私の友人のたっちゃんこと松井一恵さんが9月26日の6時44分に亡くなられました。享年55でした。一恵さんは「たっちゃん」のネームでこのブログの「Chambre de K.」欄で得意な手芸やフランス語の詩を紹介してくれていました。彼女とは短歌の会で知り合いこの2年は特に親しくして、京都の都をどりの観劇、ライン等で頻繁に連絡を取り合っていました。亡くなる4日前には私が送ったハンカチに「ありがとう」と笑顔のスタンプと共にラインが届いていました。あまりにも若い,才能溢れる女性の旅立ちでした。私のブログに投稿・応援をしてくれていた松井一恵さんが死の1ヶ月前に書いた随想を皆さまに紹介します。
忘れじと思ふ 松井 一恵
病気療養中、私は石川啄木の歌集を再読いたしました。私の今の心情に重なる歌が多くあります。病気が発覚したのが、平成二十九年の六月末でした。最近、先生に言われたのは、あのまま放っておいたら余命三ヶ月だったとの事です。腹膜癌という聞きなれない病名に驚き、主人と子供は涙を流して可能な限り調べたようです。主人は日々病室を訪れ、背中や足をさすってくれました。子供からは毎日電話があり二週に一度は病院に来てくれました。これほど家族の有り難みを感じた事はありません。そんな時、啄木の『一握の砂』と『悲しき玩具』に非常に感化されました。
《啄木、一握の砂より》
〇親と子とはなればなれの心もて静かに対(むか)ふ気まづきや何ぞ
〇何がなしに息きれるまで駆け出してみたくなりたり草原などを
〇何かひとつ不思議を示し人みなのおどろくひまに消えむと思ふ
〇何事も思ふことなくいそがしく暮らせし一日(ひとひ)を忘れじと思ふ
病む今は啄木の歌読むほどに嘗ての吾に帰るすべなし 一恵
《啄木、悲しき玩具より》
〇病院に来て妻や子をいつくしむまことの我にかへりけるかな
〇堅く握るだけの力も無くなりしやせし我が手のいとほしさかな
〇やまひ癒えず死なず日毎にこころのみ険しくなれる七八月かな
蝕まれ弱き心の吾に向け誠の愛を与ふる夫よ 一恵
私は悲しき玩具の「病院に来て」の歌を読み、「与えられるばかりで、本当に夫や子供、兄弟や、年老いた両親をいつくしむことが出来ているのだろうか? 自分の辛さを訴えるばかりではないか・・・」と時に悩みます。優しい言葉をかけて頂けるほど、今までの身勝手さが沸々と湧き出てくるのです。病魔に蝕まれ、それが治らない不治の病であればこそ、自分の心の底意を疑い、自己中心であった日々を一つずつ反省します。「両親に申し訳ない、結婚してくれた夫に多大なる迷惑をかけてしまっている・・・」そんな中でも最初に感動したのは、あんなにやんちゃ坊主であった子供の優しさに触れた時でした。「すべての写真をアルバムにしたよ。僕、全部覚えてるよ。」とアルバムを送ってくれた時は、不覚にも涙が出ました。「あなたを生んで良かった。」と言う言葉が心の底から何の躊躇もなく出ました。人はいつでも優しくなれます。私の優しくなれたタイミングが病に蝕まれた時だったのだと思います。これからは命の続く限り、身体は痩せても、家族との愛を大きく育んで行きたいと思います。
溶け合へる夜と朝との境界線今日こそ体調良きこと祈る 一恵
一恵さんの家の庭の白薔薇。彼女のイメージにぴったりです。
一恵さんは5月から再入院されていた病室で8月、9月に4編もの随想を書かれています。
彼女の才能あふれる短歌と随想を次の機会に皆様に紹介します。
2番目の随想「匂い」 を10月1日に掲載しています。