きのう(2022/09/16)諸般の事情から休日となった僕は、小旅行に出かけることにした。
後に控える三連休の人混みを避ける為に。
西に控える台風14号の影響が及ぶ前に。
ここを好機と考えハンドルを握った次第。
目指すは新潟・糸魚川市と長野・小谷村。
「塩の道」の端緒を見学するのが目的だ。
塩の道(糸魚川~松本120km)
それは牛馬の蹄とボッカ(荷を背負い駄賃を取る人)のわらじて踏み固めた
汗の道であり塩海産物等の通った人々の生活を支える道で
決して華やかさのない庶民とともに生きた経済道路で
今では遠い昔の語り草として自然に帰ろうとしている
また歴史上名高い「上杉の義塩」もこの道を通ったと言われている
(※塩の道資料館、説明文より引用/原文ママ)
まず立ち寄ったのは、糸魚川市にある「塩の道資料館」だ。
引用説明文にある「ボッカ(歩荷)」の出で立ちは上掲画像のような感じ。
2体のマネキン--- 左が男性、右が女性。
彼らは、日本海に臨む糸魚川~内陸部信州の松本城下間の深い谷あいの山道を、
往路は塩や海産物、復路は麻や煙草などを背負って運んだ。
雪が降り始めてからの半年が出番。
1人塩1俵を背負い、数人一組で旅をしたという。
展示物の「ショイコ(背負子)」。
重量50~70kg。
実際に背負わせてもらったが、コイツを担いで1日平均30kmを移動するのは、
並大抵のことではない。
しかも100~300mもの高低差のある雪の峠道なのだから恐れ入る。
民家を転用した館内、様々な民具や写真を眺めしばし感慨に耽る。
また、受付係の女性が解説をしてくれてありがたかった。
僕が過酷なボッカの旅について「さぞ重労働だったでしょうね」と話をした時、
彼女から返ってきた言葉が心に残っている。
「辛く苦しい日々を越え、少しでも前に進もうと思っていたんじゃないかしら」
ひとしきり見学した後、礼を言って資料館の外に出ると、
日本の秋らしい絶景が出迎えてくれた。
黄金色に輝き、頭を垂れた稲穂の群れ。
その上空を飛び交う、赤とんぼの群れ。
(残念だが僕の写真では、うまく捉えられらなかった)
視界の奥に構えるのは日本百名山の一つ「雨飾山(あまかざりやま)」。
何とも美しい景観に感激。
これを目に出来ただけでも、来た甲斐があったというものだ。
さて「塩の道」の冬の主役がボッカなら、春~夏のそれは「牛」。
続いて往時の面影を求めて南下。
小谷村へ足を向けた。
雪のない季節、塩は牛の背に揺られて運ばれた。
1頭の牛に塩2俵づつ付け、ベテランになると6頭の牛を追ったという。
平地では馬の方が荷役に向いているが、
山道での物資の輸送は蹄が割れていて踏ん張りの利く牛の方が有利。
狼や山犬に襲われた時、逃走する馬に対し、牛は力強く立ち向かったそうだ。
その“人牛キャラバン”が身体を休めたのが「牛方宿(うしかたやど)」である。
塩の道に沿い建つ「牛方宿」は、人と牛が一緒に寝泊まりできる。
出入口は、障子張りの「潜り(くぐり)」ごと引き戸を開ければ、
大きな牛を、直接中へ招き入れられる。
そのため土間がとても広い造りになっているのが分かるだろうか。
残暑厳しい外とは一線を画し、牛方宿の内部は涼しい。
やはり、通気・調湿・調温に優れた自然素材---
土壁、土間、茅葺屋根のお陰かもしれない。
ちなみに、人も牛も宿賃がかかった。
「牛、米糠(こめぬか)と薪(まき)で5厘、牛方は7厘、賄(まかない)別」
そんな明治時代の文書が残っているそうだ。
「牛方宿」の見学を終えた僕は、来た道を逆走。
国道148号線を北上して「道の駅おたり」へ。
近隣の銘菓、銘酒、土産物などを横目に見ながら売店へ一直線。
好物の「おやき」をいただいた。
いまさら説明するまでもないだろうが「おやき」は信州の郷土食。
急峻な地形や寒冷な気候ゆえ、かつて米の栽培に適さなかった山国では、
昔から小麦や蕎麦が栽培されてきた。
その実を挽いて粉にして生地を練り、野沢菜漬け、茄子の味噌炒めなどを入れ、
囲炉裏で焼いた粉物メニュー。
旨いのである。
実は、先月、山梨~長野へ一泊旅行した時、
うっかり「おやき」を食べそびれていたのが心残りだった。
ほうじ茶を飲みながら舌鼓を打ち堪能。
未練を解消できた。
しかし、まだ腹は満たされない。
早々に道の駅を後にして、再び糸魚川へひた走る。
一旦、高速へ乗り、糸魚川市中心部からやや東・能生(のう)地区を目指す。
目星を付けていたラーメン「あさひ楼」のチャーシュー麺をすする為に!
--- だが、しかし---
がーん!!
お休み、しかもこの日から!!!
何と間の悪い。
残念無念。
肩を落として、昼飯を探し車を走らせていたら、気になる看板を発見。
かまぼこメンチ、だと?!
ピンときた僕は、迷わず扉をくぐり、
「かまぼこメンチ×2枚」と「野菜さつまあげ×1枚」を注文。
割りばしも、爪楊枝もないとのこと。
ワイルドに手づかみで齧り付く。
何しろ揚げたてだ。
ハフハフ--- 熱いぜ、でも、旨いぜ!!
特にメンチ、噛みしめるとサクサク音がするクリスピーな衣に対し、
中身は軽い食感で、魚のすり身に加え肉の味がする。
腹にも溜まる。
こいつはいい!
調べて分かったのだが「一印かまぼこ屋」は、なかなかの有名店。
創業・江戸末期の嘉永三年。
かつて40数件あった「糸魚川かまぼこ」の店が撤退した今、
地元練り物の暖簾を守るラストサムライとのこと。
旅の最後に、思わぬ美味しさと出会えた。
ごちそうさまでした!
今日私がブログを書こうと思っているドイツのリューベックの塩産業とのあまりの違いに愕然とします。
昔の日本人は過酷な生活を強いられたのですね。
それにしても今日のおいしそうな郷土食、うらやましい。
海水をくみ上げ、砂浜に撒き、自然乾燥。
塩分濃度が高い砂を集めて濾して、
かん水を薪で炊いて濃縮。
能登でも行われていた揚げ浜式塩田の製塩は、
大変な苦労の結晶。
出来た塩を山越えで運ぶ。
全て原動力は人力。
大変なご苦労だったと推測します。
ドイツ・リューベックの塩産業を見つめた旅。
投稿を楽しみにしております。
では、また。
競馬中継を観ていると分かるのですが、
馬はなかなか神経質。
躾の難しい生き物のようです。
片や牛は「闘牛用」を除けば、割と従順とか。
鹿、イノシシ、熊。
おっしゃる通り問題になっているようです。
確かにオオカミの絶滅は要因の一つ。
加えてか「里山」の喪失も大きいようです。
では、また。
おやきも、かまぼこメンチも、
美味しゅうございました!