つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

雪の津幡町からHappy Xmas and…。

2011年12月25日 12時29分10秒 | 日記
2011年12月25日、津幡町は寒波にすっぽりと覆われている。
しんしんと雪が降り積もり、一面の銀世界。
こんな日は外出を控えたいものだが、
物入りとなり「Aコープ津幡店」へ出かけた。
そこで撮影したのが「冒頭の一枚」…ローストチキンである。
店内のスピーカーから流れてくるのは、
軽いアレンジのインスト・クリスマスメロディ。
赤・白・緑のクリスマスカラーによる装飾を施した陳列棚には、
クリスマスステッカーを貼った商品が並んでいた。
ケーキをはじめとしたデザート、ソーセージやチーズなど
洋風オードブル類に混じって、中には、こんな演出も…。

 
焼き鳥である。 
クリスマスの食卓にルールはないが、
季節を問わない定番の和風惣菜をアピールするあたり、
日本的なセンスの一例ではないだろうか。

日本でのクリスマスは、11月からツリーなどの飾り付けを始め、
12月25日が過ぎればサッサとお片づけ。
すぐに新年の準備へと突入するのが一般的。
つまり、クリスマスと正月は、まったくの別物なのだ。
しかし、キリスト教圏では、12月20日前後を皮切りに、
年を跨いで1月初旬までがオンシーズン。
「Merry Xmas」と「Happy New Year」はセットで祝うケースが多いらしい。
…日本で生まれ育った身としては、この感覚が欠落していた。
だから「ジョン・レノン」と「オノ・ヨーコ」の
「Happy Xmas (War is Over)」が世に出た当時、
ラジオから流れる度に、違和感を覚えたものである。

『A very Merry Xmas And a happy New Year~
 「メリークリスマス、そして新年おめでとう」は、
 ちょっと気が早いんじゃないだろうか?』

…文化の違いを知らない浅はかな考えだった。

作品が発表された1971年。
「ジョン・レノン」は、「ビートルズ」が解散した直後でもあり、
公私共に穏やかではなかっただろう。
世界では、ベトナム、印パ、中東などで騒乱が続き、
反戦抗議活動も巻き起こっていた。
日本では、経済成長に陰りが見え、不安が広がっていただろう。
そして2011年。
世界各地で大きな天災が続いた。
テロ。ジャスミン革命。ユーロ危機。格差デモ。
東日本大震災と福島第一原発。 記録的な円高という経済危機。 
国債・年金問題。
未来への不安が高まる今だから「Happy Xmas (War is Over)」は、
心に染み入るのである。

『さぁ、今宵はクリスマス。 君にはどんな一年だったのかな? 
 時は流れ、もうすぐ新たな年が来る。
 今宵はクリスマス。 楽しんでくれているといいな。
 身近にいる人も、敬愛する人も、年老いた人も、若者も。
 心からメリークリスマス。 そして新年おめでとう。
 願おう。 不安なんてない良い年になる事を。

 さぁクリスマスだ  (War is over)
 弱者も強者も  (If you want it)
 富める者も貧しき人も  (War is over)
 世界に騒乱は尽きないけれど  (Now)
 今宵はクリスマス  (War is over)
 黒人も白人も  (If you want it)
 黄色人種も共産主義者も  (War is over)
 争いをやめて (Now)
 心からメリークリスマス、そして新年おめでとう。
 願おう。 不安なんてない良い年になる事を。

 さぁクリスマスだ  (War is over)
 僕らにとって、どんな年だったんだろう?  (If you want it)
 時は流れ (War is over)
 もうすぐ新たな年が来る。 (Now)
 心からメリークリスマス  (War is over)
 楽しんでくれているといいな。  (If you want it)
 身近なあなたも、敬愛するあの人も  (War is over)
 老いも若きも  (Now)
 心からメリークリスマス、そして新年おめでとう。
 願おう。 不安なんてない良い年になる事を。
 戦争は終わる。 あなたが望めば。 争いは、きっと止められる。』

(※原典:John Winston Ono Lennon/意訳:りくすけ)
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津幡町の時を遡る。

2011年12月24日 10時29分07秒 | 自然
「冒頭の一枚」は、今朝の本津幡駅前。
以前も書き記したとおり、画面右手に写る桜には名前がある。
…明治期の駅舎開業の折、周辺には何本もの桜が植樹され、
かつて、春にはちょっとした名所になるほど花々が揺れていたそうだ。
しかし、道路拡充・宅地造成などの整備事業によって次々と伐採され、
現在、姿を留めているのは写真の樹だけになった。
故に「一本桜」と呼ばれている。

これまでも何度か同じアングルの写真を掲載してきたが、
僕は、この風景が好きだ。
一世紀近い年輪を刻んだ桜の樹と木造の駅舎が創り出す空間は、
四季折々に表情を変え、何とも味わい深い。
…という事で、冬⇒秋⇒夏⇒春へと時間を遡ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花が咲き、花が散り、葉が茂り、葉が色付き散る。
固く結んだ芽が寒さに耐えて、また花を咲かせる。
繰り返される自然の営みは、劇的かつ豊潤である。
来年もまた見事な染井吉野を愛でたいものである。
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津幡町に2つの予兆。

2011年12月23日 08時53分17秒 | 日記
つい今しがた、久しぶりの散歩に出た。
ここ2週間近く、鉛色の空からは引っ切り無しに雨や霙が落ち、
なかなか機会に恵まれなかったのだが、ようやく訪れた晴れ間。
「冒頭の一枚」に写る、薄い雪のベールに覆われた道を、
「りくすけ」と共に進む。寒いながらも楽しい漫ろ歩きである。

ところが、歩き始めて10分余り。
明るい空から数枚の小さな花びらのような雪が舞い降りたかと思うと、
忽ち粒の大きな牡丹雪が降ってきて、辺りの景色は一変した。

 

目線を下げて足早に帰宅する途上、
きのう聞いた気象庁の予報を思い出す。
23日~24日にかけて北日本を中心に風が強まり、
日本海側など広い範囲でまとまった雪が降る大荒れの天気になるらしい…。
また、輪島上空には今年一番の寒気が居座っているとのアナウンスもあった。
いわゆる「クリスマス寒波」である。
確かに、明日はクリスマスイブ、明後日はクリスマス。
言い得て妙なネーミングだなと感心しつつ、ふと横を見ると、
そこには早くも「初春のイメージ」が…。

 

加賀藩・前田家の家紋「剣鉢梅」を模った和菓子「福梅」のポスター。
これから冬本番なのだが、その先に待つ春を感じ、
ほんの束の間、寒さを忘れた。
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津幡町の「さくら家」。

2011年12月21日 23時37分48秒 | 日記
毎週日曜日の午後6時台。
フジTV系列では、2つの「国民的アニメ」が放送されている。

1つは「まる子」こと「さくらももこ」とその家族、
友達が繰り広げる日常を描いた笑いあり、涙ありのコメディ「ちびまる子ちゃん」。
1990年から累計20年という長寿番組だ。
もう1つは「サザエさん」「マスオさん」「カツオ」や「ワカメ」ら
「磯野家」の面々の暖かく楽しい日常を描いた「サザエさん」。
1969年のスタートから42年間を数えている。
両作品共に核家族ではなく大家族であり、
主役級の登場人物達が暮らすのは「今日の一枚」のような「平屋」である。
「昭和の庶民」がモデルだけに“狭いながらも楽しい我が家”の風情が、
温かみを醸し出すのだろうか。

かつて、僕の隣近所において平屋は決して珍しい住宅ではなかったが、
今やその数は減った。
新築となると尚更。
たまに見かけるのは、かなり年季の入った建物が多い。
それだけに、平屋とその周辺はちょっとした昭和博物館なのである。
…正面左に回ってみよう。

 

画面やや右手にあるのが「臭突」。
下水道が備わる以前、汲み取り式のトイレ…いわゆる“ボットン便所”の
し尿層から立ち上る臭気を外へ逃がすための排気口だ。
僕の生家も、子供時代は同じ造り。
時たま、言葉では形容しがたい臭いが漂っていたものである。
定期的にバキュームカーが回収に訪れてくれていたのを思い出す。
その右に見える「お勝手口と洗い場」も典型的。
外で遊び散々泥だらけになった手足の汚れを落としてから家の中に入るには都合のいい配置である。
…続いて裏に回った板壁の角では、こんなものを発見。

 

木製の牛乳箱だ。
毎朝、自転車の荷台に満載した瓶がこすれ合う音と共に配達された。
セロファンで覆われた紙の蓋を指で押し開け、
一気に飲み干した当時が思い出される。
ちなみに、「明治牛乳津幡販売所」の白い文字の下、
連絡先の市外局番は07619。
昭和のナンバーなのだ。
…そして、最後に屋根に注目。

 

セメント瓦である。
セメントと調合したモルタルを用いて造られ比較的安価。
そのため年月が過ぎると風化。
色や表面の艶を失いやすい。
また割れやすい欠点を補うためにアスベストが使用され、
平成以降、社会問題となった。

…と、このように21世紀の現在から考えると
何かと不備・不便があったかもしれないが、郷愁に誘われるのも否めない。
これが「国民的2大アニメ」の人気の秘密なのかもしれない。
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フラッシュバック~津幡小学校に通っていた頃。

2011年12月20日 21時45分02秒 | 日記
きのう、突然、ビッグニュースが飛び込んできた。
朝鮮民主主義人民共和国の国家主席急逝の報である。
2011年12月17日 午前8時30分、現地視察へ向かう列車の中で心筋梗塞になり、
応急処置の甲斐なく黄泉の国へ旅立ったという。
69年の生涯だった。
東アジアの軍事・政治・経済・パワーバランスに影響を与える「事件」。
日本は無関心ではいられない。
あらゆるメディアで何度も取り上げられ、盛んに意見が交わされている。

それらを目にし耳にしながら、
僕が妙に感じるのは、故人に関する「謎」の多さだ。
『出生地・出生年についての諸説』
『トップに立つまでの権力闘争と一族の確執』
『芸術、スポーツ、軍事などオールマイティな天才伝説』
『日本人拉致の真実』
どれもがハッキリしない。
この曖昧模糊とした感覚は、
冷戦期の「東側」に対して抱いていたイメージに重なる。
それは「今日の一枚」…鏡の中に写る失われた風景が健在だった当時、
僕が小学生だった頃の記憶だ。

アイゼンハワー。
ニクソン。
JFケネディ。
ジミー・カーター。
ロナルド・レーガン。
フルシチョフ。
ブレジネフ。
アンドロポフ。
チェルネンコ。
ゴルバチョフ。
毛沢東。
周恩来。
華国鋒。
小平。
金日成。
アルセーヌ・ルパン三世。
デューク東郷。
ジェームズ・ボンド。

英雄達が活躍した時代だったのである。
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