野呂邦暢『日が沈むのを』
野呂邦暢小説集成2。
1巻目と表紙の印象が似ているが、よく見ると少し違う。
絵が異なるだけでなく、刷り色も微妙に違う。
どちらも特色を2色だけ使っていて、その組み合わせが同じではないのだ。
カバーの紙は薄く、丁寧に扱わないと破いてしまいそうだ。
野呂邦暢の文章に似て繊細な本。
本文の行間がわりと広い。
同じ判型のほかの本より、1ページの行数が5行くらい少ない。
総ページ数が600に近い厚い本。
行間を詰めて薄くせず、この厚さを保つようにしたのかもしれない。
馴れないと、この行間の白地に目がいってしまい、読書の呼吸が乱れる。
でも、ときにこの間に意味があるように感じる文章がある。
「今なにをして生活しているんだ」
「あそんでいます」
「ひとり」
「ええ」
(『日常』から抜粋)
会話の間に、表情の変化があり、身体の動きも想像される。
野呂邦暢を読む楽しさの、ひとつかもしれない。(2018)
2巻めを示すのは、帯の片隅にある「2」だけ
カバーと表紙にはない
野呂邦暢小説集成2。
1巻目と表紙の印象が似ているが、よく見ると少し違う。
絵が異なるだけでなく、刷り色も微妙に違う。
どちらも特色を2色だけ使っていて、その組み合わせが同じではないのだ。
カバーの紙は薄く、丁寧に扱わないと破いてしまいそうだ。
野呂邦暢の文章に似て繊細な本。
本文の行間がわりと広い。
同じ判型のほかの本より、1ページの行数が5行くらい少ない。
総ページ数が600に近い厚い本。
行間を詰めて薄くせず、この厚さを保つようにしたのかもしれない。
馴れないと、この行間の白地に目がいってしまい、読書の呼吸が乱れる。
でも、ときにこの間に意味があるように感じる文章がある。
「今なにをして生活しているんだ」
「あそんでいます」
「ひとり」
「ええ」
(『日常』から抜粋)
会話の間に、表情の変化があり、身体の動きも想像される。
野呂邦暢を読む楽しさの、ひとつかもしれない。(2018)
2巻めを示すのは、帯の片隅にある「2」だけ
カバーと表紙にはない
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