「観光」を辞書で引くと、こんな記載がある。
<他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること>
<娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行う
スポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動>
「観光」と「旅」の境界は曖昧だが、
旅が「目的地への到達」即ち「移動」を重視した言葉なのに対し、
観光は「風景や史跡などの見物」つまり「経験・体験」を含んでいると思う。
その意味で、「津幡ふるさと歴史館 れきしる(LINK有)」にて始まった企画展は、
作品を通じて「追体験」できる一種の観光と言えるかもしれない。
行き先は「過去」だ。
フィルムに焼き付けられているのは、今、僕が暮らす同じ町なのは間違いない。
しかし、もう(多分)二度と現れないであろう時間、失われた光景の数々。
幾つか、かいつまんでご紹介したい。
--- まずは僕自身にも重なる2枚から。
昭和45年(1970年)頃撮影。
津幡小学校入学式に臨む親子。
被写体は別人だが、亡き母と共に同じ様なシーンを経験したはずだ。
昭和37年(1962年)撮影。
津幡小学校鼓笛隊。
かつて毎年夏「つばた祭り」の際、児童たちが鼓笛隊を組んで町中を練り歩いた。
僕も参加した記憶がある。
指揮杖も、リズム隊にも、鉄琴担当にも選ばれたことはない。
その他大勢、リコーダーの一員だった。
--- 次は街角。
昭和48年(1973年)頃撮影。
加賀爪(かがつめ)交差点を臨む。
道幅狭く、移転・店じまいした店舗の看板。
現在とは大きく違う様相がモノクロの情景と相まって往時を偲ばせる。
それにしても、いい味を出しているネクタイを結ぶ男性が、
「孤独のグルメ」主人公「井之頭 五郎」に見えてしまうのは僕だけだろうか?
--- そして鉄道。
昭和56年(1981年)撮影。
津幡駅・駅前広場。
向かって左手が駅舎側だが、現在その面影を探すことはできないだろう。
立木も、瓦屋根も、トタン屋根もない。
向かって右手の建物、食堂も「津幡ホテル」も、電話ボックスもない。
全て今は昔だ。
これらはほんの一部。
是非「れきしる」へ足を運んで時間観光を楽しんではいかがだろうか。
「写真家が残した津幡町 ~ふるさとの風景~」の会期は、
2020年12月1日(火)~12月26日(土)と割合短い。
お早めに!
追記。
本日、お邪魔した際「小学生手作りの土器」が並んでいた。
先々月、子ども歴史民俗講座③「古代土器づくり!」での力作である。
小学生たちが形成し、数時間をかけ「野焼き」で焼成。
こんな体験ができるのも「れきしる」あればこそ。
これからも充実した活動に励んで欲しいと願う。
僕のブログ(プロローグ)にも書いたように日常の記録って、そこに住む人ではなく、異邦人、来訪者によって残されるものですよね。りくすけさんのブログを読んで、やっぱりといった感想です。
今の日本は、往来する人の写真を映せば、肖像権だととか言われ、子供を映せば変質者と誤解されと、日常を記録し辛い時代ですね。
蛇足ながら、津幡には、仕事で1度伺ったことがあります。
今後とも、宜しくお願い致します。
こちらこそ、いつも楽しく拝読しております。
“日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。”--- 同感です。
未来は視界の利かない霧の中。自分はどこに行こうとしているのか?どこを歩いてきたのか?不安に駆られ後ろを振り返ると、一本の曲がりくねった道がある。そんな感じでしょうか。
確かに、世知辛い時代になりました。
スマホカメラのシャッターを押すときは、それなりに気を使っています。
津幡町に少し縁があったとの事。
ブログを通じてた縁もどうぞよろしく。
では、また。