主人の父親の話です。
主人の父親は四国の生まれです。
①主人が多分、5歳くらいの時に、戦争で大阪から四国に疎開してる時に実家が所有している松茸山に泥棒がでた時、木刀を右手下げて山に向かう父親の後ろ姿が悠然としていて主人は父親の姿に見とれたそうです。
親戚のおばちゃん達は「松茸なんか好きなだけ取らせたら良い、怪我でもしたらいかんから、やめとき」と止めたそうですが、悠然と父親は山に入っていったそうです。
②大阪に出てきてからは当時はお釜でご飯を炊き、風呂も薪をつかいましたから、薪割りは大人の大事な仕事でした。
父親は一刀のもとに薪を見事に割るので近所の人が見に来たそうです。
③大峰山も主人は父親と父親の会社の同僚と高校1、2、3年生の時に3回登りました。
多感な高校生の3年間にいい経験になったと思います。
今の主人の人柄は若い時から作られていたのですね。
こんなハイキングに行くような服装ででよく登ったものです。
父親は運送会社の重量士(大きくて重量物運搬)の仕事をしていました。
橋や球場の照明スタンドなど巨大な設備をトラックに積み込み現地に運ぶ仕事です。
途中の道路の状況、ガードの下を通れるかなどの、予測を立てて運ぶ仕事です。
昭和43年頃に父親の退職金と主人の貯金で25歳の時に今の家を買いました。
主人は42歳、私は35歳の時に結婚しました。その時の義父は71歳でしたから、12年義父と暮らしました。
干支が同じなので気が合いました。
義父は上記のエピソードに納得出来る人柄でした。
結婚した時、義母は老衰で入院中で意識がほとんど有りませんでした。私たちが結婚して3ヶ月後に入院中に80歳で亡くなりました。
★キキさんの絵手紙
朝の散歩で拾った栗を描かれた。
京料理の「はりまや」の秋のメニューが届きました。