ということを考えていけばいいのか、
非常に悩ましいなぁと思わされるのです。
先生のお説でいけば、そもそも「近代国家」という存在も歴史的存在であって
たかだか400年程度の歴史の検証を経たものでしかない。
わたしたちは無自覚的に、国という概念のなかで
その一構成要素としての自分・個人という存在を考え、
またそのように「教育」されて、
国といういわば共同幻想との関係を無自覚的に前提にしている。
しかし、現代においては経済の主体的存在である企業は、
グローバル資本主義の方向性、価値観認識の方向に大きく影響されざるを得ない。
そもそも事業環境が、世界的な規模での価値観に大きく変化してきている。
もっとも安価な資源と労働力にシフトして
企業はもっとも有利な立地を求めて遷移していくだろう。
さらに、もっとも市場性の得られるマーケットでビジネスを展開する。
もっといえば、市場性の低いところにはシフトしなくなる。
最小のコストで最大の利益を追求する。
国境はとくに関係がないし、「国民」的義務にも無関心であることが必然。
原発事故によるエネルギー問題がクローズアップされる中で
グローバル資本主義としては、そうであれば、
日本に企業の根幹的な立地を求める意味は
どんどん過小になって行かざるを得ないと言われていた。
日本が原発を停止しているなかで中国やインドは原発投資に積極的なのが現実。
それは、グローバル規模で考えれば必然の企業誘致策。
そのようなグローバル資本主義が支配する事業環境の中で、
地域に根ざした企業という存在は、どのように「永続」させる道があるのか。
あるいはその必要性はあるのか。
いうまでもなく、もっとも基本的な存在意義は、
その地域の中でかけがえのない「雇用」を生んでいるということでしょう。
その一方で、企業の寿命は平均で7年だとか言われるようになって来ている。
わたしは創業から30年以上にはなっているのですが、
その程度の存続で社歴が長い、というように言われて驚く次第なのです。
どんどん目先価値にしか着目しないように
事業環境が激変していく中で、
それでも地域でビジネスを展開していく、さらにそれを
「事業継承」していくことは、並大抵のことでないことは自明。
まぁそんな問題意識で聴講してきた次第なのです。

日本国家としても、
このような地域経済主体の雇用確保努力について、
ようやくその価値を確認しようとはしているようなのですが、
さて、その意思の法的表現はあまりにもお粗末、というのが実感でした。
国の施策としての地域中小事業存続努力は、
まだまだ事実認識のレベルからして
「なにそれ」という状況なのだと言うことが再確認できた次第。
こういった想像力の欠如・不足、あるいは無知が
ここまでの日本社会・その表現たる官僚機構システムに
根強くあり続けているのだと思います。
東日本大震災からの「復興」のダイナミズムの欠如とは、
この基本的な基底問題への国家意識が空虚である証左なのではないか。
グローバル資本主義に対して政策的におもねり続けるのであれば、
それと同等以上の施策を地域中小企業に対して行っていく必要がある。
その萌芽は見えるけれど、いまのところ、
ほとんどこれでは機能しないだろうと思われました。

<写真は、江戸あるいはそれ以前から存続してきた商家民家建築の店頭>


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春まだ遠し。札幌の3月積雪深130cm

2013年03月12日 07時01分05秒 | Weblog




きのうは札幌、比較的に気温も上昇し、
猛吹雪から解放されておりましたが、
しかし、3月も半ばになって来たというのに、積雪の多さは驚異的。
白という色は、ロシアでは悪魔の色とされているそうですが、
日本民族たるわれわれも、そのようなDNAへの親近感を持ちそうであります(笑)。



写真はわが家の1階のわたしの書斎大窓からの眺め。
家の形がちょっと変わっているので、
このような鋭角で外部と対しているのですが、
どうしてもこの部分に堆雪させておきたくなるのです。
本当は窓ガラスにとって厳しい環境になるのですが、
わが家の窓は3重ガラスなので、強度には問題ないだろうと思って放置しています。
できるだけ、家の外壁面側に堆雪するようにしていたのですが
今年については、もうやむを得ない。
しかしまぁ、どう考えてもこの状況は1カ月くらい季節感が遅れている。
2月の真冬、というのが今の札幌の実感。
これまで何度も、これが最後の冬の峠か、
というような降雪に見舞われてきたのですが、
必ずもっとひどい降雪がそのあとにやってくる(笑)。
山高ければ谷深し、と言われますが、
さて今年の春は,どんな風にしてやってくるのかどうか、
あまり大きく期待しないように、冬将軍さまのご機嫌を損ねないように、
毎日をやり過ごしている日々であります。

東日本大震災からきのうで丸2年。
そこを起点として活動してきた流れもあるのですが、
住宅復興というのは、なかなか顕著には見えてこない現実がありますね。
きのうのYahoo意見箱では、
住民合意形成よりも、スピード感重視で復興せよ、
という世論が大勢、79%だとか。
まぁしかし、そもそも設問の仕方にちょっと疑問も感じました。
復興について、どっちを重視する? 住民合意、スピード?
という設問では、大衆ヒステリー呼び起こしにしかならないのではないか。
また、フジテレビには石巻の地域商工会の方たちが出演されていましたが、
津波防御と地域景観・伝統の維持をどう両立させるのかという
合意形成には、やはり地域に根ざした知恵が不可欠なのだとも思わされました。
海と生きてきた地域社会にとって、
長大な防潮堤をこれでもかと築くことは、やはりもう限界に来ている。
問題は、日本のいまの意志決定システムや、その基盤的な考え方が
起こった現実に必ずしもアジャストしていないということではないか。
そんな思いも起こってきます。
息が長い活動になっていきそうですが、
できることは継続していきたいと思っております。
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