リコの文芸サロン

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歌集:いのちゆいのちへ

2022-09-08 | 短歌
リコの短歌会では最近、4名の方が歌集を上梓され、9月号は遠藤 慈さんの『いのちゆいのちへ』鑑賞特集です。


遠藤さんは「短歌以外、全て諦めた」と言われる。
リコは今は楽しく短歌を詠んでいますので、残念ながらまだまだ、遊びのうちです。



歌とゆふかたちに込むるメッセージいかに届くやいのちゆいのちへ  遠藤 滋 
 
遠藤滋さんの紹介
1947年、静岡県に仮死状態で生まれる。1歳頃に脳性マヒと診断される。
1974年、立教大学を卒業。
養護学級で国語教員、各種団体で働くも、1989年、頚椎症の悪化により退職。1991年、寝たきりとなる。
2003年あけび歌会に入会される。
2019年、伊勢真一監督の「えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋」は各種の賞を受賞しました。
寝たきりの35年間に遠藤氏の24時間体制の介護に2000人程の人が集まってきた。
2022年5月20日に亡くなられました。享年74.


◆遠藤滋さん歌集鑑賞
感想文6名、十首選6名の構成です。
まずは3名の感想文をご紹介します。
★えんとこの歌
小笠原嗣朗 
 待っていた歌集が届く。素敵な装丁の歌集を手にして読み進め、
改めて感動を深くした。作者の生きの証として命のほとばしりを
感ずる歌ばかりでした。
 詠草はテーマ別に分類され一層感動が凝縮されているが、
作者の800首を越える詠草をここに439首まで絞り込んで
いく作業は「私にとって気が遠くなるような無謀な取り組みでした」
と言っておられる。
 「えんとこの歌」を読むと伊勢真一監督の開催された映写会に参加してご挨拶し、遠藤滋さんのあけび誌でのご活躍のことを皆様にご披露したときのことを思い出す。子規が小さな一室から多くの歌や俳句を詠んだように、遠藤さんも若い皆さんに囲まれた一室で魂の歌を詠んでほしいと。
 歌集最後の歌「ありのままのいのちに立ちて」は作者の心中から
出た叫びであろう。5月20日に、遠藤滋さんが逝去されました。
天国からこのあけび特集を読んで下さい。

★いのち 痛みと歓び
大津留 直
私の親しい友人であった遠藤滋氏は、その第一歌集
『いのちゆいのちへ』を編み終えて間もない本年五月、七十五歳の誕生日を直前にしながら逝ってしまった。私としては彼が、ともかくも、この類い稀な歌集を編むことができたことを天に感謝したい気持ちで一杯なのだ。その意味で、私はまた、えんとこで彼を最期まで看取った介助者・医療関係者や映画『えんとこの歌』の
監督とスタッフの方々とともに、歌人としての彼を励まし続けたあけびの歌友たちに彼に代わって心からお礼申し上げたい。
足裏ゆ火の噴き出づと思ふ間に紅ぐ れん蓮の炎はわが身を包む
 
例えば、この歌が示しているのは、彼にとっての日々が、おそらく、脳性麻痺の二次障害である痛みとの壮烈なる闘いであり、
その痛みとの対話であったことである。しかし、まさに、
この痛みがあるからこそ、いのちは歓びなのであった。

★心に届くメッセージ
野中 智子
歌といふかたちに込むるメッセージいかに届くやいのちゆいのちへ
 遠藤 滋氏歌集『いのちゆいのちへ』の巻頭の一首。作者の切なる願いから始まる歌集である。
 抒情詠社会詠などを挟んで詠まれる病の苦しさ、心の痛みは、作者の現実というものを読むものに突き付けてくる。

肋骨をめくり上ぐがに胸苦しこの身体(からだ)もてわれ今日も生く
 メッセージ性のある重い歌が並んでいる中の、作者のこのような歌にも心惹かれた。

 手を借りて側そ臥(そくが)となれるその時し椋(むく)に蝶
 あり空に向け発(た )つ

一首一首が作者の真実の思いであり、その現実に心揺さぶられる。
 「あとがき」の「いのちをいかしあえる輪がひろがってゆくのを待つばかりである。」は、この歌集で成し遂げられると信じたい。
 遠藤氏の訃報に言葉がない。  合掌

6名の十首選(60首)から、12首を私が選んでご紹介します。
〇痛みさへわが生存の証とぞ思ひつつなほ痛きは痛し

〇固有なるいのちの姿は違へども互ひに活かし生かしあひたし
 
〇祭壇の上なる母の亡骸(なきがら)に言ひ得しはただ「ありがとう」のみ

〇わが暮し他人(ひと)と比ぶることなかれこのいのちこそ掛け替へのなき

〇マヒ我の歩くを写す鏡にはその痛さまで写らざりしか

〇いのちとふ現実(うつつ)にあれば歌により語れぬことはなしと気づけり

〇絶望の縁より立ちしわれらゆゑいのち生かすに何を恐れむ

〇障害の身にあればこそ手を借りて創造的に我は生きたし

〇生来の麻痺と老いと重なりてあはれこの身の哀しかりけり

〇いのちには終(をは)る時ありそれ故に互いの”今”をいかしあひたし

〇わが胸の奥深くなる水脈を掘りあつるとき歌の生まるる

〇北へ帰る君との距離を縮めむと我足指(そくし)にて文を認(したた)





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