リコの文芸サロン

文化、芸術、手芸など人生を豊かにする情報発信ブログを始めました。より良いブログに育てるためにコメントなどお寄せください。

松井一恵さんの随想②

2018-10-02 | Chambre de K.

10月3日は松井一恵さんの初七日です。まだ彼女が居ないことが実感できません。

このブログの「Chambre de K.」にたっちゃんのネームで投稿をしてくれていた松井一恵さんは病状が重くなっても病室にパソコンを持ち込んで亡くなる2ヵ月まえに書き上げた2編目の随想「匂い」を紹介します。彼女ほど賢く冷静な女性に会ったのは私の人生で初めてでした。一恵さんは平成30年9月26日に亡くなられました。享年55でした。

 

1編目の随想「忘れじと思ふ」は9月27日にアップしてあります。そちらもどうぞお読み下さい。

  匂い       松井 一恵                        

    マルセル・プルースト「失われた時を求めて」より                      

《私は無意識に、紅茶に浸してやわらかくなった一切れのマドレーヌごと、ひと匙のお茶をすくって口に持っていった。紅茶に浸したマドレーヌの香りによって、幼い頃の記憶が突然呼び起こされた――》

二十世紀を代表する名作小説『失われた時を求めて』は、マドレーヌから始まる長い長い物語です。作者のマルセル・プルーストはパリ郊外生まれのフランス人。『失われた時を求めて』の主人公も、マドレーヌの味そのものよりもその芳醇な香りによって古い記憶が蘇ります。味覚と記憶の繋がりの深さです。

私たちのまわりには、様々な匂いが漂っています。自然の匂い、食べ物の匂い、人工的な匂い・・・。その中で、ふと幼少期の思い出に繋がるものもあります。例えば、雨が降る前の匂いです。この匂いは埃の匂いだと言われていますが、私にとって、小さい頃から変わらない匂いです。  

  〇雨を待つ土の匂ひは遠き日の小学校の中庭の匂ひ                                                                     

小学校の中庭には、百葉箱もありました。雨の降る前の匂いから、百葉箱まで思い出され、古い記憶が蘇ります。また、プルーストのマドレーヌではありませんが、母が作ってくれた焼き菓子の匂いを思い出させるものもあります。母は決して洋菓子が得意ではありません。それでもレシピをみて、オーブントースターでバタークッキーを焼いてくれました。焦げてしまったこともあります。失敗作も私にとっては母の味でした。弟と二人、庭でピクニックのまねごとをして食べたものです。

  〇プルースト効果ならむか漂ふ香に母の作りし焼き菓子思ふ           

一年ほど前、安い輸入クッキーではありましたが、スーパーで夫の買ってきてくれたクッキーの蓋を開けた途端に、新婚旅行で行ったパリのカフェーにあったクッキーの匂いを思い出したこともあります。

  〇夫の買ひしクッキー缶の蓋とればパリの カフェーの匂ひ溢るる       

懐かしいパリの新婚旅行の思い出です。セーヌ河沿いのオープンカフェでコーヒーとクッキーを二人して頼み、自由時間を満喫した実に良い思い出です。今でも脳裏に浮かびます。

またこれは、日常の出来事です。

  〇二階より煙草の匂ひの降りてきてやをら始める食事の支度       

  〇夫の吸ふゴールデンバットの匂ひして朝の六時と気づく吾あり                          

  〇マルボロの煙草の香りが玄関に漂ひ息子の帰りを知らす        

「匂い」とは不思議なものです。五感のうちで最も記憶に直結しやすいのではないでしょうか。そして私は今、病室にいます。

  〇消毒のアルコールの香に思ひ出づあの日の点滴この日の採血 

  

 

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追悼:ミラボー橋 

2018-09-28 | Chambre de K.

松井一恵さん(たっちゃん)の追悼として再掲します。

ミラボー橋、フランスのセーヌ川に架かる橋

 

ミラボー橋 Le pont Mirabeau」・・・Guillaume  Apollinaire

  ミラボー橋の下をセーヌが流れる
  我らの愛も
  忘れないでおこう
  苦悩の後には喜びがあることを

  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる

  手をつなぎ 顔と顔を見詰め合おう
  つないだ手の
  下にはゆったりと
  永遠のまなざしが流れていくだろう

  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる


「LE PONT MIRABEAU」

  Sous le pont Mirabeau coule la Seine
  Et nos amours
  Faut-il qu'il m'en souvienne
  La joie venait toujours apres la peine.

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  Les mains dans les mains restons face a face
  Tandis que sous
  Le pont de nos bras passe
  Des eternels regards l'onde si lasse

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  L'amour s'en va comme cette eau courante
  L'amour s'en va
  Comme la vie est lente
  Et comme l'Esperance est violente

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  Passent les jours et passent les semaines
  Ni temps passe
  Ni les amours reviennent
  Sous le pont Mirabeau coule la Seine


「詩集アルコール」収録の、有名な堀口大学の訳です。

詩集「アルコ ール」(1913)
収録  堀口大學訳]   
   

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追悼:たっちゃんの宝物② インドの女神 クリシュナ像

2018-09-28 | Chambre de K.

9月26日に亡くなられた松井一恵さんは ニックネームのたっちゃんで手芸、花と庭、宝物をリコのブログで紹介してくれていました。27日から追悼として各項をブログに再掲しています。55歳の早すぎる旅立ちでした。

たっちゃんが送ってくれた象牙製の女神像の写真。ヒンズー教のインドのクリシュナ像かと思います。

女神さまは横笛の名手との事、笛を吹くかの手の仕草がそう思わせます。

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追悼:たっちゃんの宝物・・・エジプトの紀元前の壺

2018-09-28 | Chambre de K.

たっちゃんのニックネームで手芸やフランス語の紹介をしてくれていた、松井一恵さんが9月26日に亡くなられました。55歳と言う若すぎる旅立ちでした。追悼特集として彼女の手芸作品、宝物、フランス語の詩の再掲をしています。27日にアップした、たっちゃんの手芸、休日、庭もご覧ください。

先日、私が京都大学の総合博物館のショップで購入した石のコレクションのブログをアップしましたら、たっちゃんが大変に興味を持ってくれて、二人で化石堀りや、考古学の話をしていたら、紀元以前の壺を持っていると言うので「見せて、見せて」とお願いしましたら、アップしました写真を彼女が送ってくれました。高さ15cm、幅14cmの飴色の壺です。

時の試練に耐えてヒビも欠けもなく水漏れも無いそうです。紀元前2000年から3000年ほど前の陶器だそうです。なんとも愛らしい形の壺です。彼女と何を入れたのであろうかとワインかそれとも蜂蜜だろうかと壺の話題が日々、ラインに踊りロマンが広がりました。私はエジプトのカイロ博物館でツタンカーメンの黄金のマスクなど多くの遺物を見ましたが身近なこの可愛らしい壺がなんとも気に入りました。

古代エジプトの壺が時空を超えて2018年の日本のブログに今日、載った事は何とも不思議な出来事です。

 2018年6月29日 

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追悼:フランスの詩人 ランボー

2018-09-28 | Chambre de K.

リコのブログでフランス語の詩を紹介してくれていた、たっちゃんこと松井一恵さんが55歳の若さで9月26日に亡くなられました。5月から再入院してみえましたが、早すぎる旅立ちでした。

追悼として、彼女のフランス語の詩を再掲します。

たっちゃんがフランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)の詩を紹介してくれました。

金子光晴訳 ランボー詩集 (イリュミナシオン収録)
「永遠」 Arthur Rimbaud
Mai 1872

とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽と一緒に、
去ってしまった海のことだ。

みつめている魂よ。
炎のなかの昼と
一物ももたぬ夜との
告白をしようではないか。

人間らしい祈願や
ありふれた衝動で、
たちまち、われわれを忘れて
君は、どこかへ飛び去る…。

夢にも、希望などではない。
よろこびからでもない。
忍耐づよい勉学…。
だが、天罰は、覿面だ。

一すじの熱情から、
燸子の燠火は、
「あっ、とうとう」とも言わずに、
燃えつきて、消えてゆくのだ。

とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだ。


L'ÉTERNITÉ  Arthur Rimbaud

Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

Âme sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.

Des humains suffrages,
Des communs élans
Là tu te dégages
Et voles selon.

Puisque de vous seules,
Braises de satin,
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise: enfin.

Là pas d'espérance,
Nul orietur.
Science avec patience,
Le supplice est sûr.

Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

いずれにせよ一瞬のうちに永遠を見るという主題。
魂の奥深く宿る情熱の諸々の状態を表しているのでしょう。繻子(しゅす)のようになめらかで燠(おき)のように熱いものたち。例えば夕日のように。
ランボーは、アフリカまで行き、ようやく永遠を見出しました。それが、太陽と一緒に行ってしまった海。
この映像、並外れた感受性。17才のランボー。素晴らしいと思う。
ここでは、自分は外在的な光によって照らされるものではなく、自分自身が太陽の光となって、宇宙を照らすのだという矜持があふれているように思われます。

 ランボーの17歳の写真

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