リコの文芸サロン

文化、芸術、手芸など人生を豊かにする情報発信ブログを始めました。より良いブログに育てるためにコメントなどお寄せください。

追悼:ミラボー橋 

2018-09-28 | Chambre de K.

松井一恵さん(たっちゃん)の追悼として再掲します。

ミラボー橋、フランスのセーヌ川に架かる橋

 

ミラボー橋 Le pont Mirabeau」・・・Guillaume  Apollinaire

  ミラボー橋の下をセーヌが流れる
  我らの愛も
  忘れないでおこう
  苦悩の後には喜びがあることを

  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる

  手をつなぎ 顔と顔を見詰め合おう
  つないだ手の
  下にはゆったりと
  永遠のまなざしが流れていくだろう

  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる


「LE PONT MIRABEAU」

  Sous le pont Mirabeau coule la Seine
  Et nos amours
  Faut-il qu'il m'en souvienne
  La joie venait toujours apres la peine.

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  Les mains dans les mains restons face a face
  Tandis que sous
  Le pont de nos bras passe
  Des eternels regards l'onde si lasse

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  L'amour s'en va comme cette eau courante
  L'amour s'en va
  Comme la vie est lente
  Et comme l'Esperance est violente

  Vienne la nuit sonne l'heure
  Les jours s'en vont je demeure

  Passent les jours et passent les semaines
  Ni temps passe
  Ni les amours reviennent
  Sous le pont Mirabeau coule la Seine


「詩集アルコール」収録の、有名な堀口大学の訳です。

詩集「アルコ ール」(1913)
収録  堀口大學訳]   
   

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追悼:たっちゃんの宝物② インドの女神 クリシュナ像

2018-09-28 | Chambre de K.

9月26日に亡くなられた松井一恵さんは ニックネームのたっちゃんで手芸、花と庭、宝物をリコのブログで紹介してくれていました。27日から追悼として各項をブログに再掲しています。55歳の早すぎる旅立ちでした。

たっちゃんが送ってくれた象牙製の女神像の写真。ヒンズー教のインドのクリシュナ像かと思います。

女神さまは横笛の名手との事、笛を吹くかの手の仕草がそう思わせます。

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追悼:たっちゃんの宝物・・・エジプトの紀元前の壺

2018-09-28 | Chambre de K.

たっちゃんのニックネームで手芸やフランス語の紹介をしてくれていた、松井一恵さんが9月26日に亡くなられました。55歳と言う若すぎる旅立ちでした。追悼特集として彼女の手芸作品、宝物、フランス語の詩の再掲をしています。27日にアップした、たっちゃんの手芸、休日、庭もご覧ください。

先日、私が京都大学の総合博物館のショップで購入した石のコレクションのブログをアップしましたら、たっちゃんが大変に興味を持ってくれて、二人で化石堀りや、考古学の話をしていたら、紀元以前の壺を持っていると言うので「見せて、見せて」とお願いしましたら、アップしました写真を彼女が送ってくれました。高さ15cm、幅14cmの飴色の壺です。

時の試練に耐えてヒビも欠けもなく水漏れも無いそうです。紀元前2000年から3000年ほど前の陶器だそうです。なんとも愛らしい形の壺です。彼女と何を入れたのであろうかとワインかそれとも蜂蜜だろうかと壺の話題が日々、ラインに踊りロマンが広がりました。私はエジプトのカイロ博物館でツタンカーメンの黄金のマスクなど多くの遺物を見ましたが身近なこの可愛らしい壺がなんとも気に入りました。

古代エジプトの壺が時空を超えて2018年の日本のブログに今日、載った事は何とも不思議な出来事です。

 2018年6月29日 

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追悼:フランスの詩人 ランボー

2018-09-28 | Chambre de K.

リコのブログでフランス語の詩を紹介してくれていた、たっちゃんこと松井一恵さんが55歳の若さで9月26日に亡くなられました。5月から再入院してみえましたが、早すぎる旅立ちでした。

追悼として、彼女のフランス語の詩を再掲します。

たっちゃんがフランスの詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)の詩を紹介してくれました。

金子光晴訳 ランボー詩集 (イリュミナシオン収録)
「永遠」 Arthur Rimbaud
Mai 1872

とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽と一緒に、
去ってしまった海のことだ。

みつめている魂よ。
炎のなかの昼と
一物ももたぬ夜との
告白をしようではないか。

人間らしい祈願や
ありふれた衝動で、
たちまち、われわれを忘れて
君は、どこかへ飛び去る…。

夢にも、希望などではない。
よろこびからでもない。
忍耐づよい勉学…。
だが、天罰は、覿面だ。

一すじの熱情から、
燸子の燠火は、
「あっ、とうとう」とも言わずに、
燃えつきて、消えてゆくのだ。

とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽といっしょに、
去ってしまった海のことだ。


L'ÉTERNITÉ  Arthur Rimbaud

Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

Âme sentinelle,
Murmurons l'aveu
De la nuit si nulle
Et du jour en feu.

Des humains suffrages,
Des communs élans
Là tu te dégages
Et voles selon.

Puisque de vous seules,
Braises de satin,
Le Devoir s'exhale
Sans qu'on dise: enfin.

Là pas d'espérance,
Nul orietur.
Science avec patience,
Le supplice est sûr.

Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

いずれにせよ一瞬のうちに永遠を見るという主題。
魂の奥深く宿る情熱の諸々の状態を表しているのでしょう。繻子(しゅす)のようになめらかで燠(おき)のように熱いものたち。例えば夕日のように。
ランボーは、アフリカまで行き、ようやく永遠を見出しました。それが、太陽と一緒に行ってしまった海。
この映像、並外れた感受性。17才のランボー。素晴らしいと思う。
ここでは、自分は外在的な光によって照らされるものではなく、自分自身が太陽の光となって、宇宙を照らすのだという矜持があふれているように思われます。

 ランボーの17歳の写真

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たっちゃんの哀しいお知らせ

2018-09-27 | Chambre de K.

 

 私の友人のたっちゃんこと松井一恵さんが9月26日の6時44分に亡くなられました。享年55でした。一恵さんは「たっちゃん」のネームでこのブログの「Chambre de K.」欄で得意な手芸やフランス語の詩を紹介してくれていました。彼女とは短歌の会で知り合いこの2年は特に親しくして、京都の都をどりの観劇、ライン等で頻繁に連絡を取り合っていました。亡くなる4日前には私が送ったハンカチに「ありがとう」と笑顔のスタンプと共にラインが届いていました。あまりにも若い,才能溢れる女性の旅立ちでした。私のブログに投稿・応援をしてくれていた松井一恵さんが死の1ヶ月前に書いた随想を皆さまに紹介します。

 

 忘れじと思ふ   松井 一恵

  病気療養中、私は石川啄木の歌集を再読いたしました。私の今の心情に重なる歌が多くあります。病気が発覚したのが、平成二十九年の六月末でした。最近、先生に言われたのは、あのまま放っておいたら余命三ヶ月だったとの事です。腹膜癌という聞きなれない病名に驚き、主人と子供は涙を流して可能な限り調べたようです。主人は日々病室を訪れ、背中や足をさすってくれました。子供からは毎日電話があり二週に一度は病院に来てくれました。これほど家族の有り難みを感じた事はありません。そんな時、啄木の『一握の砂』と『悲しき玩具』に非常に感化されました。

 《啄木、一握の砂より》

 〇親と子とはなればなれの心もて静かに対(むか)ふ気まづきや何ぞ

 〇何がなしに息きれるまで駆け出してみたくなりたり草原などを

 〇何かひとつ不思議を示し人みなのおどろくひまに消えむと思ふ

 〇何事も思ふことなくいそがしく暮らせし一日(ひとひ)を忘れじと思ふ

 

     病む今は啄木の歌読むほどに嘗ての吾に帰るすべなし     一恵

 

《啄木、悲しき玩具より》 

 〇病院に来て妻や子をいつくしむまことの我にかへりけるかな

 〇堅く握るだけの力も無くなりしやせし我が手のいとほしさかな

 〇やまひ癒えず死なず日毎にこころのみ険しくなれる七八月かな

 

     蝕まれ弱き心の吾に向け誠の愛を与ふる夫よ    一恵

 

私は悲しき玩具の「病院に来て」の歌を読み、「与えられるばかりで、本当に夫や子供、兄弟や、年老いた両親をいつくしむことが出来ているのだろうか? 自分の辛さを訴えるばかりではないか・・・」と時に悩みます。優しい言葉をかけて頂けるほど、今までの身勝手さが沸々と湧き出てくるのです。病魔に蝕まれ、それが治らない不治の病であればこそ、自分の心の底意を疑い、自己中心であった日々を一つずつ反省します。「両親に申し訳ない、結婚してくれた夫に多大なる迷惑をかけてしまっている・・・」そんな中でも最初に感動したのは、あんなにやんちゃ坊主であった子供の優しさに触れた時でした。「すべての写真をアルバムにしたよ。僕、全部覚えてるよ。」とアルバムを送ってくれた時は、不覚にも涙が出ました。「あなたを生んで良かった。」と言う言葉が心の底から何の躊躇もなく出ました。人はいつでも優しくなれます。私の優しくなれたタイミングが病に蝕まれた時だったのだと思います。これからは命の続く限り、身体は痩せても、家族との愛を大きく育んで行きたいと思います。

 

    溶け合へる夜と朝との境界線今日こそ体調良きこと祈る    一恵

 

 

一恵さんの家の庭の白薔薇。彼女のイメージにぴったりです。

   

                                    

一恵さんは5月から再入院されていた病室で8月、9月に4編もの随想を書かれています。

 彼女の才能あふれる短歌と随想を次の機会に皆様に紹介します。   

     2番目の随想「匂い」 を10月1日に掲載しています。

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