つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

でんでんむしの かなしみ。

2020年07月12日 07時31分17秒 | 日記
梅雨の末期(2020年7月12日 現在)、
列島の雨の被害は未だ後を絶たない。
ニュースに接する度、胸が痛む。
わが津幡町も雨は続いているが、幸い今のところ事なきを得ている。

スポーツ新聞を買いに出かけたコンビニで、雨の季節の使者に会う。
壁を這う数匹の「でんでんむし」だ。

その姿を見ているうちに、思い出す。
およそ一ヶ月前に出かけた旅の空を。

賭けたり、競ったり、旅したり。~ 令和弐年 梅雨。

愛知県・半田市出身の文筆家・児童文学作家、
「新美南吉(にいみ・なんきち)記念館」を訪ねた。
詳細は、過去投稿(上記リンク)に譲る。
そこで買い求めた数冊の本の中から、短編を紹介したい。
原典は子供向けに仮名書きだが、漢字混じりにした方が読み易いかと考え、
勝手ながらそのようにして以下に掲載する。

でんでんむしの かなしみ

 一匹の「でんでんむし」がありました。
 ある日その「でんでんむし」は大変な事に気が付きました。
『私は今までうっかりしていたけれど、私の背中の殻の中には
 哀しみが一杯詰まっているではないか』

 この哀しみはどうしたらよいでしょう。

「でんでんむし」はお友達のでんでんむしの所にやって行きました。
『私はもう生きていられません』
と、その「でんでんむし」はお友達に言いました。
『何ですか』
と、お友達のでんでんむしは聞きました。
『私は何という不幸せな者でしょう。
 私の背中の殻の中には哀しみが一杯詰まっているのです』

と、初めの「でんでんむし」が話しました。
 するとお友達のでんでんむしは言いました。
『あなたばかりではありません。 私の背中にも哀しみは一杯です』

 それじゃ仕方がないと思って、初めの「でんでんむし」は、別のお友達の所へ行きました。
 すると、そのお友達も言いました。
『あなたばかりじゃありません。 私の背中にも哀しみは一杯です』
 そこで初めの「でんでんむし」は、また別のお友達の所へ行きました。
 こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、
どの友達も同じ事を言うのでありました。

 とうとう初めの「でんでんむし」は気が付きました。
『哀しみは誰でも持っているのだ。 私ばかりではないのだ。
 私は私の哀しみを堪えていかなきゃならない』


 そして、この「でんでんむし」はもう、嘆くのをやめたのであります。


(※新美南吉:著/りくすけ:編)

新型コロナ。
豪雨と水害。
異常気象。
人種差別。
地域紛争。
環境汚染。

僕たちが暮らす地球という殻の中には哀しみが一杯詰まっている。
コメント (2)
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