今、私は写真や資料を断捨離してます。
令和2年11月5日の現代短歌新聞に掲載されている河野裕子さんに付いての記事が目に止まりました。ご主人の永田和宏さんと裕子さん。ネットより
川本千栄さんの
「二千首作りなさい」
∶要約
1998年のはじめ頃、河野裕子の講演に彼女は行かれた。
河野の歌に対する意気込みは凄かった。
「一晩で百首は作ります。依頼があれば其の10倍でも作ります。」
講演後、会場の入口で長いこと裕子さんを待って、自分の歌を見てもらった。
「あなたねえ、短歌がしたいなら、まず2千首位お作りなさいな。そうすれば少し調べが整って来ます。」
その時、河野が2千と言ったか、3千、5千と言ったか記憶にない。そんな数、何年かかるのかと思ったことは覚えている。
「その2千首はどうするのですか?」
「捨てます。習作だから」
貴女も結社にお入りなさいませ。そこには短歌を作る仲間がいるのですよ。仲間が居ることはとても良いことなのです。年をとってもずっと歌で繋がっているのですよ。
こうして川本さんは河野さんと同じ短歌結社「塔」に入られました。
もう一箇所、川本さんの記事で気になった所は、
仲間がいても家族がいても河野裕子は寂しい人なのだ。
私も裕子さんはあんなにご主人の永田和宏さん(歌人)に愛され、息子さん、娘さんにも大切に思われていたのに、裕子さんは寂しい人だと思いました。
それで、その寂しさを見てはいけないような気がして、私は裕子さんの講演会に行くことは無かったです。
私は短歌を始めて10年なので、せいぜい、1000首ぐらいしか詠んでません。
となると、まだ、習作だから全部捨てる詠草ですね。
でも、私は
「短歌の有る暮らし」で、楽しく詠草してます。
短歌仲間の「短歌のある暮し」のお仲間にも入れていただき、人々の喜怒哀楽を少しは解るようになりました。
裕子さんは「短歌の中の暮らし」で、山頂を目指す人(歌人)の暮らしですね。
それと、最近、気が付いたのですが、読んでいただく皆さんに感謝しなくてはと思っています。
そして、何を大切にして生きていくかは日々、心に問うことです。