アボカドは男木、女木が2種類ずつ、計4種類あるので男木女木混合でないと実が成らない。アボカド林でないと男木女木のバランスが揃わない。
アボカドは男木、女木が2種類ずつ、計4種類あるので男木女木混合でないと実が成らない。アボカド林でないと男木女木のバランスが揃わない。
通信手段の望樓で障子の様な升目を動かして文を伝達します。
これは小型で1m位の大きさです。
線香を龍の背に置いて、2時間で1目盛り燃えて吊るした玉が(2個一組で14個吊り下げてあり)下の銅鑼に当たってガーンと鳴って時を知らせます。
この名器がロレックス社の寄贈とは驚きです。
ブログ開設3周年企画
リコのブログは2021年4月で3年に成ります。
これまでの記事からお勧めの記事を紹介しています。
★★最後に1つだけ★★初出は2018年11月です。
柳田邦男氏の「言葉の力、生きる力」を読んで考えた事を書いてみます。
その第2弾です。
○中原中也 「月夜の浜辺」
月夜の晩に、ボタンが1つ波打際に、落ちてゐた。
それを拾って、役立てようと僕は思ったわけでもないが
月に向かってそれはなげれず
波に向かってそれはなげれず
僕はそれを袂に入れた。
「月夜の晩に拾ったボタン」という文句は、人生の中で自分だけが密かに持つ大事なものを象徴するキーワードとなった。
○自分が他の誰でもない存在として生きた証として、これだけはやっておきたい、あるいはこれだけは最後までやり続けたいと密かに願うもの。たとえば、
この花を自分が見られなくなっても、誰かが見て愛してくれるだろうと信じて、病が重くなっても最後まで鉢植えの花に水をやりを続けた元新聞記者。
○生涯の趣味としてきた乗馬への愛着をがん末期になっても捨てず、病状の一瞬の晴れ間に5分間だけ愛馬に乗って、「これでいつ死んでもいい」と記したがん専門医。
○再発がんの治療を中断してまで撮影に出かけて念願の石仏写真集を完成させて女流写真家ーーー等々。
(以上を本から抜群しました。)
リコのブログパートナーの故・松井一恵さんも(2018年9月、享年55)「これだけは」と短歌誌に最後まで欠詠することなく、さらに随想をスマホの小さなメール画面を使い1400字もの原稿を4編も投稿されました。彼女の生きの証しのお手伝いが出来た事を私は本当にありがたく思っています。
〇病床に生きの証しを綴りたりスマホに届く「再入院」の歌 涼風