貴方はフランス生まれの作曲家「モーリス・ラヴェル」によるバレエ音楽、
「ボレロ」をご存じだろうか?
Ravel "Bolero" Bernstein ラヴェル「ボレロ」バーンスタイン
同じメロディと同じリズムが繰り返されるため、構成は単純明快。
しかし、音色と音量が常に変化し続けるため、聴感は極めて豊か。
フルート→クラリネット→ファゴット→サックス---。
受け継がれた旋律は、やがて重なり合って高揚してゆき、
全ての楽器が一体になって、まるで爆発するかのように終曲。
トータル10数分の作品を聞く度、僕は一つの劇を観た気分になる。
思い描く演目は、どちらかというとハッピーエンドではない。
破滅的なストーリーの何か --- 例えば、こんな昭和の猟奇事件が当て嵌まるかもしれない。
ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百七十二弾は「阿部 定(あべ・さだ)」。
明治38年(1905年)、「定」は、まだ江戸の香りが残る東京・神田に生まれた。
生家は、下働きも使う裕福な畳屋。
末娘で甘やかされて育ち、容色に優れ、人目を惹く少女だったという。
ところが15歳の時、友人の家で大学生に手込めにされ、人生が狂い始める。
自暴自棄になり、複数の男と関係を持ち遊び暮らすようになった。
見兼ねた父親は「定」を女衒(ぜげん/売春斡旋業者)に預ける。
以降、横浜~富山~長野~大阪~名古屋~京都~神戸~東京と各地を転々。
芸者、娼妓、カフェーの女給、妾などのサービス業に従事し、オンナを売った。
現代の感覚からすれば、悲惨な生き方に映るだろうが、
当時の感覚からすると、少々異なっているかもしれない。
娼館で寝起きするのは、床の間が付いた個室。
鏡台、箪笥、座卓、寝具は自分専用。
賄い(まかない)付きで飢える心配はなく、お客にねだればご馳走にもありつける。
袖を通すのは、仕立ててもらった絹の着物。
たとえそれが、かりそめ、偽り、刹那であったとしても、
多くの庶民に比べ、かなりゴージャスな暮らしぶりだった。
今とは、あまりにも「時代が違う」のである。
さて、恵まれた少女時代に始まり、過ち(あやまち)から道を踏み外し、
様々な男という楽器に奏でられてきた「定」のボレロは、いよいよクライマックスへ。
彼女はタクトを振り下ろす。
破滅に向かって。
仲居として働きはじめた、東京・中野の料亭の主人と恋仲になり、
不倫関係を結んで2人は出奔。
府内(当時/東京府)の待合宿(まちあい/ラブホに類似)を渡り歩き、愛欲に溺れる。
その行為は一種異様な段階に踏み込み、
お互い合意の上、性交中に男の首を紐で絞めて楽しんでいたという。
そして、昭和11年(1936年)5月18日未明。
「定」は愛人を絞殺。
牛刀で切り取った男の局部を紙に包み、懐に忍ばせ逃走した。
発生から2日後、捕縛された「定」は凶行の動機や顛末を次のように語っている。
『私はあの人が好きでたまらず、自分で独占したいと思いつめた末、
あの人は私と夫婦でないから、あの人が生きていれば、他の女に触れることになるでしょう。
殺してしまえば、他の女が指一本触れなくなりますから、殺してしまったのです。』
『それは一番可愛い大事なものだから、そのままにして置けば、
湯棺でもする時、お内儀さんが触るに違いがないから、誰にも触らせたくないのと、
どうせ死骸をそこに置いて逃げなければなりませぬが、
それがあれば、一緒の様な気がして淋しくないと思ったからです。』
青年将校によるクーデーターから3ヶ月余り。
軍国主義の暗雲立ち込める中で起こった猟奇殺人事件は、世間の耳目を集める。
異常犯行と捉えられた反面、
抑圧された「性」を解き放ち、「愛」に殉じたとして彼女は人気者になった。
裁判の結果、下された判決は懲役6年。
恩赦を受け出所した後、名前を変え平穏な生活をしていたが失踪。
消息不明になった。
男の永代供養をしていた寺へ毎年命日に届く花の贈り主は「定」と言われるが、
昭和62年(1987年)に途絶えている。