つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

初夏、川のある風景。

2021年05月05日 14時30分00秒 | 日記
          
拙ブログに度々登場する「津幡川」。
いわゆる「二級河川」で、管理は石川県が行っている。



清流とは呼べない。
広大ともいえない。
だが、僕は好きだ。
物心ついてから数えきれないほど、その川面を見つめてきた。
今も定番の散歩コースになっていて、
春夏秋冬、変化する川の姿を楽しんでいる。
今回は、初夏の津幡川の風景について投稿したい。



かつては暴れ川として大きな水害をもたらした時代もあったが、
治水が進み、すっかり大人しい流れになった津幡川。
1年半ほど前「河川管理用通路」が整備され、川べりを歩くことができる。
人が手入れなどしていない土手の草むらには、
ヒナギキョウ、センニンソウ、クズ、ミヤコグサなど様々な花が咲く。
生きものもそれなりに見かける。



少々小さいが、画像真ん中あたり赤い丸で囲ったところにいるのが、
「ベニシジミ」だ。
赤地に黒褐色の斑点がある小型の蝶が分かるだろうか。
角度によって銅のような金属光沢を放つ。
今は春型で、明るい赤橙色の翅(はね)をしている。



川の側に建つ、川尻の「住吉神社」。
本殿前には立て札があり、次のように書かれている。

「住吉神社の伝説
 住吉神社の祭神は庄村の住吉神が津幡川を蕪(かぶら)の葉に乗って
 川尻村へ流れついたという。
 村では川上の庄村へ送り届けたが、しばらくするとまた漂着し、
 当地の「クロベエブチ」(現在地)に落ち着かれることになったという。
 住吉の神様は海上航海の神といわれる。
 川尻村は河北潟や津幡川の水運に深く関わってきた集落であり、
 勧請の神としてふさわしい神様であるといえる。
 昭和初期頃まで、毎年三月八日に「蕪まつり」が行われていた。」

神様が何故「蕪の葉」を選んだのかは謎だ。
当時はカブ栽培が盛んだったのだろうか?
「蕪まつり」、どんなフェスだったのか?
ぜひ見てみたかった。

クロベエブチとは、おそらく「九郎兵衛淵」。
大洪水の際、九郎兵衛さんが人柱になって災害を防いだことから、
この名が付いたんだとか。
庄「住吉」の神様は、九郎兵衛の献身を不憫に思いやって来たのかもしれない。



川の側、早苗が揺れる田んぼ。
泥には田植え作業をした人の足跡が残っている。
暫くジッと観察していると、
水中には小さなゲンゴロウやタニシ、水面にはアメンボが動き回っているのを見止める。
これもまた豊かな自然なのである。
コメント
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